「ワシントン大行進」60周年記念日の前乗りに数千人【米・英国メディア】(2023/08/27)
8月28日は、「ワシントン大行進(注1後記)」60周年記念日である。そこで、8月26日には前乗りの数千人が首都ワシントンDCに集結している。
8月26日付米
『AP通信』、8月27日付英国
『スカイニュース』TV等は、8月28日の「ワシントン大行進」60周年記念日の前乗りに数千人が首都ワシントンDCに集結したと報じている。
8月28日は、60年前に公民権活動家のマーティン・ルーサー・キングJr.牧師(1929~1968年)が率いた「ワシントン大行進」が行われた日である。
当日の60周年記念式典は、故キングJr.牧師が設立したNPOシンクタンク「ドラム・メジャー・インスティテュート(1961年設立)」及び人権活動家のアル・シャープトン牧師(68歳)が立ち上げたNPO団体「ナショナル・アクション・ネットワーク(1991年設立)」でそれぞれ開催される。...
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8月26日付米
『AP通信』、8月27日付英国
『スカイニュース』TV等は、8月28日の「ワシントン大行進」60周年記念日の前乗りに数千人が首都ワシントンDCに集結したと報じている。
8月28日は、60年前に公民権活動家のマーティン・ルーサー・キングJr.牧師(1929~1968年)が率いた「ワシントン大行進」が行われた日である。
当日の60周年記念式典は、故キングJr.牧師が設立したNPOシンクタンク「ドラム・メジャー・インスティテュート(1961年設立)」及び人権活動家のアル・シャープトン牧師(68歳)が立ち上げたNPO団体「ナショナル・アクション・ネットワーク(1991年設立)」でそれぞれ開催される。
そこで、前乗りの数千人が8月26日、首都ワシントンDCの国立公園ナショナル・モール(注2後記)に集結して運動の活気付けを行っている。
国際人権活動団体「世界黒人経済フォーラム」のアルフォンソ・デビッド代表(52歳、LGBTマイノリティ人権活動家)は、“故キングJr.牧師が率いた「ワシントン大行進」からの60年で、人権活動は大いに前進してきた”としながらも、“彼が言及した「夢」を実現するにはまだ道のりは長い”とコメントした。
また、60年前と変わっていることが2つある。
ひとつは、元々アフリカ系米国人(黒人)の公民権運動が主体であったが、現在はLGBTマイノリティやアジア系米国人の人権擁護活動が主要になりつつある。
もうひとつは、集会で演説を行う人の多くが女性となっていることである。
60年前は、僅か1人しか演説を許されていなかった。
なお、故キングJr.牧師の遺児である人権活動家のマーティン・ルーサー・キングIII氏(65歳)及び教職者兼弁護士のバーニス・キング氏(60歳)は8月25日、2011年に建てられたマーティン・ルーサー・キング記念碑を訪れて故人を偲んだ。
一方、8月28日当日にナショナル・モールで行われる記念式典には、ジョー・バイデン大統領(80歳、2021年就任)及びカマラ・ハリス副大統領(58歳、2021年就任)が出席する予定である。
また、ホワイトハウスによると、故キングJr.牧師の遺族らがホワイトハウスに招待されているという。
(注1)ワシントン大行進:エイブラハム・リンカーン大統領(1809~1865年)による奴隷解放宣言から100年目にあたる1963年の8月28日、首都ワシントンで黒人を中心にした二十数万人の大群衆が「仕事と自由」のために結集し、黒人差別の即時撤廃を要求して行った歴史的デモンストレーション。第二次世界大戦後、マーティン・ルーサー・キングJr.牧師を代表的指導者として急激に展開された黒人公民権運動の頂点を画した。このときのキング牧師の演説、「私には夢がある」は、不朽の名演説となった。この行進の直接的成果は、以前のものよりいっそう進んだ内容の1964年公民権法を生み出し、広範な市民的諸権利獲得を目ざす黒人解放運動に重要な足場を提供して、その後の黒人の著しい地位向上に大きく貢献している。
(注2)ナショナル・モール:東端の議会議事堂から西端のリンカーン記念堂まで約3キロメートル続く、ワシントンDC中心部にある国立公園。ワシントン記念塔・ナショナル・ギャラリー(米国立美術館)・歴史博物館・航空宇宙博物館等が建つ。
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中国はロシアが“強すぎず弱すぎない国”として存続するよう策謀、と政治評論家は分析【米メディア】(2023/08/16)
ロシアのウクライナ軍事侵攻以来、中国との関係は表面的には特に深まってきているとみられる。しかし、中国としては、ロシアが敗戦によって衰退し、中国のみが西側民主主義諸国連合と対峙することになるのは避けたいと願うものの、だからと言ってロシアが強大になって中国を脅かすことになることも全く望んでいないとし、言わば「ゴルディロックスの原理(注1後記)」の如く、“強すぎず弱すぎない国”として存続するよう策謀している、と政治評論家は分析している。
8月14日付
『CNBCニュース』は、中国としては、ロシアが“強すぎず弱すぎない国”として存続するよう策謀している、との政治評論家分析について報道している。
中国の対ロシア政策について、『CNBCニュース』が複数の政治評論家に取材したところ、ロシアが“強すぎず弱すぎない国”として今後も存続できるよう裏で画策しているとの分析であった。
彼らの分析は以下のとおりである。
●ロシアがウクライナ戦争に敗れることによって、国際社会に民主主義連合の勝利と喧伝されるのは最も厭忌することである。...
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8月14日付
『CNBCニュース』は、中国としては、ロシアが“強すぎず弱すぎない国”として存続するよう策謀している、との政治評論家分析について報道している。
中国の対ロシア政策について、『CNBCニュース』が複数の政治評論家に取材したところ、ロシアが“強すぎず弱すぎない国”として今後も存続できるよう裏で画策しているとの分析であった。
彼らの分析は以下のとおりである。
●ロシアがウクライナ戦争に敗れることによって、国際社会に民主主義連合の勝利と喧伝されるのは最も厭忌することである。
●しかも、敗戦によってロシアが衰退することによって、西側民主主義諸国連合と中国一国で対峙することになる事態は避けたい。
●そして、ロシアの衰退に伴って、政治・経済が混乱することによって、例えば隣接する中国に大量避難民の流入や政情不安等をもたらすことを懸念する。
●更に、欧州諸国と同様、中国が恐れることは、ロシア敗北によって保有核兵器が流出し、新たな核の脅威が起こることである。
●そのため、西側諸国による制裁によって苦難に陥っているロシアを援助すべく、表向きには、エネルギー政策だとして堂々とロシア産原油・天然ガスを買い増しし、裏では、半導体製品やその他軍事転用可能な部品等を提供している。
●また、国際社会における中国の名声を高めるために、中ロ首脳会談後にも拘らず、ウクライナに政府代表を派遣して“停戦提案”をすることで、“平和の仲介者”を演じようとしている。
●一方、ロシアがウクライナ戦争を契機に、強大になることは全く望んでいない。
●何故なら、過去に三十有余年もの間続いた、“中ソ対立(注2後記)”という苦い歴史があることから、4,200キロメートル余りも国境を接する中国としては、1969年に勃発した中ソ国境紛争のような、新たな軍事対立という事態となることは避けたいからである。
なお、『CNBCニュース』が取材した政治評論家は以下である。
・公共政策専門シンクタンク「米ジャーマン・マーシャル財団(1972年設立、本部ワシントンDC)」民主主義擁護部門のエティエンヌ・ソーラ研究員
・「新地政学研究ネットワーク(本部ウクライナ・キーフ)」アジア部門のユーリ・ポイタ主任
・米シンクタンク「戦略国際問題研究所(1962年設立、本部ワシントンDC)」中国研究部門のジュード・ブランチェット議長
(注1)ゴルディロックスの原理:「ゴルディロックスと3匹のくま」の童話の喩えを借りて名付けられた経済学用語。物語の中にゴルディロックスという名前の少女が登場し、三種のお粥を味見したところ、熱すぎるのも冷たすぎるのも嫌で、ちょうどよい温度のものを選ぶ。この童話が世界中でよく知られていることから、この名前を使うことで「丁度良い程度」という概念の理解が容易になり、発達心理学や生物学、経済学、工学等、他の幅広い領域にも適応されるようになった。
(注2)中ソ対立:1950年代後半から表面化した中国とソ連の対立状態。始めは政党間の理論、路線対立だったが、次第にイデオロギー、軍事、政治に至るまで広がった。中国はソ連指導部を「修正主義」、ソ連は中国指導部を「極左冒険主義」と非難し、両国の対立は世界の社会主義運動やベトナムなど第三世界での民族紛争に多大な衝撃を与えた。中国は、1968年夏のソ連のチェコスロバキアへの軍事介入、1969年3月の珍宝島事件により対ソ脅威感が募ったことより、1971年からは対米接近でソ連の軍事的脅威に対抗する戦略的配置を敷き、「社会帝国主義」ソ連を米国に代わる主要敵に設定。ソ連もアジア集団安全保障体制など対中包囲の軍事網を構築したことから、1970年代末まで中ソの緊張と敵対が続いた。
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