オランダ国王、奴隷解放記念日に過去の奴隷貿易仕業を初めて公に謝罪【米・英国メディア】
オランダ国王が同国の「奴隷記念日(SRD、注1後記)」に、17~19世紀後半における同国の違法な奴隷貿易の仕業について初めて公に謝罪した。ただ、市民の中には“やり過ぎ”という声が上がる一方、国際人権団体は被植民地の被害の重さを十分認識した上で賠償していく責任があると主張している。
7月3日付
『ワシントン・ポスト』紙、
『インターナショナル・ビジネス・タイムズ』オンラインニュース、7月2日付英国
『BBCニュース』、
『ジ・エクスプレス』紙等は、オランダ国王が過去の奴隷貿易の仕業について、初めて公に謝罪したと報じている。
第7代オランダ国王のウィレム=アレクサンダー(56歳、2013年即位)は7月1日、同国のSRD式典において、過去の違法な奴隷貿易の仕業について初めて公に謝罪すると表明した。
同日は、オランダが正式に南米スリナム(1975年オランダから独立)、カリブ海オランダ領(アルバ島、クラサオ島、ボネール島等)に対する奴隷貿易を、1863年7月1日に廃止する旨表明したことを記念する日である。
同国王は、“奴隷制は人の自由を奪い、尊厳を傷つける最も非人間的な仕業だ”とした上で、“国王として、また政府の一員として、心から詫びたい”と沈痛に語った。
オランダの植民地政策は、南米スリナムから南アフリカ、そして東インド(現在のインドネシア)まで及んでおり、政府は、過去300年余りの間、植民地のプランテーション(注2後記)での労役のために60万人余りの奴隷をアフリカから送り込んだことを認めている。
航海途上で約7万5千人の奴隷が死亡していて、また、植民地の先住民も奴隷に駆り出されていた。
スリナム出身の第二院(下院に相当)シルバナ・シモンズ議員(52歳、2021年就任、左派反人種主義政党党首)は、国王自らの謝罪表明を“歴史的なこと”として歓迎するとした上で、潮目は変わりつつあるとツイートした。
マーク・ルッテ首相(56歳、2010年就任)も政府を代表して陳謝しており、奴隷制度の実態を国民に理解してもらうためのカルチャー施設用に2億1,800万ドル(約316億円)を投じることを決定している。
ただ、国民の意識は少々違っていて、国王自身も、1世紀以上も前のことを謝罪することは“行き過ぎだ”と考える人がいることを承知している旨付言した。
英国のデータ収集・分析専門のYouGov(2000年設立、本部ロンドン)が2019年に実施した、欧州列強や日本が行った帝国主義政策についてのアンケートによると、オランダ市民の回答者のうち半分以上が、恥じることではなくむしろ誇り高いことだったとコメントしており、他のどの国より支持する声が多かった。
過去の帝国主義や奴隷制度に対して謝罪すべきかどうかは、他の欧州諸国にとっても悩ましい問題で、ベルギーのフィリップ国王(63歳、2013年即位)は2020年、アフリカ中部のコンゴ民主共和国(旧ザイール、1960年にベルギーから独立)への植民地政策に“深い悔恨”の意を表明したが、謝罪の言葉は控えた。
英国のチャールズ三世国王(74歳、2022年即位)は昨年、奴隷制について“個人としての哀悼の意”を明らかにしていて、5月の戴冠式時にも英国の帝国主義について謝罪するよう求める声が上がっていた。
しかし、リシ・スナク首相(43歳、2022年就任)は、上記の求めにも、また、英国議員の一部からの奴隷制被害者に対する賠償の支払いの要求に対しても同意していない。
なお、国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(1978年設立、本部ニューヨーク)は昨年12月、“奴隷制や搾取等の植民地主義の罪を心から悔い改めるとするなら、植民地主義がもたらした被害の重さと責任を十分認識した上で、賠償金を支払うことが必要である”との声明を発表している。
(注1)SRD:奴隷貿易とその廃止を記念する日。国連教育科学文化機関(ユネスコ、1945年設立)がSRD国際デーと定めたのは8月23日。なお、オランダが奴隷貿易廃止を決定したのは1863年で、米国でエイブラハム・リンカーン大統領(1809~1865年、1861~1865年在任)が南北戦争勝利を受けて発信した奴隷解放宣言と同年。その他、英国は1833年、フランスは1848年、ポルトガル及びスペインは1860年。
(注2)プランテーション:熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、国際的に取引価値の高い単一作物を大量に栽培する大規模農園。植民地主義によって推進され、歴史的には先住民や黒人奴隷などの熱帯地域に耐えうる安価な労働力が使われてきた。
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プーチン批判の著名人がまたしても不審死【米・インドメディア】
12月27日付米
『インターナショナル・ビジネス・タイムズ』オンラインニュース(2006年設立)は、「プーチン批判の大物政治家がインドのホテルで不審死」と題して、滞在中のインドのホテルで、一緒に旅行していたプーチン批判の2人の政治家が立て続けに不審死を遂げていると報じた。
ウラジーミル・プーチン大統領(70歳、2000年就任)のウクライナ軍事侵攻を公然と批判していた大物政治家が12月24日、滞在中のインドのホテルで不審死を遂げた。...
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12月27日付米
『インターナショナル・ビジネス・タイムズ』オンラインニュース(2006年設立)は、「プーチン批判の大物政治家がインドのホテルで不審死」と題して、滞在中のインドのホテルで、一緒に旅行していたプーチン批判の2人の政治家が立て続けに不審死を遂げていると報じた。
ウラジーミル・プーチン大統領(70歳、2000年就任)のウクライナ軍事侵攻を公然と批判していた大物政治家が12月24日、滞在中のインドのホテルで不審死を遂げた。
パベル・アントフ議員(65歳、2019年就任の国家院議員)で、ソーセージ販売会社を営む富豪政治家で、休暇で訪れていたインド東端オディシャ州ラヤガダのホテルの3階の窓から“不審な”転落をして死亡した。
英国メディア『ザ・テレグラフ』紙報道によると、同議員はホテル前庭のプール側で血を流して死んでいるのが発見されたという。
同紙は、地元メディアが警察関係者から聴いた話として、同じホテルで数日前に一緒に滞在していた同僚議員の突然死を悔やんで自殺したとの見立ては疑わしいと報じている。
12月22日に死亡したのはウラジーミル・ブダノフ議員(61歳)で、1階の自室で死んでいるのが発見されている。
死因は心臓発作とされているが、自室内には空のワイン瓶が複数本転がっていたという。
西ベンガル州コルカタ駐在のアレクセイ・イダムキン総領事が、ロシア国営メディア『タス通信』に宛てた声明によると、“アントフ議員は窓から転落したと聞いているが、原因等詳細についてオディシャ州警察の捜査報告を待っているところだ”としている。
プーチン批判で知られる同議員は今年6月、ウクライナの戦闘で犠牲になっている住民らについて触れ、“これはテロ行為以外の何物でもない”とSNSに投稿していた。
しかし、その後に猛批判を恐れたアントフ議員は当該投稿を削除し、“不幸な勘違い”であったと言及している。
この事件を受けて、SNS上では、“うかつに窓に近づくべきではない、ということがまたしてもパベル・アントフによって証明された”とツイートされている。
その上で、“似たような事案が余りに多過ぎて、今や数を正確に数えられない”と言及されている。
同日付インド『ザ・ヒンダスタン・タイムズ』紙(1924年創刊の英字紙)は、「ロシア人政治家パベル・アントフ氏、オディシャのホテルで死亡」と詳報している。
パベル・アントフ氏が、オディシャ州ラヤガダのホテルで2日前に急死したウラジーミル・
ブダノフ氏に続いて死亡しているのが発見された。
同氏は、65歳の誕生日を祝うためもあって、同ホテルに他の同行者とともに滞在していた。
捜査に当たっている地元警察のビブカナンダ・シャルマ署長は、同氏の遺体は12月25日に発見されていて、遺族の了承を得て12月26日に荼毘に付したと述べている。
ロシア『タス通信』報道によると、アントフ氏の同僚であるヤチェスラフ・カルトゥキン副議長は同氏の急死を知って、“私の同僚であり、功成り名を遂げた実業家・慈善家であるアントフ氏の死を、ロシア議会の議員らを代表して追悼したい”とSNS上に投稿したという。
また、ウラジーミル・キセリョフ議長も、“大変な逸材を失ってしまった”と投稿しているという。
シャルマ署長によると、“アントフ氏一行の4人は、同ホテルに12月21日にチェックインしているが、ブダノフ氏が心臓発作で12月22日に亡くなった”とし、“アントフ氏は同僚の死亡にショックを受けていたところ、今度は同氏が12月25日に死亡しているのが発見された”と言及した。
一方、随行していたロシア人ツーリストのガイドは、“チェックイン当日、ブダノフ氏は体調が優れなかったが、翌朝に自室で意識不明の状態で発見されたので、即刻警察を呼んだ”と証言している。
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