1週間前、ウラジーミル・プーチン大統領(69歳)の最側近と言われる政治学者の娘が爆死した。ロシア政府はすぐさま、ウクライナ側の陰謀と非難したが、西側からは、ロシア連邦保安庁(FSB、1995年設立の旧ソ連KGBの後身組織)が間髪を入れずに犯人を特定したと発表したこと等から、FSBの自作自演だと疑問視する声が上がっている。また、当該事件の1週間前にも、プーチン批判の急先鋒のロシア人実業家が自殺とされる事件が発生している。しかし、自殺と特定するには多くの疑問があることや、家族から自殺の可能性を全否定するコメントが出ていることから、本件もFSBの極秘任務の仕業だと疑われている。
8月27日付
『ニューヨーク・ポスト』紙は、「2つのショッキング事件はプーチン脚本の暗殺事件か」と題して、プーチン最側近の娘の自動車爆死事件も、プーチン批判の急先鋒のロシア人実業家の自殺疑惑事件もプーチン差し金ではないかとの声があると論じている。
先週末(8月20日)、モスクワ郊外でプーチン大統領の最側近と言われる政治学者の娘が爆死するという事件が発生した。
「プーチンの頭脳」と呼ばれた、超国家主義政治学者アレクサンドル・ドゥーギン氏(60歳)の娘のダリア・ドゥーギナ氏(政治評論家・ジャーナリスト、享年30)で、運転していた車に仕掛けられた爆弾によって父親の目前で爆殺されたものである。
FSBは即刻、ウクライナ側の陰謀だと非難したが、ウクライナは、ロシアの反戦派に責任があると反論している。
一方、この事件が発生する1週間前(8月14日)にも、米首都ワシントンDCに逃れていたプーチン批評家のロシア人実業家が不審死する事件が発生している。
ダン・ラポート氏(享年52)で、ロシア居住時からプーチン批判の急先鋒であって、ウクライナ軍事侵攻についても糾弾していたが、身の危険を感じて米国に脱出していたところ、事件当夜の18時前、滞在先の高層アパートから“飛び降り”て即死した。
当局の捜査によると、遺体発見時、かなりの所持金の他、携帯電話や鍵等を保持していて、飛び降り自殺として処理するには疑問が残ったという。
更に、ロシアから別々に脱出し、目下デンマークに避難しているラポート夫人は、自殺の心当たりが全くない上に、直前の3日間連絡が取れなかったと証言している。
以上2件の事件は、まるで小説家トム・クランシー(1947~2013年)のスパイ小説を彷彿させるが、ロシアのスパイ活動は小説より更に奇想天外である。
何故なら、これまで何人もの反対勢力の政治家や政府批判のジャーナリスト、また元スパイまでも、“暗殺”と疑われるような非業の死を遂げているからである。
冒頭のダリア・ドゥーギナ氏の爆死について、プーチンが背後にいるとは考えずらいが、国際社会において劣勢の同大統領にとって、対ウクライナ攻勢を強める上で格好の理屈付けができることから、全くあり得ないことではない。
例えば、第二次チェチェン紛争再開の契機となった1999年のモスクワのアパート連続爆破事件(犠牲者200~300人)は、FSBの偽旗作戦(注後記)と言われているが、当時のロシアはチェチェンの反政府武装勢力の仕業だとして同地に攻め込んで制圧し、この成果によって当時首相だったプーチンが、2000年3月の大統領選で勝利を収めるに至っている。
その他、プーチンが黒幕となって行われたと疑われる暗殺事件が、以下のとおり多く発生しているが、いずれも犯人が特定できなかったり、首謀者も判明しないままとなっている。
●アンナ・ポリトコフスカヤ(ジャーナリスト、2006年10月暗殺、享年48)
・主に第二次チェチェン紛争における内情を詳報して、FSBを批判。
・モスクワ市内の自宅アパートのエレベーター内で射殺体で発見。奇しくも、プーチンの誕生日の出来事。
・複数の実行犯は逮捕され服役したが、黒幕は依然不明。
●アレクサンドル・リトビネンコ(FSB元職員、英国に亡命した反政府活動家、2006年11月暗殺、享年44)
・1998年に、FSBの一部幹部職員が政治的脅迫や契約殺人(殺人教唆)等の犯罪活動にFSBを利用していると告発。
・当時のFSB長官のプーチン(1998~1999年在任)に直訴するも関心を示されなかったために記者会見を実施。
・以降、政治的弾圧や迫害に苦しめられたために2001年に英国に亡命し、反政府活動に勤しんでいたところ、2006年11月に自宅で何者かに毒(追って、放射性物質ポロニウム210と判明)を漏られて3週間後に死亡。
・英国当局が、犯人は元KGB職員2人と認定したが、ロシア政府は全否定した上で、犯人の引き渡しを拒否。
●ポール・ジョイヤル(現68歳、元CIA職員、2007年3月暗殺未遂)
・プーチン政権を批判する活動をしていたが、3月初め、メリーランド州の自宅側で暴漢に銃で撃たれて重傷。
・事件発生の4日前、『NBCテレビ』ニュース番組に出演し、元ロシア・スパイのリトビネンコ氏毒殺は、ロシア政府によるプーチン政権批判者への見せしめだと強調。
・今現在、犯人特定、逮捕に至っていないが、当人はロシア政府の差し金だと主張。
●ボリス・ネムツォフ(エリツィン政権の第一副首相、2015年2月暗殺、享年55)
・2014年のクリミア半島併合に反対したり、ロシア軍がウクライナ東部の親ロシア派に軍事支援していると暴露。
・クレムリン宮殿至近のモスクワ川にかかる橋上で後ろから銃撃され死亡。犯人グループは逃走したままで未解決。
●ミハイル・レジン(ロシアメディア元幹部・プーチン顧問、2015年11月暗殺、享年57)
・2011年にビバリーヒルズ(カリフォルニア州)に居を構え、米ロ間を行き来。
・2014年、米上院議員の告発に基づき、連邦捜査局(FBI)が海外腐敗行為防止法(1977年制定)違反や資金洗浄容疑で捜査開始。
・2015年11月、ワシントンDC在のホテルの部屋で遺体で発見。ID等一切保持していなかったが、後日、駐米ロシア大使館が本人と特定。
・絞殺された疑いが濃厚で、犯人含めて特定できていないものの、CIAはロシア政府の差し金だと推定。
・米司法省の審問のためにワシントンを訪れていたためだが、奇しくも審問前日の出来事。
(注)偽旗作戦:攻撃手を偽る軍事作戦の一種。海賊が「降伏」の旗を掲げて敵を油断させて逆に相手の船を乗っ取るという行為に由来。自国の軍民が他国やテロリスト等からの武力攻撃を受けたかのように偽装して被害者であると主張したり、あるいは緊張状態にある両勢力間で漁夫の利を狙い、いずれかの側から攻撃が行われたように思わせて戦争を誘発させるといった行為を指す。
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トランプ陣営は、フロリダ州自宅の家宅捜索によって押収された文書類について、連邦捜査局(FBI、1908年設立)ではなく第三者に検証させるよう、悪あがきともとれる訴訟手続きを取った。しかし、トランプ前大統領の元側近で袂を分かった複数が、同前大統領は極秘文書を自己顕示欲を満たすために保持していたとし、本来大統領職にある者が遵守すべきことも全く理解していなかったと酷評している。
8月22日付
『AP通信』は、「ホワイトハウスの元報道官、ドナルド・トランプ前大統領にとって機密情報は“ピカピカの新しい玩具”と証言」と題して、同前大統領の元側近が、機密情報をあたかも新しく手に入れた玩具のように取り扱っていた、と証言していると報じている。
FBIがドナルド・トランプ前大統領のフロリダ州別邸の家宅捜索で11種類の機密文書を押収した件について、ホワイトハウス元職員が、トランプ前大統領は在任期間中、秘密情報をよく見せびらかせていたことで知られていると証言した。
ステファニー・グリシャム元報道官(45歳、2019~2020年在任)によると、同前大統領は機密情報を“まるで新しく手に入れたピカピカの玩具のように扱って友人らに見せびらかせていた”とし、“多くの人が危険にさらされるかも知れない機密情報を自分が扱っていることを自慢していた”という。
同氏は更に『AP通信』のインタビューに答えて、トランプ氏は機密情報の取り扱いについて“不注意”であったとも付言した。
『AP通信』はこれまでも、トランプ前大統領の機密情報の取り扱いについて何度か疑問視する報道をしてきた。
例えば2018年に安倍晋三首相をフロリダ州のマー・ア・ラゴ私邸に招待した際、会食に同席した人物が、両首脳が北朝鮮のミサイル発射に関わる機密文書を見ている様を携帯電話
で写していたことを取り上げている。
当時、トランプはまた、過激派組織イスラム国(IS)指導者のアブー・バクル・アル=バグダデイ―容疑者(享年48)殺害作戦に関与した米軍用犬コナンの名前を無防備に公にしている。
グリシャム氏によると、コナンはベルジアン・シェパード・ドッグ・マリノアであるが、ホワイトハウス職員内で同犬の写真は撮影されないように注意を払うと示し合わせていたのに、トランプが勝手に公開してしまったという。
これによって、一緒の写真に納まった同犬の調教師らがIS崇拝者からの危険にさらされる恐れがあるとしたが、トランプは全くお構いなしだったとグリシャム氏は語っている。
同氏は更に、“この例で分かるとおり、前大統領は(機密情報の公開で)人命に危機が訪れることの危惧を全く頓着していないこと明らかだ”とも言及した。
同氏のコメントに関し、国家安全保障問題担当の元大統領補佐官だったジョン・ボルトン氏(73歳、2018~2019年在任)も『AP通信』のインタビューに答えて、“前大統領は、機密情報が如何に重要かだとか、機密情報が漏れることによって一部の関係者の命に関わる事態が発生する恐れがある等々について関心がなかった”と追認している。
更に同氏は、前大統領はいくつかの文書の機密性についてよく理解しておらず、(他者への)土産物程度でしかみていなかったと推察される、と語った。
すなわち、同氏によれば、“格好良いと思うものを欲しがっていたようなものだ”とし、“ある時はフライドポテトが気に入ったとして手に入れ、またある時は機密文書を集めたいと思ってそうしたに違いない”と酷評している。
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