日本は、古くから「単一民族国家」意識が強く、1951年国連採択の「難民の地位に関する条約(難民条約、注後記)」に拘る余り、世界基準と比較して「難民受け入れ」に非常に消極的と批判されてきた。しかし、今回のロシアの軍事侵攻に伴う、ウクライナ難民の受け入れは、従来に比して非常に柔軟な対応をしている。そこで米メディアが、これを契機に、日本における難民受け入れの制度改善に向かう可能性が期待されると論評している。
7月1日付
『ザ・ディプロマット』オンラインニュース(2001年設立、インド太平洋地域の政治・社会・文化専門ニュース)は、「ウクライナ戦争を契機に、日本の難民受け入れ制度変更の兆し」と題して、従来より難民受け入れに消極的だった日本が、ロシアの軍事侵攻によって故国を離れざるを得なくなったウクライナ人を積極的に受け入れていることから、これを契機に制度改革が起こる期待について論評している。
日本はこれまで、難民受け入れに非常に消極的と批判されてきている。
しかし、岸田文雄首相(64歳)の主導の下、ウクライナ軍事侵攻のロシアを厳しく非難する裏返しとして、従来になくウクライナ人の受け入れに前向きな対応をとっている。
まず、日本に親戚や知人がいるウクライナ人に限定して受け入れを始めたが、すぐに無条件で戦火を逃れた全てのウクライナ人を受け入れることとなり、偶々現地に派遣されていた政府専用機にウクライナ人20人を搭乗させて日本に連れてきたこともある程である。
日本が4月16日現在で受け入れたウクライナ人は649人で、直近10年で受け入れた難民(注2後記)の2倍以上となっている。
ただ、日本が受け入れ前提で考察したのは、1951年難民条約で定義された“難民”の条件に当てはまらないウクライナ人を受け入れるため、“避難民”と解釈することで居住権や福利厚生を適用できるようにしたことである。
そもそも日本は、難民条約を1979年に批准して適用を始めたが、この契機となったのが1975年に終結したベトナム戦争に伴い発生したインドシナ難民(ベトナム、ラオス、カンボジア)であった。
テキサスクリスチャン大(1873年設立の私立大学)のマイケル・ストラス政治学部教授は、日本が1975~2005年の間にインドシナ難民を約1万1千人(編注;外務省データによると1万1,319人)受け入れているが、日本の「単一民族国家」意識から考えて異例のことであり、恐らく国際的危機に則った緊急避難的に日本の割り当て分の受け入れに応じたものだと分析している。
従って、同教授は、今回のウクライナ人受け入れも、インドシナ難民の際と同様、短期的な緊急支援の一環の措置であると解釈されるとコメントしている。
しかし、スリランカ女性が名古屋出入国管理局下の収容所で死亡した事件を契機に、日本の「出入国管理及び難民認定法(ICRRA、注3後記)」の中に「ノン・ルフ―ルマン原則(注4後記)」に反する条項が含まれていることが問題提起されるに至っている。
松野博一官房長官(59歳、2021年就任)は、ウクライナ戦争勃発後、“日本国は、戦争によって逃れた人々を守ることに最善を尽くす”と表明していた。
そこで、従来の“難民”認定条件を緩和する“準難民”という定義を定めたICRRA改定法案の検討が始められるのではないかと期待されている。
ただ、ハーグ応用科学大(1987年設立、オランダの市立大学)のウィリアム・トーマス・ワースター国際法教授は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR、1950年設立)や多くの欧米諸国が、冷戦時に採択された1951年難民条約における難民の定義を時代の変遷に合わせて拡大・適用してきているのに対して、日本は「単一民族国家」意識からか、大きく後れを取ってきていると批判している。
しかし、実際問題、新たな法制定の動きは曖昧なままではあるが、日本政府が積極的にウクライナ人を受け入れている。
従って、日本の現行法での難民認定事情は国際基準に合致していないものの、今回のウクライナ人対応を契機に、新たな段階に進んでいくものとみられる。
(注1)難民条約:1951年7月、難民および無国籍者の地位に関する国連全権委員会議で、難民の人権保障と難民問題解決のための国際協力を効果的にするため採択した国際条約。1954年発効。同条約第1条で、難民とは「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義されている。
(注2)直近10年で受け入れた難民:2010~2020年の間、タイ、マレーシア他のアジア地域滞在のミャンマー難民を250人余り受け入れている。以降も、年1~2回、約60人を限度に難民認定審査の上で受け入れる態勢をとっている。
(注3)ICRRA:出入国管理制度(日本国への入国、帰国、日本国からの出国、外国人の日本国在留に関する許可要件や手続、在留資格制度、出入国在留管理庁の役割、不法入国や不法在留に関する罰則等)、並びに難民条約及び難民議定書に基づく難民認定制度等を定めた日本の法令。1951年制定。
(注4)ノン・ルフールマン原則:生命や自由が脅かされかねない人々(特に難民)が、入国を拒まれ、あるいはそれらの場所に追放したり送還されることを禁止する国際法上の原則。1951年難民条約及び1967年議定書で成文化。但し、難民や亡命者として認めないことで、この原則を回避しようとする国が多いことが指摘されている。
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オーストラリアとインドは4月2日、暫定的な自由貿易協定(FTA)について合意したことを発表。「豪印経済協力・貿易協定(ECTA)」と題されたこの協定は、両国間の貿易を飛躍的に増加させるだけでなく、オーストラリアの中国へのサプライチェーン依存を解消することを目的としている。しかし、一部のメディアは、インドは中国の代わりにはなれないと報じている。
香港の
『サウスチャイナモーニング・ポスト』は、オーストラリアとインドとの協定は、地政学的変化の中で、オーストラリアが切望していた貿易の多様化と安全保障上の同盟国であるインドとの関係を深める手段として有効だと見られていると伝えている。オーストラリアのモリソン首相は、豪印協定は民主主義諸国がサプライチェーンの安全性を確保するために協力するというメッセージであり、パンデミックが中国を中心とした供給網に大混乱を招いて以来、その必要性がより一層高まっていると述べている。
シドニー工科大学教授でチーフエコノミストのティム・ハーコート氏は、今回の協定は「経済的というより地政学的」なものであり、総選挙を控えている豪政府は有権者に対して複数の主要貿易相手国を持つことを示す必要があったと述べている。一方で「インドが新しい中国になることはあり得ない」と指摘している。豪シンクタンク「パースUSAsiaセンター」の政策研究員で豪印関係を専門とするソニア・アラクカル氏は、「オーストラリアは、インドであれ中国であれ、一つの貿易相手をやみくもに優遇することはできず、多様化戦略を追求しなければならないことを学んだ」と述べている。
アデレード大学国際貿易研究所のピーター・ドレイパー事務局長は、完全な貿易協定を結んだとしても、オーストラリアにとってインドは中国に取って代わることはできない、と主張している。インドは汚職や「制度的空白」など、国内の制度的な弱点を抱えており、より規制の厳しい環境に慣れている起業家にとっては、インドでのビジネスは困難なものだという。
オーストラリアの政治アナリストで米誌「ディプロマット」のコラムニストであるグラント・ワイス氏は、インドは中国共産党政府が過去20年にわたって行ってきたような開発を指示できる中央集権的メカニズムに欠けていると指摘している。
米『インターナショナル・ビジネス・タイムズ』によると、ロングアイランド大学のウダヤン・ロイ教授も、「インドの市場の非効率性は、商品市場や資源市場において非常に根深く、近い将来に改善されるとは思えない。例えば、労働市場では、10人以上の企業は解雇ができない。これは、企業が大きくなり、規模の経済を実現するための阻害要因になる」と指摘している。さらに、公共事業、通信、運輸、エネルギー、銀行など経済のいくつかの分野で、政府と大企業の癒着があり、競争を制限し、資源を浪費しているという。例えば、「銀行は経済的な基準ではなく、政治的な基準に従って企業に資源を配分している」という。
シンクタンク「Sibylline」のアジア太平洋地域担当リードアナリストであるGuo Yu博士は、「インドと中国は発展段階が異なるため、一方が他方に取って代わるという考え方をするのは助長的(あるいは有益)ではない。」と述べている。また、「インドは若い人口を大量に抱え、労働集約的な製造業でますます優位に立ち、その民主的な政治制度から多くの欧米諸国から好まれるパートナーとなっている。これとは対照的に、中国はここ数年、中国と米国の戦略的対立の激化に支えられ、敵対的とは言えないまでも厳しい地政学的環境に直面している。欧米の多くの政府は中国に対して強硬な姿勢をとり、中国の貿易や投資に対する監視を強化している。」それでも、「中国は比較的よく整備されたインフラ、高度なスキルを持つ労働力、急速に拡大する中間層を抱える広大な市場により、政治的・地政学的な課題にもかかわらず、国際ビジネスにとって魅力的な経済国であり続けている。」そのため、インドが中国に代わる存在になることは難しいと見ている。
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