既報どおり、米軍の原子力空母“セオドア・ルーズベルト”乗組員の新型コロナウィルス(COVID-19)感染問題で、派遣されていた南シナ海での中国活動監視が疎かになっている。そしてこの程、ドナルド・トランプ大統領勅命で強化されていた、カリブ海における反米ベネズエラ政権の麻薬取引取り締まりに参加していた戦艦乗組員にもCOVID-19感染問題が発生したため、同海域での作戦も手薄になっている。
4月29日付
『ザ・ディプロマット』オンラインニュース:「米海軍駆逐艦、COVID-19感染問題で帰港」
米海軍は4月27日、南米カリブ海で任務に当たっていたミサイル駆逐艦“キッド”乗組員の中でCOVID-19感染者が確認されたため、任務を切り上げて母港サンディエゴに帰港するよう命じたと発表した。
同軍によると、同艦の半分近くの47名が感染し、うち2人は既に米本土に搬送されたという。
同艦は他の数艦とともに、今月初めにトランプ大統領が決定・指示した、反米国家ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権の資金源となっている麻薬取引取り締まり作戦のため、カリブ海に派遣されていた。
『米海軍協会ニュース』(1873年創刊)によると、米軍艦のうち既に26隻でCOVID-19感染者が出ており、そのうち原子力空母“セオドア・ルーズベルト”を含めた4隻は、太平洋海域の任務に就いていた。
また、原子力空母“ロナルド・レーガン”も、目下定期点検のため横須賀港に帰港しているため、一時的に太平洋海域の任務に就く空母打撃軍はゼロになっている。
従って、現在同海域に配備されている最大軍艦は、13機の最新鋭ステルス戦闘機F-35を搭載した強襲揚陸艦“アメリカ”で、同艦は目下、マレーシア・中国が睨み合いをしている南シナ海南西端のマレーシア沖に派遣されている。
なお、米海軍作戦部長のマイケル・ギルデー大将は、全艦に対して、軍所属の隊員の健康と安全を第一に考えて対応するよう指示を出した。
米海軍では現在、1,600人以上の乗組員がCOVID-19に感染しており、うち空母“セオドア・ルーズベルト”乗組員1名が死亡している。
一方、4月28日付『ニューズウィーク』誌:「ベネズエラとキューバ両国、米軍によるカリブ海軍艦配備はCOVID-19問題をそらすための便法と非難」
トランプ大統領は今月初め、麻薬密輸取引を取り締まるため、南米のカリブ海及び東太平洋海域に軍艦を増派すると発表した。
同作戦の主たる対象は、反米のマドゥロ政権が絡むとされる麻薬違法取引である。
これに先立つ先月下旬、米司法省は、マドゥロ大統領がコロンビア革命軍と結託して、ナルコテロリズム(注後記)を仕掛けていると断罪している。
しかし、ことあるごとに米国と対峙してきたキューバは、ベネズエラとともに、カリブ海等に軍艦を増派するのは南米諸国の脅威となるだけだとした上で、自国におけるCOVID-19抑制失敗に対する批判をそらすために他ならない、と強く非難している。
(注)ナルコテロリズム:麻薬を密輸、密売する組織がそれを取り締まる当局などに対して行うテロリズムのこと。日本語では麻薬テロと呼ぶこともある。1983年に、当時ペルーの大統領であったフェルナンド・ベラウンデ・テリーが、麻薬警察に対する麻薬組織の攻撃をナルコテロリズムと呼んだことに発する。
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3月6日付
『ザ・ディプロマット』オンラインニュース:「
『タイム』誌選出の時の人(女性)100人のうちのアジア人女性に注目」
米『タイム』誌は、1927年以来、その年に最も影響を与えたと評価される“時の男性(Man of the Year)”を選出してきた。
この中で、初めて選出された女性はウォリス・シンプソン(1896~1986年)で、離婚歴ある米女性として英国のエドワード8世国王と結婚したが、貴族から妃を選ぶとの英王室の歴史を覆した等の理由で、同国王は退位を余儀なくされ、ウィンザー公爵となっている。
以降、女性として選出されたのは僅か4人であった。
同誌は1999年、世の中の動きに即して、タイトルを“時の人(Person of the Year)”に変更している。
そしてこの程、同誌は2020年、これまで選出された“時の女性”100人を特集したが、その中で、アジア人女性も何人か選出されている。
なお、英語で創刊されている同誌は、特に西洋世界の“時の人”を選出してきているが、アジアも決して注目されていない訳ではない。
後述せるとおり、中国、アフガニスタン、パキスタン、フィリピン等々、有名人であろうと無名であろうと、世界、あるいはその国に影響を与えていると評価される人が多く選出されている。
1922年 向警予(シャン・チンユ、1895~1928年):中国共産党の当時の数少ない女性党員の一人。1922年に同党女性局々長に就任。同誌は選出の理由として、“女性の権利及び大規模労働運動展開に貢献”したと評価。なお、中国国民党によって処刑されている。
1927年 ソラヤ・タルジ王妃(1899~1968年):アフガニスタンのアマニュラン・カーン国王の妃。進歩主義思想を広めた知識人リーダーの息女で、王妃になった後、当時の一夫多妻制を改めさせ、また、少女の教育推進にも取り組んだ。しかし、1929年、内乱勃発に伴い、国王とともに国外追放されている。
1928年 アンナ・メイ・ウォン(1905~1961年):ロスアンゼルス生まれで、ハリウッドで有名になった初の中国系米国人女優。ただ、当時の米国では異なる人種間の結婚を禁止する法律等、人種差別が激しく、また、外国人としか認められないことに嫌気がさして1928年に欧州に渡り、そこで大成功を収めた。
1937年 宋美齢(ソン・メイリン、1898~2003年):中華民国指導者蒋介石(チャン・カイシェック)の妻。日中戦争の折り、米国から支援を得る工作で中心的役割を演じた。同誌も、“時の人”として蒋介石を選出した際、同夫人として同時に選出。なお、1943年、米両院議会で初めて演説した中国人となった。
1945年 呉健雄(ウー・チェンシュン、1912~1997年):中国系米国人物理学者。中国江蘇省(チャンス-)生まれだが、物理学の博士号取得のため、1936年に渡米し、カリフォルニア州立大学バークレー校で取得。1944年、マンハッタン計画(注2後記)に参加し、ウラン燃料の濃縮手法の研究に貢献。当時同誌は、“原子爆弾の核となる、核分裂性原子U-235からウラン238を抽出することに成功した”と評価。
1947年 アムリット・カウアー(1889~1964):インド人活動家・政治家。王族出身ながら、インド独立運動(1857~1947年)に邁進し、インド独立後の1947年、初代厚生大臣に就任。女性の教育、忍耐主義、更には児童婚制の廃止に貢献。
1972年 パッツィー・タケモト・ミンク(日本名竹本まつ、1927~2002年):日系米国人三世で、ハワイ州初の女性弁護士。また、米下院史上初の有色女性、かつアジア系米国人議員で、ハワイ州選出議員として12期務めた。1972年制定の、教育改革法第九条項(注3後記)草稿に貢献。当時同誌は、“同法制定によって、女性アスリートにも平等の権利が与えられ、また、女子学生・スタッフへのセクシャルハラスメントが防御された”と評価。
1976年 インディラ・ガンジー(1917~1984年):インドの政治家で、初の女性首相(第5及び8代)。父はジャワハルラール・ネール初代首相。1966年に初組閣した際、周りからは“お飾り大臣”として、実権は与党内の有力政治家が握ると予想されていたが、強力な指導力を発揮。その後中央集権に力を入れ、1971年バングラデシュ独立を支援するためパキスタンとの戦争も主導。1984年に暗殺された。
1979年 屠幼幼(トゥ・ヨウヨウ、1930~):中国浙江省(チューチャン)寧波(ニンボー)生まれの医学者。1969年より、マラリア治療研究チームのリーダーに抜擢され、1972年、抗マラリア薬の開発に成功。1979年、その研究成果が初めて英語で世界に紹介。2015年、ノーベル生理学・医学賞を受賞。
1986年 コラソン・アキノ(1933~2009年):フィリピン第11代大統領。1983年、夫で野党党首のベニグノ・アキノ・ジュニアが暗殺された後、遺志を継いで独裁者フェルディナンド・マルコス大統領への対抗運動を展開。1986年、マルコスの対抗馬として大統領選に出馬。結果、マルコス当選とされたが、不正が発覚し、ピープル・パワー革命(注4後記)を経て、マルコスに代わって大統領に就任。
1990年 アウン・サン・スー・チー(1945~):ミャンマーの非暴力民主化運動指導者。父のアウンサン将軍暗殺(1947年)を受けて、後にミャンマー軍事独裁政権に対抗していく。1990年、最初の自宅軟禁(1989~1995年)の身であるにも拘らず、率いる国民民主連盟(NDL)が総選挙で大勝し、世界に名が知れ渡り、同誌も“時の人”として選出。1991年にノーベル平和賞を受賞。2度目の自宅軟禁(2000~2010年)を経て、2015年の総選挙でNDLが再び大勝し、初めて軍事政権から権力を奪取。ただ、2017年発生のロヒンギャ族への軍による武力攻撃を擁護するに至り、それまでの民主化運動の救世主としての名誉に傷が付いている。
1995年 緒方貞子(1927~2019年):国際政治学者。日本人唯一、かつ女性初の国連難民高等弁務官に就任(1990~2000年)。特に、湾岸戦争(1990~1991年)時のクルド人難民、ルワンダ虐殺(1994年)時の避難民、更に冷戦(1947~1991年)に伴う多くの難民の救済に注力。2002年、小泉純一郎首相に委嘱されて、アフガニスタン支援政府特別代表に就任。
2009年 マララ・ユスフザイ(1997~):パキスタンの人権活動家。2009年1月、11歳の時に、パキスタン北部の地元政権パキスタン・タリバーン運動(TTP)による女子高破壊活動等を非難するブログがBBC放送を通じて世界に初めて発信。しかし、2012年、女性の権利を真っ向から否定するTTPによる銃撃事件に遭遇。顔と首を撃たれたものの生還し、以降、女性への教育の必要性や平和を訴える活動を継続。2014年、ノーベル平和賞を受賞し、ノーベル賞受賞最年少記録を樹立。
2018年 マリア・レッサ(1963~):フィリピン人ジャーナリスト。2018年、同誌が“迫害・暴力に立ち向かうジャーナリスト守護者”として選出したときの一人。2011年にフェイスブック上で立ち上げた『ラップラー』というソーシャル・ニュースサイトが、フィリピン国内で最も活動的なニュースサイトのひとつと認定。なお、現在もドゥテルテ政権を批評するインターネット運動を続けているが、複数の罪状で逮捕されたり、告訴されたりしている。
(注1)『タイム』誌:1923年創刊の米ニュース雑誌で、世界初でもある。1927年以来、その年に影響を与えた人として“時の人(当時は男性)100人”を選出してきている。なお、男女平等権の広がりから、1999年に“時の人”にタイトルを変更している。
(注2)マンハッタン計画:第二次大戦時、ナチス・ドイツなどの原子爆弾開発計画にあせった米・英国・カナダが共同で行った原子爆弾開発・製造計画。1945年7月、世界で初めて原爆実験を実施し、同年8月初め、広島、長崎で初めて原爆が投下され、合計数十万人が犠牲となった。
(注3)教育改革法第九条項:連邦政府から援助金を受けている学校や大学に対し、性別に基づいての差別を禁じる法律。
(注4)ピープル・パワー革命:1986年2月22日のフィリピン軍改革派将校のクーデター決起から25日のアキノ政権樹立に至る、フィリピンで発生した革命。100万人の市民が改革派将校を支持したことから、マルコス大統領が失墜し、米国に亡命。
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