インド最高裁が他宗教間の結婚を認める判断を示す(2018/04/13)
インドの最高裁判所は、イスラム教に改宗したヒンドゥー教徒の女性に対し、イスラム教徒の男性と結婚する権利を認める決定を下した。下級審は結婚を認めないとしていたが、これを覆す画期的な決定として、各国メディアが12日までに報じている。
現在26歳のこの女性は、インド南部のケララ州の小さな町で、伝統的なヒンドゥー教徒の両親によって育てられた。訴訟記録によれば、その後大学進学のために家を出たが、その頃イスラム教に改宗して改名し、改宗後に結婚サイトを通じて夫と出会い、結婚を決意したと主張している。
2人は2016年の12月に結婚したが、夫がイスラム過激派との疑いを抱いた女性の父親が、彼女を取り戻すために既に訴訟を提起していた。...
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現在26歳のこの女性は、インド南部のケララ州の小さな町で、伝統的なヒンドゥー教徒の両親によって育てられた。訴訟記録によれば、その後大学進学のために家を出たが、その頃イスラム教に改宗して改名し、改宗後に結婚サイトを通じて夫と出会い、結婚を決意したと主張している。
2人は2016年の12月に結婚したが、夫がイスラム過激派との疑いを抱いた女性の父親が、彼女を取り戻すために既に訴訟を提起していた。女性は2年にわたる裁判を通じ、自分の意思に基づいて行動しているとの立場を貫いたが、女性の家族は、彼女がイスラム教徒の夫に洗脳され、ヒンドゥー教からイスラム教に改宗を強いられたと主張していた。
昨年5月、下級審は結婚を無効化し、女性を家族のもとに戻すという判断を下したが、インド最高裁は今週初めの9日、これを覆す決定を行い、「裁判所は結婚に同意した成人間の結婚を無効化する権利はない。」との見解を示した。さらに家族の望みにより「彼女の基本的な人権が抑制されることは許されない」として、配偶者を選択し、他の宗教に改宗する自由は、ともに憲法上保障された人権であると判示した。
ヒンドゥー教はインド国民の多数が信仰する宗教であり、国勢調査のデータなどによれば、同国の13億の人口の内の80.5%に当たる8億2,800万人がヒンドゥー教徒だという(74%との統計もあり)。イスラム教徒は13%、キリスト教徒は2.3%となっている。
インド国内では、異なる宗教間の結婚は、長い間激しい反発を受けてきた。最近では、ヒンドゥー教右派のナショナリズムの高揚により、イスラム教徒の男性がヒンドゥー教徒の女性をイスラム教に改宗させることによって、同国で政治的に有利な立場に立とうとする戦いをしているという主張が支持を拡大している。
ムンバイを拠点として女性の人権問題に取り組むフラビア・アグネス弁護士は、最高裁の決定を評価し、宗教を理由に配偶者の選択という個人の権利に何人も介入できないことを示した点で重要な判断だと指摘した。
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初のカースト最下層出身の女性議員誕生、パキスタン議会選挙(2018/03/05)
今月3日に行われた選挙で初当選となったのは、パキスタン人民党(PPP)候補のクリシュナ・クマリ・コーリ氏で、ヒンドゥー教の教えに基づくカースト制度の中でも最下層「ダリット」出身だ。地方出身者のコーリ氏は、ここまで来られたのは、彼女に教育を受けさせ、大学の学位を取得するまで援助してくれた両親のおかげであると話した。党に参加する前は非政府組織で活動していたが、(PPP)に加入し、同党はシンド州出身の彼女を候補指名した。...
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今月3日に行われた選挙で初当選となったのは、パキスタン人民党(PPP)候補のクリシュナ・クマリ・コーリ氏で、ヒンドゥー教の教えに基づくカースト制度の中でも最下層「ダリット」出身だ。地方出身者のコーリ氏は、ここまで来られたのは、彼女に教育を受けさせ、大学の学位を取得するまで援助してくれた両親のおかげであると話した。党に参加する前は非政府組織で活動していたが、(PPP)に加入し、同党はシンド州出身の彼女を候補指名した。
コーリ氏は「とても嬉しく思っている。議員になれるとは思ってもみなかったことだ。」と喜びを表現した。さらに「私は虐げられた人々の権利のために活動し続ける。特に女性の社会的地位の向上や、健康、教育には力を入れていきたい。」と述べた。
グリット出身で、社会的に不利な状況から女性が議員になることはまれで、世間も歓迎ムードで、ソーシャルメディアでも好意的な意見が広がった。人権活動家のジブラーン・ナシール氏は「コーリ氏を指名したPPPを称賛する。真の民主主義を追求する中で、あらゆる宗教、身分、性別の代表者が議会に必要だ。」と主張した。
今回行われた選挙ではパキスタンの国会と4つの州議会の議員が選出され、6年任期の104名のうち半数が改選された。今月下旬には就任の宣誓が行われる予定だ。
パキスタンでは人口2億人に対し約2%がヒンドゥー教だと言われている。1947年の独立戦争による分裂で、多くのパキスタン人のヒンドゥー教徒はインドへ逃れた。残った者は、政治的にも経済的にも底辺となり、他の少数民族同様、多数を占めるイスラム教徒たちの差別の対象となっていた。
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