インドと中国は、1962年の中印国境紛争(注1後記)勃発以来、ヒマラヤ山脈の東部と西部地域で、国境を巡ってしばしば抗争を起こしている。一昨年夏も、両国の軍隊が3ヵ月余り睨み合いを続ける事態が発生している。しかし、世界1,2位の人口を抱え、また、新興国にあって最も経済成長を続けている両国は、BRICS新興国グループを組織して、先進国グループに対抗すべく金融・経済部門では共闘してきている。それでも、こと領有権問題となると、自国の主張は全く譲れないのか、インドのナレンドラ・モディ首相が、中国の春節休暇の時期に中印国境紛争地域を電撃訪問したことから、中国外交部(省に相当)はすぐさま非難する声明を発表している。
2月9日付米
『ロイター通信』:「中国、インドのモディ首相が国境紛争地域を公式訪問したことに対して非難」
中国外交部は2月9日、インドのナレンドラ・モディ首相が中印国境紛争地域の一つであるアルナーチャル・プラデーシュ州(注2後記)を公式訪問したことから、“断固として反対”すると抗議する声明文を公表した。
同首相は、5月に予定されている総選挙に先駆けて、自身の与党であるインド人民党(注3後記)の候補者応援のため、同州での様々な公式行事に出席したものである。...
全部読む
2月9日付米
『ロイター通信』:「中国、インドのモディ首相が国境紛争地域を公式訪問したことに対して非難」
中国外交部は2月9日、インドのナレンドラ・モディ首相が中印国境紛争地域の一つであるアルナーチャル・プラデーシュ州(注2後記)を公式訪問したことから、“断固として反対”すると抗議する声明文を公表した。
同首相は、5月に予定されている総選挙に先駆けて、自身の与党であるインド人民党(注3後記)の候補者応援のため、同州での様々な公式行事に出席したものである。
中印両国は、特に最近両国関係修復に向けて努力しているものの、1962年発生の中印国境紛争以来、同地域の領有権問題について双方の主張が対立したままである。
そこで中国外交部は、両国の友好関係を損なわないよう、国境問題複雑化に繋がる行動は控えるべきで、かつ、中国の国益を尊重するべきだと強く訴えている。
しかし、インド外務省報道官は、同州は“完全、かつ、不可譲なインド固有地”であるとして、中国側主張を一蹴した。
更に同報道官は、同地域がインドの固有の領土であることは中国側に何度も公式に伝えているとした上で、同首相がインド国内の他地域を訪問するのと同様、全く非難される言われはないとも付言している。
中印両国間では、2017年夏にも両国軍隊が睨み合いを続ける事態が発生している。
一方、モディ首相及び習近平(シー・チンピン)国家主席は、両国間貿易拡大のため、昨年何度も会談しているが、インド高官によると、進捗度は極めて低調とコメントしている。
一方、2月10日付中国『環球時報』(『新華社通信』配信):「中国、モディ首相の中印国境紛争地域訪問に対して猛抗議」
中国外交部の華春瑩(ホァ・チュンイン)報道官は1月9日、インドのモディ首相が、中印国境東部地区-インド側が“アルナーチャル・プラデーシュ”と呼ぶ地区-を訪問したとの同日朝のニュースに対して、非難声明を発表した。
同報道官は、中国側はこれまで一切“アルナーチャル・プラデーシュ”地区がインド領であることを認めたことはないと強調した。
更に同報道官は、隣接する両国の友好関係に鑑み、中国の国益を蔑ろにしたり、また、“国境問題を複雑化、かつ、再燃化”させるような行為は慎むべきであるとも付言した。
(注1)中印国境紛争:1962年、ヒマラヤ山脈西部のチベット・カシミール間にあるラダック地域と、東部のチベット・インド国境地域で発生した中印間の軍事紛争。戦闘事態は中国の勝利に終わり、中国が新たに国境を一方的に引き直しているが、インドが実効支配をしている地域を含めて、両国間の国境問題は長い間未解決状態が続いている。
(注2)アルナーチャル・プラデーシュ州:ヒマラヤ山脈東部の中国・インド国境紛争地帯において、インドが実効支配している領域に、インドが1987年に設けた州。東はミャンマー、北は中国(チベット自治区)、西はブータンに挟まれている。中国は、同地域を蔵南地区と呼んで、同州の大半の領有を主張している。
(注3)インド人民党:1980年設立のヒンドゥー至上主義を掲げる保守党。イスラム教やキリスト教がインドの価値観に合致しないと批判するが、政教分離やカースト制解消などには基本的に賛成する穏健派政党。
閉じる
現在66歳のガンビール・シンさんは、北東部マニプール州の州都インパールの出身で、26歳だった1978年、自宅を出た後に行方がわからなくなった。その後家族との連絡は完全に途絶え、何の音沙汰もなかったという。
そして故郷から3,300キロ離れたムンバイの路上で、ボリウッド映画の劇中歌を歌う白いものが混ざった髭を生やした男性を撮影した動画が、昨年10月にユーチューブに投稿された。ボリウッドとは、ムンバイのインド映画産業の総称で、ムンバイの旧名のボンベイと米国のハリウッドを合わせたものである。...
全部読む
現在66歳のガンビール・シンさんは、北東部マニプール州の州都インパールの出身で、26歳だった1978年、自宅を出た後に行方がわからなくなった。その後家族との連絡は完全に途絶え、何の音沙汰もなかったという。
そして故郷から3,300キロ離れたムンバイの路上で、ボリウッド映画の劇中歌を歌う白いものが混ざった髭を生やした男性を撮影した動画が、昨年10月にユーチューブに投稿された。ボリウッドとは、ムンバイのインド映画産業の総称で、ムンバイの旧名のボンベイと米国のハリウッドを合わせたものである。
その動画の中で、男性は自分のことをマニプールのシンと名乗っていた。それを見たある視聴者がインパールの地元団体に連絡し、彼らがシンさんの家族に知らせたところ、この男性が身内であることが確認された。そしてインパールの警察から連絡を受けたムンバイの警察が、男性を同市郊外のバンドラにある駅の外で発見した。
男性の映像を撮影し、ユーチューブに投稿したストリート・フォトグラファーのシャキール氏は、「男性は路上で古いヒンドゥーの歌を歌い、物乞いをして金を恵んでもらっていた。」と説明している。男性は建築現場で働いていたが、2度ほど事故に遭い、酒におぼれる生活になったと語っていたという。シャキール氏は男性を頻繁に見かけたため、ある日彼が歌っているところを撮影することにした。
地元紙のタイムズ・オブ・インディアによれば、シンさんは元陸軍士官で、短い間結婚生活を送った妻と離婚し、その後インパールを離れた。動画は約5万5,000回再生され、身元の確認に役立った。シンさんの兄弟は「甥たちの1人が映像を見せてくれた時、自分の目を疑った。再び生きて会えるという希望はすっかり失っていた。」と語っている。
シャキール氏は、「この話は一筋の希望を与えてくれる。もし撮影した動画がある男性の人生を変えることができれば、これほど大きな奇跡はない。」と話している。家族や近所の人々は、早速シンさんが住む家をインパールに用意しているそうだ。
閉じる