イギリスのロック歌手デヴィット・ボウイ氏死去のニュースが11日世界中に衝撃を与えた。ボウイ氏は1年半に及ぶがん闘病の末、69歳で亡くなった。先週金曜日、自身の誕生日に3年ぶりの新アルバム「ブラックスター」をリリースしたばかりだった。様々な楽器を操り奇抜なファッションでも注目され、幅広い作品を世に残し、多くのアーティストに影響を与えた。ここ数年は衰弱した様子が心配されていたが、12月にも公の場に姿を見せていた。各界から彼の死を惜しむ声が聞かれた。
1月11 日付英
『BBC』は、次のように報じた。
「・デヴィッド・ボウイは、ポップのピカソであり、革新的で、先見の明があり、現状に満足せず常に変化しつづけるポストモダニストであった。
・ビートルズ、ストーンズやエルビス・プレスリーとともに、ポップを定義、マース・カニンガム、ジョン・ケージやアンディ・ウォーホルらの前衛的なアイデアを音楽とパフォーマンスに取り入れた。
・1972年に方向転換、彼の分身「ジギー・スターダスト」を演じることにより、グラム・ロック(*注)の中心として、1980年代の両性具有と今日のトランスジェンダー性を先駆けた。
(*注)イギリスで1970年代に流行したロックスタイル。”グラム”は魅惑的を意味する”glamorous”に由来。
・2004年心臓病を患ってから公の場に出ていないかった。最後のライブは2006年ニューヨークのチャリティコンサートだった。
・過去数年はNYに在住し、先週リリースの最後のアルバムは、プロデューサーよると世界中への”お別れの贈り物”として制作されていたものであった。先週の公式チャート1位となり43000枚以上を売り上げている。
・数百人のファンが生誕地である南ロンドンのブリクストンに設置された彼の絵の壁画の前に花やろうそくを手向けている。」
1月11 日付英
『ミラー オンライン』は、「ボウイ氏極秘がん闘病、最後の写真はやせ衰えいているが元気な様子であった」という見出しで次のように伝えた。
「・12月12日、自身の新譜原作のミュージカル「ラザラス」の初演イベントで、ニューヨークの劇場に姿を見せ、(今となっては闘病中であったはずだが)笑顔でファンの声に答えていた。
・闘病については極秘であったが、過去数か月はやつれており、公の場に殆ど姿を見せずファンの間では健康が心配されていた。
・ここ数年は病に伏したとの噂があり引退説が囁かれていた。2013年にはアルツハイマー病との噂があったが、同年10年ぶりにアルバム「ザ・ネクスト・デイ」をリリースし復帰を果たしていた。
・2014年には、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティは全く彼の頭は正常で以前より研ぎ澄まされている、心臓病の手術から回復して長い、とコメントしていた。」
1月11 日付英
『インディペンデント』は、「ボウイ死去 ベルリンの壁崩壊でドイツ政府は感謝」という見出しで次のように伝えた。
「・ドイツ外務省はツイッターで「さようならデビッド・ボウイ。今やあなたはヒーローの仲間入りをした。壁の崩壊を助けてくれてありがとう」とつぶやきライブ動画をリンクした。
・ボウイ氏はドイツと長い縁があり、冷戦時代の70年代半ばクラフトワークやノイ!等ドイツのバンドに惹かれ、1976年スイスから西ベルリンに引っ越し、ベルリンの壁の近くのレコーディングスタジオと自宅を自転車に乗る姿が見られていた。
ドラック中毒だったイギー・ポップ氏と共同生活し、1977年のアルバム「ロー」には当時影響がみられる。
・1978年のベルリン滞在中2枚目のアルバム「ヒーローズ」は二分する街の緊張感に代表される冷戦時代の影響がみられる。
・滞在中三枚目のアルバム「ロジャー」はパンクやニューウェーブからインスピレーションを受けた。収録後はスイスに戻ったが、その後も数年ドイツを頻繁に訪れていた。」
同日付ドイツ
『THE LOCAL』は、「ベルリン市民が親愛のボウイ氏を追悼」との見出しで、以下のように伝えた。
「・ベルリン市長は、市民に最も有名で広く愛されているスターの一人であるボウイ氏とベルリンとの関係は音楽的であり誇りに思うと述べた。
・訃報の朝からボウイ氏が嘗て住んでいたアパートの前には花やキャンドルが手向けられ、午後にはあふれるほどになり、名曲も流れており、地元紙もすべてトップニュースで伝えた。
・当時の”時代”から”個”への音楽的基礎を築き、「ヒーローズ」をドイツ語で「ハイデン」とし、ベルリンの壁近くの国会議事堂前のコンサートで歌った。
・市長は壁をテーマにした曲は現在でも自由を求める市民の”国歌”として心の支えとなっているのした。」
1月12日付米
『CNN』紙は、「世界中から偉大なミュージシャンへの追悼の声が届く」との見出しで多くのツイートを紹介した。
「・英キャメロン首相は、「私達の世代はボウイ氏の歌を聞いて育った。彼は革命の巨匠で、100年後も我々が聞き続ける作品を残して逝った。天才と呼ぶに値する人だった。」等とコメントした。
・イギー・ポップ氏は「デヴィッドとの友情は人生の光だった。これ程才能ある人にもう巡り会えない、最高の人だった。」とコメント。
・作家のJ.K.ローリング氏は、「彼がもっとこの世に生きてくれていたらと思う。安らかにお眠りください。」とコメントした。」
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米国では警官の過剰防衛により一般市民を射殺する事件が頻発しており、特に白人警官が武器を持たない黒人を射殺したケースでは、黒人住民による抗議行動が起き人種差別問題にまで発展することもある。これも銃器の所有が容易な米国社会では、不審な行動をとる相手が銃器を所有している可能性が高いので、どうしても警官が拳銃の発射に踏み切りやすくなることから来ていると思われる。この問題について「ワシントンポスト」はデータの収集及び独自の調査を行っているので紹介する。
12月26日付
『ワシントンポスト』は、「審判の年:警官の射殺約1,000人に及ぶ」という見出しで、今年米国の警官は約1,000回一般市民に発砲して殺害したと報じた。警官による一般市民の射殺事件があった場合、口コミビデオ、ボディカメラ、ドライブレコーダの普及によりその正当性について今まで以上に早く厳しい審判がなされる。不審者追跡の最後の段階で発射された一発の弾丸が、人命を終わらせ、仕事は挫折を迎え、暴動を生み、人種間の緊張を引き起こし、ひいては国の政治を変える。年間に及ぶ同紙の調査では、白人警官が武器を持たない黒人を射殺するケースのように地域住民の抗議に発展した事件は、全体の4%に満たない。また、警官の発砲により死に至った事件は概ねの三つのケース、即ち、殺害された人が武器を所有していたケース、自殺的乃至は精神障害があったケース、警官に静止を求められたにも拘わらず逃げたケースに分かれる。
武器を所有していないにも拘わらず殺された40%は黒人男性であり、黒人男性が米国の人口に占める6%を遥かに上回っている。また、明らかに武器を所有していて射殺された人の過半数は白人であり、武器の所有が明らかではなかったにも拘わらず射殺された人の6割は黒人かヒスパニックであった。依然人種が警官の発砲の引き金となっていることがわかる。人種に拘わらず四分の一以上のケースは不審者の追跡中に起こった。警官の追跡について厳しい規則を設けることが不必要な発砲を防ぐことになると専門家は言う。
ペンシルベニア州で検査期限切れの車を運転していた男を追跡していた警官が、テーザー銃(電気矢発射銃)で倒れた男が静止を要求したにも拘わらず静止しないため発砲して死に至らしめたケースでは、テーザー銃に付属のカメラで状況がビデオに撮影されていた。このようなビデオは警察側と一般市民側双方の有力な証拠となる。ペンシルベニア州のケースでは、ビデオを仔細に見れば男が強く抵抗しているようには見えないが、警官の弁護をする者はビデオを時間を掛けて見ればそうかもしれないが、警官は咄嗟の判断をしなければならないと言う。咄嗟の判断が不審者側、警官側双方にとり致命的な結果に結びつく。実際今年職務中の警官が射殺された数は36名に上る。射殺現場の撮影ビデオは警官が射殺により起訴される大きな要因となっている。今年警官が重犯罪として起訴された18の事件のうち10件はビデオが有力な証拠となっている。殺人罪に問われたペンシルベニアのケースは、不審者がポケットに手を入れる行為は警官に恐怖心を抱かせる根拠となるとの陪審員の判断で警官に無罪を言い渡した。
同紙は、警官射殺事件の背景の調査は驚くほどなされていないと主張する。これらの調査に責任を持つFBI(連邦捜査局)に全米18,000警察署の半分もデータを提供していない。FBIと連邦司法統計局の双方が統計データの不備を認めており、データ収集の新しいシステム構築を開始している。
精神病や情緒不安定を抱えた人も警官射殺の犠牲となっており、全体の四分の一を占める。昨年の犠牲者のうち243名は精神的な病を患っており、うち75名は明白に自殺行為であり、168名は精神病歴があった。精神病者に対しては警官もその対応について訓練が必要となる。
警官が殺人罪等重犯罪で起訴される事件は急速に増えている。過去10年で平均年間5名が起訴されていたが、今年は8名が起訴されている。但し、過去10年で起訴された65件中有罪となった事件は11件である。
追跡についての警察の規則は区々である。約半分の警察署はどのような犯罪であっても追跡を認めているが、残りの半分は犯罪を限定している。ただ追跡についてより厳しい規則を導入すればすべて解決するわけではない。発砲も減るかも知れないが、犯罪が増えることにも繋がる。各警官が自制して慎重に行動することが何より重要である。
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