ロシア動員令で隣国フィンランドも入国制限(2022/09/30)
フィンランドはロシアからヨーロッパへの抜け道として重要な入国地点となっていたが、ロシア人入国者の制限を発表、ロシアの軍事動員を逃れEU諸国をめざす最後のルートが閉ざされた。
9月29日付英
『BBC』:「ウクライナ戦争︰フィンランドがロシア人観光客の入国制限」:
フィンランドがロシア人の観光目的の入国を30日から制限する。ロシア近隣のEU加盟国としては最後となる。フィンランドの親族訪問や、就労、就学が理由での入国は受け入れが続いている。
ロシアのプーチン大統領が30万人の予備兵動員を発表したのを受け、多くのロシア人が国境に殺到したことで、ロシア国境付近では国外に出ようとする人が殺到。...
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9月29日付英
『BBC』:「ウクライナ戦争︰フィンランドがロシア人観光客の入国制限」:
フィンランドがロシア人の観光目的の入国を30日から制限する。ロシア近隣のEU加盟国としては最後となる。フィンランドの親族訪問や、就労、就学が理由での入国は受け入れが続いている。
ロシアのプーチン大統領が30万人の予備兵動員を発表したのを受け、多くのロシア人が国境に殺到したことで、ロシア国境付近では国外に出ようとする人が殺到。渡航ビザを必要としないジョージアとの国境でも同じように長い列ができているという。フィンランドは、ロシアと1300キロ国境を接しており、渡航ビザなく入国できる。
29日、フィンランドのペッカ・ハーヴィスト外相は記者会見で、30日深夜から開始される入国制限には、動員令が大きく影響しており、この決定は現在の入国状況への対策だとしている。ヨーロッパ各国を自由に行き来できるシェンゲン協定による観光ビザでの入国も禁止される。外相は、ロシア人の流入は、フィンランドの各国との国際関係を脅かすものだとも危惧している。
今月初頭、EU諸国も、ロシアとの査証協定を停止することで、ロシア人のビザ取得手数料を引き上げるなどして、ビザ取得をより難しいものにしている。ウクライナ侵攻以降、EU諸国に渡航したロシア人は100万人以上とされる。ロシアと国境を接するポーランド、エストニア、ラトビア、リトアニアも、既にロシア人の入国を制限している。
ノルウェーも、短いながらも、ロシアと国境を接している。EU加盟国ではないが、シェンゲン協定域内にあたり、ビザを所得したロシア人が、同国を経由しEU諸国に渡ることが可能となる。しかし先週、ロシアとのビザなし渡航は停止された。ノルウェーでも、動員令後、ストルスコグ国境検問所でのロシア人入国者が微増したと報じられている。
同日付米『ニューヨーク・タイムズ』:「フィンランドがロシア人観光客の入国を禁止」:
フィンランドが29日、ロシア人入国者の制限を発表、ロシアの軍事動員を逃れEU諸国をめざす最後のルートが閉ざされた。まだ就労や就学などの「人道的理由」による入国は許可されているが、入国者は激減するものとみられている。
フィンランドはロシアからヨーロッパへの抜け道として重要な入国地点となっていた。欧州国境沿岸警備機関(FRONTEX)によると、先週はヨーロッパに渡った6.6万人の3分の2が、フィンランドからの陸路で入ったという。フィンランドに観光ビザで入国する人のほぼ8割が他国へ向かうという。
フィンランド政府はロシア人観光客の制限策を検討してきたが、今月のプーチン大統領による動員令が、決定への「大きな影響力」となったとする。動員令により、ロシア人男性はウクライナ戦争への派遣を逃れようと国外脱出を図っている。
フィンランドの外交政策は、ロシアという近隣大国に常に影響を受けてきた。ウクライナ侵攻後は早急に安全保障強化を目的として中立と軍事非同盟戦略を転換、6月にはNATO首脳が正式にフィンランドとスウェーデンの加盟に合意している。
ロシア人の入国は週末をピークに減少。政府統計によると、27日の入国者は7000人で、ロシアへの入国の2倍だったが、ロシアが男性兵役対象者の国境へのアクセスを制限し始めたことで、28日には4700人に減った。フィンランドは今月既に、ロシア人への観光ビザ発行数を90%減らし、滞在日数もわずか100日としている。
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中国が歴史教科書を修正:「香港はイギリスの植民地ではなかった」(2022/06/17)
2019年の香港での民主化デモをきっかけに、中国当局は香港の公共科目である市民権思想教育を批判。公共の新たな教科書は、中国の愛国的教育に重点を置くものとなっているという。
6月16日付米
『ニューヨーク・タイムズ』:「”香港はイギリスの植民地ではなかった”と教科書に記載」:
世界の多くの学校では、香港はかつてイギリス帝国の植民地だったと教えられてきたが、香港の学生は今後、違った歴史授業を教わることとなるという。
香港の民主化運動弾圧や、イギリスから中国へ返還されるより遥か以前から、中国は一貫した歴史観を主張してきた。現在、香港は1997年7月1日の中国返還25周年を迎えようとしている。...
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6月16日付米
『ニューヨーク・タイムズ』:「”香港はイギリスの植民地ではなかった”と教科書に記載」:
世界の多くの学校では、香港はかつてイギリス帝国の植民地だったと教えられてきたが、香港の学生は今後、違った歴史授業を教わることとなるという。
香港の民主化運動弾圧や、イギリスから中国へ返還されるより遥か以前から、中国は一貫した歴史観を主張してきた。現在、香港は1997年7月1日の中国返還25周年を迎えようとしている。この流れから、香港の高校で秋から使用される4つの新規教科書で、香港がイギリスの植民地だった事実が否定されているというのだ。
この教科書は学校関係者や教育庁の専門家により精査が行われ、使用許可が下りるものとみられている。今週地元のネットニュースでは、検定済みの一部抜粋が報じられた。教科書には、中国の習主席が、愛国的国民や「香港の学生のマインドを守る」との大義が掲げられ、「次世代に、香港は中国の一部で自治権をもたないと植え付け、中国政府を支持するよう仕向け、香港を改変しようとする」政府方針が垣間見れるという。
1997年の返還条件で、中国は、香港の社会経済システムを50年間変革させないとの条件を飲んだが、これが揺らぎ2014年デモが勃発。弾圧を強化する中国共産党に対抗した2019年の民主化デモを機に、中国は反対派を処罰し、言論の自由を制限、独立系ニュース機関や民主指導者を弾圧し始めた。
教科書編集者の一人である専門家は、中国は以前からイギリス支配に疑問を持っていたと指摘する。1997年の人民日報には、「イギリスは香港を典型的な植民支配下においたが、これは香港が植民地ということを意味していない。通常、植民地というのは、外国に自治権を奪われた国を指していう。香港は中国領土の一部であるため、植民という概念は当てはまらない」とある。
中国は香港の支配権を手放していない、1997年は香港への支配権を取り戻したと認識し、イギリスの「植民的支配」があった点だけ認めている。教科書でも勿論、中国の立場を反映したものとなる。
昨年市民と社会発展と名を改めた新科目は、香港の中国返還を学習計画の一部に組み込むもので、愛国心や「揺るぎない中国の統治管轄権」や国家安全法により重点を置く内容となっている。その教師向けテキストの抜粋では、香港での共産党の立場が強調されており、「イギリスの支配は、国際法に違反するもので、香港への統治権は合法的とは言えない」、「香港は植民地ではなく、自治決定権も持たない」とある。
同付英『BBC』:「香港:新板教科書で香港はイギリスの植民地ではなかったとの記載」:
新たな改定教科書では、中国に自治権があったとの主張を強調し、香港はイギリスの植民地ではなく、「植民的支配を実施したにすぎない」と記載されている。
中国は、香港の支配権を手放したと認めず、イギリスへの割譲は1800年代の不平等なアヘン戦争条約によるものだと主張、1842年からイギリスの支配下にあっただけで、中国の自治領だとの認識を持っている。一方、イギリスは150年の支配の後に1997年、香港を中国へ返還。イギリスは香港について、その支配下にあり、植民地でもあり独立自治領でもある港町香港は、世界有数の金融中心地となったと認めている。
最近の動きは、香港は一貫して中国の一部だったが、イギリスの支配が及んだ時期もあるとの認識で、
中国のアイデンティティを香港の学生に植え付けようとするもの。
地元メディアの報道によると、教科書では、「植民地と植民的支配の違い」の説明として、「国が外地の領土を植民地と呼ぶには、統治体制に加え、統治主権も持ち合わせていなければならない」と記載されているという。香港の場合、イギリスは「植民的支配を実施していたにすぎず、香港はイギリスの植民地ではない」とされている。
この新教科書は香港の「市民思想や法と愛国心」を中心とした講義向けの教科書で、クリティカルシンキングや市民権思想などの教養科目に置き換わる教科だという。中国当局は、2019年の民主化デモの際、このような教育が若者を過激化させ、間違った思考を植え付けたとし、直接この教科を批判していた。中国当局の承認待ちとされるこの新たな教科書では、民主化デモは治安維持への脅威だとする中国側の解釈を反映したものとなっているという。
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