国際的研究:飲酒は寿命を縮める(2018/04/13)
【13日付
『AFP通信』『ITV』】 アルコール摂取ガイドラインを無視して飲酒することは、寿命の低下につながるとの研究が発表された。約60万人を対象としたこの国際的な調査で、毎週100グラム以上の純アルコールを摂取する人は早期死亡の危険性が高くなることが判明した。
この研究は12日、医学雑誌
『ランセット』に掲載され、アルコールを多く摂取する人は、脳卒中、心不全、および致命的な動脈瘤を罹患するリスクが大きくなることも報告されている。
研究は、19カ国の30~100歳までの心血管疾患既往歴のない飲酒者599,912人を対象とした。調査中40,310人の死亡が確認され、対象者が申告したアルコール摂取量との相関が調べられた。その結果、週に100グラム以上のアルコールを摂取した場合、すべての死因において増加がみられた。...
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この研究は12日、医学雑誌
『ランセット』に掲載され、アルコールを多く摂取する人は、脳卒中、心不全、および致命的な動脈瘤を罹患するリスクが大きくなることも報告されている。
研究は、19カ国の30~100歳までの心血管疾患既往歴のない飲酒者599,912人を対象とした。調査中40,310人の死亡が確認され、対象者が申告したアルコール摂取量との相関が調べられた。その結果、週に100グラム以上のアルコールを摂取した場合、すべての死因において増加がみられた。
週に100~200グラムの純アルコールを摂取した人は、100グラム未満の飲酒者と比べ、平均寿命が約6カ月短かった。
週に200~350グラムのアルコール、つまりワインやビール10~18杯を継続的に摂取する40歳の男性は、平均寿命が1~2年短くなった。
毎週350グラム以上のアルコールを摂取する人は、寿命が4~5年短くなる可能性がある。
筆頭著者でケンブリッジ大学のアンジェラ・ウッド博士は、次のように述べている。「この研究の主なメッセージは、すでにアルコールを飲む人は量を減らすことで寿命が伸び、いくつかの心血管疾患のリスクを軽減できるということである。」
共著者のデューク大学のダン・ブレイザー氏は「この研究により、以前は安全と考えられていた飲酒量が、実際には寿命低下やいくつかの望ましくない疾病に影響していることがわかった」と述べた。
100グラムを超えて摂取したアルコール1単位は寿命を平均15分縮める。これはたばこを1本吸うのと同じくらいのリスクだとケンブリッジ大学のデイビッド・シュピーゲルハルター教授は言う。
適度の飲酒は善玉コレステロールを増やし、動脈硬化のリスクを低減する。またこの研究では、飲酒が心臓発作のリスクを下げる作用があることが明らかになったが、他のリスクと天秤にかけると「結局」飲酒による健康上の利点はないと専門家は言う。
著者らは、多くの国で週あたりのアルコール摂取量が約100グラムまたは12.5単位に引き下げられるべきであると勧告した。
イギリスのガイドラインは、2016年に男女とも週14単位または112グラム未満に変更された。112グラムとは、アルコール度数4%のビール約6パイント(1パイント≒500ミリリットル)または175ミリリットルのグラスに注いだアルコール度数13%のワイン6杯に相当する。
イタリア、ポルトガル、スペインの上限はこの約1.5倍の量となっている。
米国男性の推奨上限値は、1週間あたり約25単位(196グラム)である。女性は、体重がより軽く血中アルコール濃度がより速く上昇することから、上限が男性の半量の98グラムに設定されている。カナダとスウェーデンは米国と同様のガイドラインを有する。
イギリス心臓病支援基金(BHF)上級栄養士であるヴィクトリア・テイラー氏は、この研究は英国における政府のガイドラインを裏付けるものだと語った。しかし次のようにも付け加える。「数字を基準にしていればよいという意味ではない。英国人の多くは飲酒量が上限を上回っている。ガイドラインは目標ではなく上限として理解されるべきで、飲酒量がこの基準を十分に下回るようにしなければならない。」
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ベルリン、アフリカ植民地時代の通りの名称を変更(2018/04/13)
【13日付
『BBC』『AFP通信』他】 ベルリン市は、ナミビア占領中の残虐行為を思い起こさせる通りの名称の使用を止める。アフリカでの残虐な植民地時代の歴史への遅ればせながらのけじめとして、代わりに民族解放のために闘った人々の名を付ける。
ベルリンのミッテ区議会は、十数年にわたる議論の末、11日の夜、アフリカン・クォーターでの新街路名使用を勧告することについて投票を行った、と広報担当のメリータ・アーセク氏が発表した。「地区評議員による最終決定にはさらに1カ月ほどかかるかもしれない。4月19日の次の公聴会で、決定日を発表できる可能性が高い。」とアーセク氏はAFPに語った。
1884~1919年にかけて、当時ドイツが南西アフリカ(現ナミビア)で行った残忍な植民地支配を連想させる街路名を排除する動きは、地元活動家にようやく長年切望していた勝利をもたらした。...
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ベルリンのミッテ区議会は、十数年にわたる議論の末、11日の夜、アフリカン・クォーターでの新街路名使用を勧告することについて投票を行った、と広報担当のメリータ・アーセク氏が発表した。「地区評議員による最終決定にはさらに1カ月ほどかかるかもしれない。4月19日の次の公聴会で、決定日を発表できる可能性が高い。」とアーセク氏はAFPに語った。
1884~1919年にかけて、当時ドイツが南西アフリカ(現ナミビア)で行った残忍な植民地支配を連想させる街路名を排除する動きは、地元活動家にようやく長年切望していた勝利をもたらした。
多民族の労働者階級が多いウェディング地区のアフリカン・クォーターには、ドイツ領南西アフリカの創設者アドルフ・リューデリッツ、西アフリカ長官のグスタフ・ナハティガル、そして今日のタンザニアにあたるドイツ領東アフリカの創設者カール・ペータースにちなんだ街路名や街区がある。
ウェディング地区も、12世紀の貴族ルドルフ・ド・ウェディンゲが命名の由来だ。
「アフリカン・クォーターはいまだ植民地主義とその罪を美化している。これは我々の民主主義の理解と対立し、永続的にベルリン市に悪いイメージを与える。」とドイツ社会民主党(SPD)、緑の党、左翼党(リンケ)の議員らは共同で語った。交通の流れに基づいて地区を再開発後、マジ・マジ大通り、アンナ・ムンガンダ大通り、コーネリアス・フレデリックス通り、ベル広場といった名称に変わる。
マジ・マジとは、自由を求める闘争で使用されたスローガンであり、1905年のドイツに対するアフリカ最大の蜂起の名前(マジ・マジ反乱)にもなった。
アンナ・ムンガンダは、独立運動における主導的役割を果たしたヘレロ族最初の女性であった。コーネリアス・フレデリックスはナマクア族の蜂起を率いた。ドイツは1904~1908年にかけてこれら先住民族数万人を殺害した。これは歴史上20世紀最初の大虐殺と言われている。
ルドルフ・ドゥアラ・マンガ・ベルはドゥアラ族(今日のカメルーン)の王であり、1910年代に妻エミリーとともに白人の領土奪取に抵抗した。
イギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国と比較すると、ドイツのアフリカ植民地支配は非常に暴力的だった期間が比較的短かった。ドイツは植民地時代の残虐行為を認めているものの、ナミビア政府への開発援助に数百万ユーロを費やしていることを理由に直接賠償を拒んでいる。
通りの名称変更の承認に向けての準備は整っているように見えるが、日刊紙「ターゲスシュピーゲル」は、住所変更に伴う費用に不満を抱く住民や企業が反対する可能性はあると伝えている。
この議論は、保守的なキリスト教民主連合(メルケル首相の所属政党)からの支持を得ている。極端な保守主義を唱えるAfDは通りの名称変更自体に反対している。
区議会は原則として2016年に名前を変更することに合意し、名称の候補を選定するため、南アフリカの反アパルトヘイト活動家で歌手のミリアム・メクバさんやケニアのノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイ氏を含む審査員団を任命した。さまざまな候補について、長く、時には熱い議論を重ね、最終的なリストを完成させた。
アフリカン・クォーターは、第一次世界大戦前夜に、起業家のカール・ハーゲンベック氏が地区にアフリカの動物や人間を展示する公園を計画していたため、このように名付けられた。ハーゲンベック氏の早過ぎる死により計画は実現されなかったが、ドイツ植民地時代を称えていくつかの通りは改名された。
ナチス時代、ベルリンの壁による冷戦時代、その後の東西統一にあわせて、ベルリンでは通りや広場の改名が繰り返されてきた。
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