1つ目は、現ローマ法王の出身母体であるイエズス会系の雑誌であるにもかかわらず、表現の自由の観点から、「シャルリ・エブド襲撃の翌日にウーベ編集長率いるエチュード誌のトップページで、カトリックとローマ法王に対して不敬とも言える、シャルリ・エブドの一面記事を掲載する。“恐怖に屈しない事”と“多次元的社会を擁護する事“を求める言葉を添え、“権威をあざ笑えるのは勇気の印”、“信仰でのユーモアは狂信に対する解毒剤”との結論を導く」。具体的には「ベネディクト16世が辞任後に陽気にスイスの傭兵にキスし、“ついに自由だ!”のセリフが添えられたり、ローマ法王フランシスコがリオの海岸でバレリーナの格好をする」風刺画も含まれる。
2つ目は、フランスは自由を掲げる国であると同時に、今でもローマカトリックが影響力をもつ点である。このため伝統的に権威に対抗するシャルリ・エブドは、ローマカトリックもたびたび標的としてきた。
「シャルリ・エブドのエチュード誌掲載が、論争を引起し、犠牲を払う事になったのは、エチュード誌には予想外だった」事はこの二つの側面を表す。「我々カトリックはシャルリ・エブドの論説を共有しないが、共感したのは表現の自由の擁護だった」とウーベ編集長は説明するが、「強力で保守的なカトリックサイト
『サロン・ベージュ』は、ローマ法王フランシスコやベネディクト16世の卑猥な描写をあえて掲載した事は、想像を絶する。神は嘔吐し我々も吐き気を覚える」と投稿し抗議文を送った。しかし「イエズス会からの圧力はなかった」とウーベ編集長は断言した。抗議デモ以来、一部イエズス会は右派の烙印を押され、法王とイエズス会自体にも敵意を向けられている。同類に扱われる事を危惧して議論をなだめるために、エチュード誌はこのページを削除した」とリベラシオンは報じる。,BR>
『AFP通信』とリベラシオン紙は、ローマ法王フランシスコの見解を引用する。「表現の自由は全ての人がもつ“基本的権利”である」と認めつつ、「“他を貶める事なく”行使されるべきである」と述べ「“神の名のもとに殺す”という表現は常軌を逸脱している」と例を挙げる。
フランスメディアの指摘どおり、言論の自由の名の下にどこまで許容されるかの議論は今後益々白熱し、不可欠でもある。日本のヘイトスピーチで「殺せ」という言葉が繰り返された時、請願署名サイトで暴力的なヘイトスピーチの規制を、自治体に求める署名活動が行われた。これを言論の自由への攻撃と呼ぶ人は少ないだろう。
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