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伊達公子、ラストゲーム・伝説の終焉と始まり(9月13日)
「今日は100%にはほど遠いプレーになることはわかっていたんですけど…チャンスを与えていただいて、テニスプレーヤーとしてすごく嬉しく感じました」伊達公子、現役最後の舞台は、グラフを破った思い出の地・有明だった。
伊達は昨年、膝の軟骨移植手術を実施。経過は良好だったが、今季は肩の故障に苦しめられ、ついに二度目の引退を決意した。最後の出場大会となったジャパン女子オープンの一回戦。相手は世界ランク67位のクルニッチだったが、0-6、0-6で敗退。...
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「今日は100%にはほど遠いプレーになることはわかっていたんですけど…チャンスを与えていただいて、テニスプレーヤーとしてすごく嬉しく感じました」伊達公子、現役最後の舞台は、グラフを破った思い出の地・有明だった。
伊達は昨年、膝の軟骨移植手術を実施。経過は良好だったが、今季は肩の故障に苦しめられ、ついに二度目の引退を決意した。最後の出場大会となったジャパン女子オープンの一回戦。相手は世界ランク67位のクルニッチだったが、0-6、0-6で敗退。現役最後の試合は1ゲームも奪うことが出来ない、いわゆる“ダブルベーグル”で幕を閉じた。対戦相手のクルニッチは24歳。伊達よりも22歳も若い彼女にとっても伊達は伝説の存在だった。クルニッチは伊達の最後の相手になったことについて「この後ロッカールームで泣いてしまうかもしれない」と、レジェンドに対しての胸の内を語った。
「これから日本のテニス、そして世界のテニスを応援してくださったらと思います。本当にありがとうございました」最後の挨拶でファンへの感謝を述べ、かつて日本テニス界で最強を誇ったプレイヤーはコートを去った。10日に閉幕した全米オープンではノーシードのS・スティーブンス(24)が初優勝。女子テニス界はいま、新たな時代の幕開けを予感させている。
一方、車いすの部女子シングルス決勝では上地結衣が14年以来2度目の優勝を果たした。上地は全豪・全仏に続き今季三つ目の四大大会制覇。すでに生涯グランドスラムは達成しているが、一年間四大大会を全制覇する年間GSにもあと一歩まで迫る実りあるシーズンとなった。
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桐生祥秀「10秒の壁」突破とライバルの存在(9月12日)
平成29年9月9日の「9」並びの日に、陸上100m走で日本人選手初の9秒台(9秒98)を出した桐生祥秀。アシックスジャパンは11日、今回の記録達成時に彼が履いていた同モデルのスパイクについて、「9足限定」での販売を発表した。伊東浩司が10秒00を記録してから19年。ついに10秒の壁を破った歴史的快挙に列島中が沸き立っている。
現在、日本陸上競技連盟理事を務める高野進(400m走日本記録保持者)は、テレビ番組の解説で、記録達成の要因に決勝で戦ったライバルの存在を挙げた。...
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平成29年9月9日の「9」並びの日に、陸上100m走で日本人選手初の9秒台(9秒98)を出した桐生祥秀。アシックスジャパンは11日、今回の記録達成時に彼が履いていた同モデルのスパイクについて、「9足限定」での販売を発表した。伊東浩司が10秒00を記録してから19年。ついに10秒の壁を破った歴史的快挙に列島中が沸き立っている。
現在、日本陸上競技連盟理事を務める高野進(400m走日本記録保持者)は、テレビ番組の解説で、記録達成の要因に決勝で戦ったライバルの存在を挙げた。今大会で2位に入った多田修平である。「記録を狙うと急いだ動きになり、速く走れない。相手と競り合うことによってより多くの力が出る」と「記録よりも勝負」となったことが奏功したと指摘した。ちなみに多田のタイムも10秒07と自己最速を記録。これは桐生とともにインカレの大会新記録であった。
決勝ではスタートダッシュした多田が中盤までトップを走ったが、桐生のスパートに躱された。レース後、「目の前で9秒台を出されてめちゃくちゃ悔しい」と、自己ベスト更新にも悔しさを露わにした多田。だが、彼の走りがあってこそ桐生の記録も生まれたのだといえよう。本当に素晴らしいレースだったと思う。
日本の陸上の歴史において、記録が残っている最古の100m走最速タイムは1911年の12秒0だという。それから100年余の年月を経て、ついに9秒台に突入した日本陸上界。桐生の偉業達成を発奮材料に、多田やケンブリッジ飛鳥、サニブラウンらが互いに切磋琢磨して、また新たな歴史を作っていくことだろう。
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グラチャンの熱戦は男子へ・石川&柳田に期待(9月12日)
5日間の熱戦を終えた女子に続き、12日からグラチャンバレーは男子大会が幕を開ける。男女ともに新体制となってから初の4大大会。最終日にメダルをかけて中国と戦った全日本女子・火の鳥NIPPONは1-3で敗れ5位に終わり、二大会連続の表彰台はならなかった。
「悔しいですね、やっぱり」涙を隠してしばらく後ろを向いていた中田久美監督。振り返ったその眼にいつもの力強さは戻ってきていた。「勝負事なので結果にはこだわっていかないといけない」古賀紗理奈、長岡望悠のエース二枚看板を欠いた中での世界大陸王者との連戦は予想以上に厳しいものだった。...
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5日間の熱戦を終えた女子に続き、12日からグラチャンバレーは男子大会が幕を開ける。男女ともに新体制となってから初の4大大会。最終日にメダルをかけて中国と戦った全日本女子・火の鳥NIPPONは1-3で敗れ5位に終わり、二大会連続の表彰台はならなかった。
「悔しいですね、やっぱり」涙を隠してしばらく後ろを向いていた中田久美監督。振り返ったその眼にいつもの力強さは戻ってきていた。「勝負事なので結果にはこだわっていかないといけない」古賀紗理奈、長岡望悠のエース二枚看板を欠いた中での世界大陸王者との連戦は予想以上に厳しいものだった。しかし、レセプションや、攻撃的なサーブの精度は以前より大きく改善。フルセットまで持ち込んだアメリカ戦、序盤まで大きくリードしたロシア戦など、「あと一歩」という惜しいゲームは多かった。東京五輪まで残り3年を切ったなかで、中田イズムをどこまで浸透できるか今後に期待したい。
一方、先月アジア選手権連覇を達成した全日本男子・龍神NIPPON。実力だけでなく人気も急上昇中で、大阪ラウンドのチケットはソールドアウトという盛況ぶりだ。その中心にいるのはやはり柳田将洋と石川祐希だろう。
世界ランキング1位のブラジルやアメリカなどを相手に、参加国中最も下位ランク(12位)の日本が果たしてどこまで食らいつけるか。「全部勝つつもりで、男子バレーの明るい未来を皆さんに感じてもらえるような試合を重ねていきたい(全日本男子・中垣内祐一監督)」すでに来年の世界バレーの出場権も得ている若き龍神たち。大物食いの予感と期待が止まらない。
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カーリングLS北見が五輪出場・藤澤五月、涙の訳(9月11日)
2日間に渡って行われた平昌五輪のカーリング女子日本代表決定戦。ロコ・ソラーレ北見が3勝1敗で中部電力を破り、創設7年で五輪初出場を決めた。北見のスキップ・藤澤五月は元中部電力所属。前回ソチ五輪では世界選手権で中部電力が日本の出場権を獲得したが、北海道銀行に代表決定戦で敗れてしまった。そして今回平昌の出場を得たのは世界選手権で銀に輝いたLS北見。お互いに絶対負けられない戦いだった。
カーリングは初の五輪種目となった長野五輪の際は「全日本選抜」という形でチームを構成して戦ったが、その後の冬季五輪大会は何れも単独チームでの出場となっている。...
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2日間に渡って行われた平昌五輪のカーリング女子日本代表決定戦。ロコ・ソラーレ北見が3勝1敗で中部電力を破り、創設7年で五輪初出場を決めた。北見のスキップ・藤澤五月は元中部電力所属。前回ソチ五輪では世界選手権で中部電力が日本の出場権を獲得したが、北海道銀行に代表決定戦で敗れてしまった。そして今回平昌の出場を得たのは世界選手権で銀に輝いたLS北見。お互いに絶対負けられない戦いだった。
カーリングは初の五輪種目となった長野五輪の際は「全日本選抜」という形でチームを構成して戦ったが、その後の冬季五輪大会は何れも単独チームでの出場となっている。「何故カーリングでは統一の代表チームを作らないのか?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれない。確かに他競技のように各チームから優秀な選手を選抜して、「日本代表」としたほうが最強チームを作れるのではないか、という指摘はあるだろう。
しかし、カーリングの世界においては他の強豪国も含め、単独チームをそのまま代表とするケースのほうが多いのである。チームならではの戦術があり、そして息の合ったチームプレイこそがカーリングという競技には何よりも重要。実際、選抜した統一チームを作った国もあったが、なかなか結果を出せず単独チーム方式へ戻している程である。また、熾烈な代表争いを繰り広げるからこそ、国内のレベル自体もアップしていくことができるとも言える。
故郷で4年越しの悲願を果たした藤澤。地元に立ち上げたチームを見事五輪へと導いた本橋麻里。支えてくれた北見のファンの前で、道産子たちは大きな夢を実現させたのであった。
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鳥谷敬、海の向こうの同期に続く2000本安打(9月9日)
「いつも通り、毎打席毎打席集中していこうという気持ちだったので特別な思いというのはなかったです」お立ち台で淡々と答える姿は普段通り。ストイックにバットを振り続けた男は自らの偉業達成に対しても冷静に振り返っていた。
通算2000本安打まであと「1」と迫っていた阪神タイガースの鳥谷敬は、8日行われたDeNAベイスターズ18回戦で、タイムリー2ベースを放ち、プロ野球史上50人目の2000本安打を達成した。...
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「いつも通り、毎打席毎打席集中していこうという気持ちだったので特別な思いというのはなかったです」お立ち台で淡々と答える姿は普段通り。ストイックにバットを振り続けた男は自らの偉業達成に対しても冷静に振り返っていた。
通算2000本安打まであと「1」と迫っていた阪神タイガースの鳥谷敬は、8日行われたDeNAベイスターズ18回戦で、タイムリー2ベースを放ち、プロ野球史上50人目の2000本安打を達成した。超満員の観客からの鳥谷コールも巻き起こる第一打席。2-0から「フォークだった(鳥谷)」というベイスターズ先発・井納の3球目を鋭く振り抜き、ライト前へと運んだ。二塁ベース上ではセレモニーが行われ、DeNAから早大時代の後輩・田中浩康と、昨季日米通算2000本安打を遂げている福留孝介の両名から花束の祝福を受けた。阪神の生え抜き選手としては、藤田平以来2人目。本拠地・甲子園での記録達成は球団史上初となる。
今シーズンは5月に顔面への死球で鼻骨を骨折する重傷を負いながら、フェイスガードをつけて翌日以降も出場した鳥谷。連続試合出場も8日現在1877試合で継続中である(歴代2位)。
今シーズンでは先月のジャイアンツ・阿部慎之助に続く記録達成。そしてもう一人、海の向こうではメジャーリーグ・アストロズ(当時)の青木宣親が6月、日米通算2000本安打を決めている。鳥谷と青木は早稲田大学時代、同期のチームメイトであった。タイガース一筋の鳥谷と、5球団目の移籍先で定位置獲得を目指す青木。共にプロ14年間で築き上げた輝かしい数字だ。今後とも更なる活躍を見せて貰いたい。
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