終わり行く秋を懐かしみ「六義園」の趣を求めた(その182)
12月9日、その日の午前8時45分頃、JR総武緩行線に乗り、秋葉原で山の手線に乗り換え、「駒込」駅で降りた。...
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12月9日、その日の午前8時45分頃、JR総武緩行線に乗り、秋葉原で山の手線に乗り換え、「駒込」駅で降りた。時計を見ると、9時を回った頃であった。
その朝は、少し冷え込み、ジーパンの下には、タイツを着込んでいた。
薄日がさしていたが、快晴というわけではなかった。
駅で降りて、国道を渡ると、「六義園」の入り口に着いた。ほんの2~3分の距離であった。
中に入ると、すぐに紅葉の世界に入った。早速スマホを掲げ、歩きながら動画を撮り始めた。
辺りは一面に、紅葉と落ち葉の世界になっていた。
その時間でも、既に多くの人々が、その景色を堪能しながら、歩いていた。
小鳥達のさえずりが自然豊かなその森の中に響いていた。
歩いてゆくと、ところどころに灯篭があり、赤く染まった木々と黄色くなったその間に紫式部という名の紫の実が時折、目についた。
ところどころに、池や川があしらわれて、カルガモがそこに浮かんで、遊んでいる光景に出くわした。
石段を上がってゆくと、燃えるような「もみじ」が、色鮮やかに化粧をし、鑑賞する人々に、その美しさを披露していた。
行きかう人々も、スマホかカメラの中に、その情景をしっかり収め、「日本の秋」の凄さを記憶にとどめている様であった。
時折、夜のライトアップのための照明が、良く計算された位置に置かれ、夜の楽しみを想像させた。
数百年前の庭園作りが、現代にもマッチし続け、日本人の美意識を完成させた、その情景には、深く感動してしまった。
大泉水を見ながら、緑茶を口にすると、大きな池の風景も目の中に調和して入ってきた。
確かに、春の桜の頃も良いが、秋深いこの季節の日本庭園には、至宝の情景が宿しているように感じた。
紅く紅葉した木々の美しさを目の奥に留めながら、水と小鳥のさえずりを耳の中に残して、出口に向かった。
体の中には、秋の至宝のすべてを吸収し、自然の美しさを享受した満足感を体一杯に感じながら、JR駒込駅から帰路に就いた。
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六義園の動画
松戸の本土寺で「見事な紅葉」に出会えた(その181)
12月2日、その日の朝9時ごろ、JR総武緩行線に乗り、市川駅から西船橋へ行き、武蔵野線に乗り換え、更に新松戸駅で、今度は常磐線(千代田線)に乗り、北小金駅まで行った。...
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12月2日、その日の朝9時ごろ、JR総武緩行線に乗り、市川駅から西船橋へ行き、武蔵野線に乗り換え、更に新松戸駅で、今度は常磐線(千代田線)に乗り、北小金駅まで行った。
そこまで、40分ほどかかった。その朝は少し寒さが深くなっていた。
北小金駅を降りると、本土寺まで参道を歩く人々の流れが続いていた。
10分ほど、参道を歩くと、本土寺の門が見えてきた。と同時にその向こうに真っ赤な紅葉が咲く(?)情景が浮かび上がってきた。
その時、心の中で「おっ」という驚きの声が浮かんだ。「やってきてよかった」という感情が湧いてきた。
周りの人々が、一斉にスマホをその方向に向けた。
門をくぐり、その中を覗くと、真っ赤な紅葉が茶色い葉の中にくっきり浮かんでいた。
私は、石階段を下りながら、早速スマホで動画を撮り始めた。
中に入ると、5重の塔にかかる紅葉や本堂に架かる紅葉など、赤い色が目立つ光景が目に入ってきた。
「ぴったりのタイミングだったな」と心の中で満足感が広がっていった。
奥に入ると、更にその景色には深みが出てきた。
紅葉の赤と、緑の木々や黄色に色づいた木々が見事な景色を作り出していた。
中を歩く人々は、賞賛の言葉を口にしていた。
同じ紅葉でも、その赤の濃淡の差が見事で、そのグラデーションには驚くばかりであった。
今シーズン、探していた、「紅葉の美しさ」はここにあったんだと、素直に喜んだ。
惜しむらくは、空には雲が垂れこめていたことだった。
小鳥たちのさえずりを聞きながら、更に奥へ入ってゆくと、池があり、その周りの木々の紅葉が深く、銀杏の落ち葉の黄色も見事に調和していた。
時折、見える祠も、うまく調和していた。
「超素敵」という、女性の声も耳に入ってきたが、それさえも、この景色の一分と思うほど、その空間は「紅葉」であった。
一時間ほど歩いたが、現実世界とは、異次元の空間にいるような錯覚にさえ陥り、深く紅葉した景色に癒された自分を感じていた。
帰りの参道を歩きながら、見事な空間に感謝をしていた。
その日は、北小金駅から、来る時と同じ経路で、市川駅まで戻った。時計を見るとまだ11時半頃であった。
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