この内容は9月1日付けのタイの英字新聞
『The Nation』で報じられた。研究グループのPeerasak Chaiprasart講師は、改良されたマハチャノック種マンゴーについて、抗酸化アントシアニンとカロテノイド色素の増強に成功していると説明した。
カロテノイドは黄色、オレンジ、赤色のフルーツや野菜に含まれている天然色素の総称であり、免疫システムの強化が可能だ。これにより、様々なガン、心臓病、白内障、目の網膜にできる加齢黄斑変性症のリスクを減らすことができる。さらにアントシアニンは赤、紫、青色の色素で、この色素が細胞変性を遅らせ、心臓病、脳卒中のリスクを減らし、消化器系の病原微生物を殺すことができる。
同教授は、「このマハチャノック種(ナンカンワン種とサンセット種のかけ合わせ)は、熟すと赤紫や黄赤色のマンゴーになる。」と話した。
この研究グループの成果は、収穫前のマンゴーにジャスモン酸メチルを取り込むことにより、ビタミンC、ブドウ糖、果糖、スクロース、カロテノイドを増量できると発見したことだ。カロテノイドはジャスモン酸メチルとエテフォンにより50%増量される。また、アントシアニンは、ジャスモン酸メチルと少量の一定の光によって増量でき、これによってマンゴーの表面はより赤くなる。
Peerasak講師は大学がこのプロジェクトを継続するだろうと述べ、特にこのプロジェクトにより、いずれマンゴーの生産者が通常の4-6月より長期にわたって生産できるようになるだろうと期待した。
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木曜夕刻、健康状態が長期不安定だったタイの在位70年を誇ったプミポン・アドゥンラヤデート国王が死去した。プミポン国王はタイの国民に親しまれ尊敬され、現代のタイ国家を築いたとされ、過去、国内で深刻な政治対立時には仲裁に入り、国を一つまとめた役割が大きいとされる。現在は緊張関係である米国とは、冷戦期、東南アジアで広がる共産主義のなか、1960年のアイゼンハワー元大統領からオバマ大統領まで、米国歴代6人の大統領と面会、東南アジアの窓口として米国との良好な関係を築いてきた。国王交代で、軍政権下で民主化が遠のくタイ政治への不透明感も増してくる。また、タイ国内が1年間の喪に服し、行事中止や消費の落ち込みで経済活動が滞るとし、経済に与える影響が懸念される。
10月14日付
『ヤフーニューズ』(AP通信引用)は「米国との懸け橋を担ったタイのプミポン国王」との見出しで以下のように報道している。
・現代のタイの繁栄と外交関係の礎を築いた功績は大きい。形式上政治に関与せず、近近の海外訪問は10数年前。米国は今尚東南アジア外交の窓口としてのタイに期待するも、14年の軍事クーデター以来緊密関係は薄れ、国王をなくして関係不安はぬぐえず。
・オバマ大統領は声明で「国王陛下は米国の近しい友人であり、米大統領にとり大切なパートナーであった。お悔やみ申し上げ、我々の心はタイ国民と共にある。」と述べた。12年オバマ大統領が国王が10数年滞在するバンコク病院に見舞い、歴代大統領とのアルバムを見たという。
・プミポン国王は、1927年米国生まれ。マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード医学部(国王の父の母校)の関連病院で生まれ、ケンブリッジにはプミポン氏の名がついた広場があり、ジョンケリー米国務長官は、「米タイの関係を築いた国王の恒久に続く記念」としている。
・1946年王位を継承、国王としての60年初渡米では、サックスを演奏、国王、王妃、王女がエルビス・プレスリーと並んだ肖像画は今もタイで親しまれている。
・1967年、軍への支援を目的とし再び訪米、タイはベトナム戦争への派兵と米空軍の補給基地提供。ベトナム戦争が激化し共産主義拡大を懸念した米国が東南アジアでの同盟国を求めていた時代、プミポン国王は中心的役割を果たし、両国の良好関係に貢献。ベトナム戦争後タイの戦略的役割は減ったが、良好な関係は継続。タイが再び民主政権となれば米国との関係も復活するだろう。
・マークトナー国務省報道官は、民主化への支援を示唆したが、今後1年は喪に服するため不透明。
10月13日付仏
『フランス24』(AFP通信引用)は「タイのプミポン国王、分裂した国の古き父」との見出しで以下のように報道している。
・タイ国王は「国の父」として7回の政権交代の危機を見守り、王権を復活させ、最も長い在位と求心力で確固たる地位を得、近代タイ社会の礎を築いた。
・2011年、「フォーブス紙」がプミポン国王を世界一裕福な君主と格付け。裕福ではあるが、贅沢品はまとわず、サックス演奏、写真、船と幅広い趣味でタイ国民に親しまれる。
・タイ国民は学校で国王の偉業を学び、映画館では開演前国歌が流され、国王の御前ではひざまずく。国王や王妃の巨大な肖像画が町中や家の中にも飾られる。
・70年代に国王は幾度かの政治危機で仲裁に入った、92年の軍と民主勢力との衝突では、大きく介入し両リーダーが国王にひざまずき事無きを得た。軍部によるクーデターでタクシン政権(赤シャツ)が滅んだ際、抵抗勢力から仲裁の要求があったが、国王は静観。
同日付英
『BBC』は次のように報道している。
・健康悪化の噂が広がる2日間の経過期間を経て、王室は木曜夕4時前国王が亡くなったと発表。
・TV演説で、プラユット首相はタイは1年間の喪に服すと宣言、1ヶ月間は半旗を掲げ、更に娯楽活動を控えるように」と述べ、治安への警戒も呼びかけた。
・国王は国中で尊敬され、その多くからは神の様に扱われている。多くの国民が国王のカラーである黄色やピンクの服を着て、病院の前で写真を持って回復を願った。
・首相は次期国王にはワチラロンコン皇太子が後継するとしたが、正式な宣誓は後日とした。首相は皇太子に後継する意思を確認したが、喪に服する期間が必要だという。
・殆ど海外(主にドイツ)で滞在した皇太子は父のような絶大な人気はない。政権が不安定なタイで国王が果たしてきた政権の仲裁という役割を考えると、後継は政府にとり痛手。
同日付タイ
『バンコクポスト』は「プミポン国王陛下死去」との見出しで次のように報道している。
・ 国営放送で、国王陛下がバンコクのシリラート病院で王族に見守られる中、穏やかに死去、と発表。12月5日に89歳になる予定だった。 チャクリー王朝9世として1946年6月王位継承、 ピンクと黄色の支持者の世界最長の在位70年を今年祝った。 数日は不安定な状態で治療が続けられていた。病院の前では数日間で回復を願う市民が急増。僧侶に托鉢し、祈りをささげる市民。各所の政府機関でも同種の行いを拡大し、多くの市民が祈り、几帳に訪れていた。
同日付タイ
『The Nation』は「シリラート病院前の民衆は悲しみ嘆く」との見出しで次のように報道している。
・午後7時の王室による国王死去正式発表の後、ソーシャルメディアで死去を知った病院前の多くの市民は、「国王よ永遠に」と叫び、嘆き悲しんだ。過去数日座り込んでいた人の中には失神し看護師に応急処置を受けた者もいた。私達を置いて行かないでください、と叫ぶ会社員の女性。死去の知らせを信じないとする人。その後正気を取り戻した市民らは国歌を謳い、「国王よ天国に」と祈りをささげ、その後も数時間たっても立ち去らない者もいた。多くの国民全体が同様に悲しみを受けている、西部の寺院でも祈りが捧げられた。
・下院事務局などの機関は、民主主義の推進者として国王陛下を讃えた。首相官邸は1年間喪に服し黒服着用と30日間の半旗掲揚を政府各所に通達した。
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