メキシコで水没していた教会が再出現(2015/10/22)
世界各地で異常気象が叫ばれる中、メキシコの大干ばつにより、貯水池から水没した
教会が姿を現したという。各メディアは以下のように報じている。
10月19日付
『ディスパッチ・タイムズ』は、メキシコ南東部のチャパス州を流れるグ
リハルバ川の水が引き、貯水池の水面に昔没した教会が現れたと伝えている。今回出
現した教会は高さ61メートル、幅14メートル、側面の壁は10メートルの高さであると
いう。当地域では雨不足のため、今年に入って貯水池の水位が25メートルも下がって
いた。
この教会は著名なスペインの歴史家・司祭のバルトロメ・デ・ラス・カサスゆかりの
建造物であり、彼は16世紀半ばに修道士らを連れてこの土地に教会を建てたのだとい
う。...
全部読む
10月19日付
『ディスパッチ・タイムズ』は、メキシコ南東部のチャパス州を流れるグ
リハルバ川の水が引き、貯水池の水面に昔没した教会が現れたと伝えている。今回出
現した教会は高さ61メートル、幅14メートル、側面の壁は10メートルの高さであると
いう。当地域では雨不足のため、今年に入って貯水池の水位が25メートルも下がって
いた。
この教会は著名なスペインの歴史家・司祭のバルトロメ・デ・ラス・カサスゆかりの
建造物であり、彼は16世紀半ばに修道士らを連れてこの土地に教会を建てたのだとい
う。1773年から1776年にかけて伝染病のペストが流行したため、この教会は使われな
くなったという。
当該教会は川沿いに建つ象徴的な存在として、地元住民に親しまれてきたが、1966年
に貯水池が造られたことにより水没したという。
同記事は
『ラテン・タイムズ』を引用し、地元の漁師がボートで観光客を教会まで運
んでいることをつたえている。
10月20日付
『WISHTV』(アメリカ)は、この教会は植民地時代のもので、サンチャゴ
寺院またはケチュラ寺院と呼ばれ10月16日にその全貌を現したと伝えている。
同記事によると、この教会の貯水池からの出現は今回で2度目であり、1度目は2002年
のことだったという。当時は今回の干ばつ時よりもさらに水位が低く、観光客は歩い
て教会の中まで入ることができたという。地元の漁師は電話でのインタビューに対し
「当時はお祝いムードで、みんなで一緒に教会で食事をしたり散策したり、商売した
りもした」と語ったという。
同記事は前出のバルトロメ・デ・ラス・カサスがこの地に入るまで、ソケ族というメ
キシコの先住民族が支配していたことにも言及し、また水没していた寺院には釣鐘堂
もあり、高さ10メートルだということも伝えている。
メキシコ政府と共同でこの教会の構造を研究しているカルロス・ナヴァレーテ氏によ
ると、このサンチャゴ寺院は近くにある1564年に建てられたのテクパタン修道院の支
部であったという。また、建築上の共通点が多いことからほぼ同時期に同じ建築家に
よって建てられたと推測されるとのことである。この教会はスペイン人が作った「王
の道」のそばにある点で歴史重要な意義を有し、20世紀までは人の出入りもあったと
いう。「当時は、今は無い梁や屋根があり、ペストの犠牲者のための大きな納骨堂も
あった。教会は人の集まる中心部となることを目指して建てられたのだろうが、その
目的が果たされることはなかった。専属の司祭もおらず、テクパタン修道院から派遣
される司教が職務を行っていたのだろう」。
10月20日付
『WUWM.COM』(アメリカ)によれば、この教会は通常水位30メートルの水
中に沈んでいるという。
また、同記事はこの教会を建てたバルトロメ・デ・ラス・カサスにも言及しており、
彼が入植後南アメリカでの奴隷制度、植民地支配の廃止を精力的に訴えたことを伝え
ている。
水不足の点から見れば教会は再び水没するのが望ましいのだろうが、観光の点からす
ればもうしばらく教会が見えるのも好都合なのだろう。
閉じる
アラブの春に新風(2015/10/13)
先週末ノーベル平和賞が発表された。憲法9条など、いろいろ取りざたされたが今年
はチュニジアの「ナショナル・ダイアログ・カルテット」(直訳で4団体による国家
に関する意見交換の会)の受賞である。2010年にチュニジアで始まったアラブの春も
記憶にはあるが、昨今の世界情勢の中で印象が薄らいでいた点は否めない。各メディ
アは以下のように報じている。
10月10日付
『ワシントンポスト』はAP通信の記事を引用し、今回の受賞は今年に入っ
てから2度もテロの被害を被った北アフリカ諸国に希望をもたらすものだとしてい
る。また、今回受賞したチュニジアの人権団体のリーダーが「受賞が自分たちの国だ
けでなく戦火にあえぐ全ての国への励ましになれば」と述べたコメントを掲載してい
る。
今回受賞した4団体の1つであるチュニジア人権連盟の会長であるベン・ムーサ氏は
「今回の受賞は2010年のアラブの春以降、ただひたすらに民主化を目指してきた賜物
であり、リビアのように国内紛争が恒常化している国への希望のメッセージだ」と
語ったという。...
全部読む
10月10日付
『ワシントンポスト』はAP通信の記事を引用し、今回の受賞は今年に入っ
てから2度もテロの被害を被った北アフリカ諸国に希望をもたらすものだとしてい
る。また、今回受賞したチュニジアの人権団体のリーダーが「受賞が自分たちの国だ
けでなく戦火にあえぐ全ての国への励ましになれば」と述べたコメントを掲載してい
る。
今回受賞した4団体の1つであるチュニジア人権連盟の会長であるベン・ムーサ氏は
「今回の受賞は2010年のアラブの春以降、ただひたすらに民主化を目指してきた賜物
であり、リビアのように国内紛争が恒常化している国への希望のメッセージだ」と
語ったという。また、もう1団体のチュニジア連合のブシャマウィ氏も「貧困と暴力
に苦しむ我が国の未来に対する心強いメッセージである。今回の受賞がきっかけで、
観光客が戻り、海外資本も投資活動を行ってくれれば」とコメントしている。
前述の2度のテロとは、チュニジアのバルド国立博物館とスース海岸での銃乱射事件
を指している。これらの事件以降、観光客の数が激減し、経済的な復興が望まれてい
るという。現在のチュニジアの経済成長は前年と同レベルかマイナスで、15%を超え
る失業率と6%もの物価のインフレに悩まされているという。
10月10日付
『ディスパッチ・タイムズ』(アメリカ)は、オバマ大統領も今回のチュ
ニジアの「ナショナル・ダイアログ・カルテット」の受賞を「イスラムと民主主義の
共栄」と歓迎していると伝えている。
今回の受賞団体である4団体が団結するなど、初めはあり得ない話だったという。
「ディスパッチ・タイムズ」はアメリカの非営利・公共のラジオネットワーク
『ナショナル・パブリック・ラジオ』の放送内容を引用し、「チュニジアは中東諸国で初
めて権力に立ち向かい支配を脱却しようとした国であり、国民はカルテットに信頼を
寄せている」としている。チュニジアは1956年にフランスから独立した後も政府高官
を巻き込んだ政治闘争の歴史を歩んできている。
今回の4団体のうちいずれも平和賞を選考するノーベル委員会とは関連性がなく、マ
スコミの予測やブックメーカーの賭け予想にもノミネートされていなかったという。
ノーベル平和賞の監視団体NPPWによると、チュニジアの首相と外務大臣だけは事前に
受賞の知らせを受けていたとはいうものの、「ノーベル氏すらも思い及ばないよう
な」圏外だったという。
2010年にノーベル平和賞を受賞した中国人の民主活動家である劉暁波(りゅうぎょう
は)氏は今回のチュニジアの「ナショナル・ダイアログ・カルテット」の受賞はアラ
ブの春が生まれた場所で、民主化の思想がいまだに息づいていることを示すものだと
している。「このままチュニジアが信頼に足る、民衆参加型のプロセスをたどること
ができたなら、チュニジア国民に正義をもたらすことになる。同時にそれはアラブの
春が波及した国々が相次いで失敗した中で、素晴らしい例外的な存在となるだろ
う」。
今後この4団体がリーダーを欠いたまま、分裂することなしに民主活動を進めていけ
るのか危ぶむ意見もあるという。ただ、ノーベル委員会によれば今回の賞は「チュニ
ジアの国民と混乱を極める中東諸国への激励となれば」とのことだという。中東諸国
で民主化に向けて歩き続けているのはチュニジアのみであり、カルテットの活動はそ
の動きを軌道に載せたという意味で、大変意義のあるものであるという。
しかしながら、チュニジアにもカルテットにも、まだやるべきことは残されていると
いう。前出のブシャマウィ氏も「民主化への道はまだ半ばだが、我々の行ってきたこ
とが正しかったことは証明された。若者の3分の1が失業中であり、これからもチュニ
ジアやその周辺国は民主化に向けて努力していくべきだ」と語ったという。
また「ディスパッチ・タイムズ」はノーベル平和賞を設けたノーベル氏の遺志を引用
している。「当該賞は国家間の友好関係の構築、敵対関係の解消、平和を促進する議
会の設立に貢献した者に贈られるべきである」。
今後のチュニジアの歩む歴史が受賞の正当性を評価することになるだろう。
閉じる
その他の最新記事