10月19日付
『ディスパッチ・タイムズ』は、メキシコ南東部のチャパス州を流れるグ
リハルバ川の水が引き、貯水池の水面に昔没した教会が現れたと伝えている。今回出
現した教会は高さ61メートル、幅14メートル、側面の壁は10メートルの高さであると
いう。当地域では雨不足のため、今年に入って貯水池の水位が25メートルも下がって
いた。
この教会は著名なスペインの歴史家・司祭のバルトロメ・デ・ラス・カサスゆかりの
建造物であり、彼は16世紀半ばに修道士らを連れてこの土地に教会を建てたのだとい
う。...
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10月19日付
『ディスパッチ・タイムズ』は、メキシコ南東部のチャパス州を流れるグ
リハルバ川の水が引き、貯水池の水面に昔没した教会が現れたと伝えている。今回出
現した教会は高さ61メートル、幅14メートル、側面の壁は10メートルの高さであると
いう。当地域では雨不足のため、今年に入って貯水池の水位が25メートルも下がって
いた。
この教会は著名なスペインの歴史家・司祭のバルトロメ・デ・ラス・カサスゆかりの
建造物であり、彼は16世紀半ばに修道士らを連れてこの土地に教会を建てたのだとい
う。1773年から1776年にかけて伝染病のペストが流行したため、この教会は使われな
くなったという。
当該教会は川沿いに建つ象徴的な存在として、地元住民に親しまれてきたが、1966年
に貯水池が造られたことにより水没したという。
同記事は
『ラテン・タイムズ』を引用し、地元の漁師がボートで観光客を教会まで運
んでいることをつたえている。
10月20日付
『WISHTV』(アメリカ)は、この教会は植民地時代のもので、サンチャゴ
寺院またはケチュラ寺院と呼ばれ10月16日にその全貌を現したと伝えている。
同記事によると、この教会の貯水池からの出現は今回で2度目であり、1度目は2002年
のことだったという。当時は今回の干ばつ時よりもさらに水位が低く、観光客は歩い
て教会の中まで入ることができたという。地元の漁師は電話でのインタビューに対し
「当時はお祝いムードで、みんなで一緒に教会で食事をしたり散策したり、商売した
りもした」と語ったという。
同記事は前出のバルトロメ・デ・ラス・カサスがこの地に入るまで、ソケ族というメ
キシコの先住民族が支配していたことにも言及し、また水没していた寺院には釣鐘堂
もあり、高さ10メートルだということも伝えている。
メキシコ政府と共同でこの教会の構造を研究しているカルロス・ナヴァレーテ氏によ
ると、このサンチャゴ寺院は近くにある1564年に建てられたのテクパタン修道院の支
部であったという。また、建築上の共通点が多いことからほぼ同時期に同じ建築家に
よって建てられたと推測されるとのことである。この教会はスペイン人が作った「王
の道」のそばにある点で歴史重要な意義を有し、20世紀までは人の出入りもあったと
いう。「当時は、今は無い梁や屋根があり、ペストの犠牲者のための大きな納骨堂も
あった。教会は人の集まる中心部となることを目指して建てられたのだろうが、その
目的が果たされることはなかった。専属の司祭もおらず、テクパタン修道院から派遣
される司教が職務を行っていたのだろう」。
10月20日付
『WUWM.COM』(アメリカ)によれば、この教会は通常水位30メートルの水
中に沈んでいるという。
また、同記事はこの教会を建てたバルトロメ・デ・ラス・カサスにも言及しており、
彼が入植後南アメリカでの奴隷制度、植民地支配の廃止を精力的に訴えたことを伝え
ている。
水不足の点から見れば教会は再び水没するのが望ましいのだろうが、観光の点からす
ればもうしばらく教会が見えるのも好都合なのだろう。
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