歴史の中に蘇る紅葉の六義園(その326)
今秋は、温暖であったせいか、秋の深まりがいま一つであった。...
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今秋は、温暖であったせいか、秋の深まりがいま一つであった。それでも木々の葉は紅く染まり、綺麗に水に映っていた。
池では沢山の鴨が群れて、静かに泳いでいた。
赤く染まったもみじに、黄色に染まった楓の葉など、秋の色どりに心を奪われた。
この庭園は、徳川5代将軍である徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園であり、1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢が、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて、起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を作り出したものであった。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する。六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、紀州の和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を写して、庭園を造ろうと思い立ったとされている。
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江戸時代の栄華が残る「六義園」の紅葉(その325)
12月6日、その日の朝8時ごろ、JR市川駅から総武緩行線に乗って秋葉原駅まで行き、そこで山手線に乗り換え、駒込駅で降りた。...
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12月6日、その日の朝8時ごろ、JR市川駅から総武緩行線に乗って秋葉原駅まで行き、そこで山手線に乗り換え、駒込駅で降りた。駅前にある六義園の染井門に到着したのは9時10分程前であった。
その日の為に、事前入場登録を済ませ、先頭に並んで、開場を待った。コロナ禍での入場制限が行われていたからだ。
9時ピッタリに受付が始まると、大勢の人が、園内に吸い込まれていった。
数回訪れて「見所」が分かっていたので、順路とは逆に歩き、紅葉が深い池のほうへと歩いた。見所辺りで、三脚を広げ、早速ビデオカメラを回した。
今秋は、温暖であったせいか、秋の深まりがいま一つであった。それでも木々の葉は紅く染まり、綺麗に水に映っていた。
池では沢山の鴨が群れて、静かに泳いでいた。
赤く染まったもみじに、黄色に染まった楓の葉など、秋の色どりに心を奪われた。
心の中で、「秋の彩は本当に良いな」と呟き、日本のこの季節に感謝をした。やがて段々と人が多くなってゆき、ほとんどの人々は、カメラやスマホで、写真を撮っていた。
人が映らないように、するだけでも大変な状態になってゆき、それでも粘って、「絶景」を撮ろうとしたが、結果が心配であった。
200年前の江戸時代に、ここで紅葉狩りをしながら、政治向きの議論を交わしていた、時の要人たちの幻影を想像しながら、その絶景を楽しんだ。
時計を見ると、11時を少し過ぎていたので、その日は帰路に就くことにした。
来る時と同じように、駒込駅から山手線に乗り、市川駅へ向かった。
厚手のダウンコートを着ていたので、まったく寒さは感じなかった。紅いもみじの葉を思い浮かべながら、市川駅で時計を見ると12時少し前であった。「今年の紅葉はまだ続くな」と思いながらその日の旅を終わりにした。
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美しいというか不気味というか夜明けの光景(その324)
12月4日、その日の明け方、6時ごろカーテンを開けると、東の空が徐々に赤く染まってきた。
同時に散らばった雲が黒く広がり、対照的な色彩が描かれていた。
街には、点々と灯がついて道の姿を形作っていた。
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