赤く昇り出す太陽と深く冠雪した富士山(その328)
12月16日、その日の朝、6時半ごろ、日の出と思われる赤い太陽の光が窓ガラスを射って入ってきた。...
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12月16日、その日の朝、6時半ごろ、日の出と思われる赤い太陽の光が窓ガラスを射って入ってきた。
太陽が地平線から昇り始めた。
西の空を臨むと、しばらくぶりに富士山が眺望できた。
雲の悪戯によるものか、昨夜以来の寒気によるものなのか、白く深く冠雪しているように見えた。
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深まる紅葉の季節・成田山に行く(その327)
12月13日、その日の朝、早起きをして、市川駅を7時14分発のJR総武快速線で成田駅まで行った。...
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12月13日、その日の朝、早起きをして、市川駅を7時14分発のJR総武快速線で成田駅まで行った。
天気予報ほど寒くはなかったが、服装は冬支度であった。
1時間ほどして、成田駅に着き、徒歩で成田山公園に急いだ。いつもは多くの人で賑わっている参道も早朝のせいか、コロナの影響なのかわからなかったが、がらんとして人の気配が感じられなかった。
その公園に到着すると、まだ人影が無く、動画を撮るには絶好のチャンスであった。
今まで、これほどの機会に恵まれたことがなかった。大きな鯉が泳ぎ、鴨が遊んでいる大きな池の周辺で、三脚を広げ、思うままにビデオカメラを回した。空は快晴とはいかなかったが、太陽が適度にのぞく、温かい初冬であった。
紅や黄色に染まった、もみじや楓の葉が微風に揺れていた。小鳥たちが林の中でさえずっていた。広いその庭園には、深秋の静けさだけが、ゆっくりと浸透していた。
それでも、時折早起きな人の声や姿と交差することもあった。
ここの紅葉は、一部の木々によって進み、緑の木々も随所に残っていた。
大きな池とその周りの小道を散策し、小さな滝に行きついた。そこには数人の人々が、スマホで写真を撮っていた。
2時間ほど、贅沢な時を過ごし、帰宅の途に就くことにした。11時14分の上り逗子行きの快速電車に乗りその日の小旅行は終わった。
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歴史の中に蘇る紅葉の六義園(その326)
今秋は、温暖であったせいか、秋の深まりがいま一つであった。...
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今秋は、温暖であったせいか、秋の深まりがいま一つであった。それでも木々の葉は紅く染まり、綺麗に水に映っていた。
池では沢山の鴨が群れて、静かに泳いでいた。
赤く染まったもみじに、黄色に染まった楓の葉など、秋の色どりに心を奪われた。
この庭園は、徳川5代将軍である徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園であり、1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢が、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて、起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を作り出したものであった。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する。六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、紀州の和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を写して、庭園を造ろうと思い立ったとされている。
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