白鳥の郷へ(その437)
1月16日その日の朝、市川駅から、7時25分の総武緩行線に乗って、西船橋駅まで行き、そこで武蔵野線に乗り換え、東松戸まで行き、更に北総線に乗り換え、「印旛日本医大」で下車した。...
全部読む
1月16日その日の朝、市川駅から、7時25分の総武緩行線に乗って、西船橋駅まで行き、そこで武蔵野線に乗り換え、東松戸まで行き、更に北総線に乗り換え、「印旛日本医大」で下車した。
ここ数年、毎年このルートで「白鳥の郷」まで行った。
8時38分頃、現地に着くと、500メートル四方の水面に1000羽を超す白鳥が目に飛び込んできた。
あるものは、羽根の上に首を置き、まだ眠っているような姿であった。
遠く、何千キロの彼方である、シベリアからこの地まで、島々を渡り、食をつなぎ、何とかたどり着いたものと考えると強い感慨が沸いた。
毎年、朝10時頃に現地に着くのだが、今年は例年よりも早い時間に来ようと考えた。というのも、この湖にやってくると、白鳥たちの大半が、どこかに飛んで行って、残りの白鳥の数が少なくなっていたからであった。
ところが、今年は様子が違っていて、白鳥たちはぎっしりと水面に身を寄せて、なかなか飛び立とうとしない状態であった。
やっと、2羽が飛び立った。暫くするとその2羽が上空に舞い戻ってきて、仲間たちに「飛び立ち」を促しているようであった。
代わりに、黒い色をした鴨たちの動きが活発で、盛んに飛び立ったり、着水したり、これも白鳥たちの「飛び立ち」を促しているようであった。
そうこうするうちに、数羽の白鳥が大空へ旅経った。
また静寂が訪れた。
1時間程、底冷えする「白鳥たちの水面」をカメラで追いかけた後、帰路に着くことにした。
帰りは、北総鉄道を京成高砂駅まで使い、そこから京成線で3つ目の国府台駅で下車した。歩道橋を渡り、江戸川の土手に降り、ぶらりぶらりと市川の自宅まで散歩をした。
空は真っ青だったが、底冷えのする午前中であった。
<総集編>
閉じる
木更津の「恋人の聖地」「太田山公園」「證誠寺」をめぐる(その436)
1月9日、その日の9時16分市川発の下り総武快速線は5分ほど遅れてやってきた。...
全部読む
1月9日、その日の9時16分市川発の下り総武快速線は5分ほど遅れてやってきた。
その電車に乗り、乗り換えなしで木更津駅まで、約1時間の旅に出た。
街の様子が分からなかったので、駅からタクシーに乗って、中の島公園の「日本一高い遊歩道」へと向かった。
実はグーグルで調べた際に、その公園には入れないとの情報が明示されていたので、だめもとで行ってみた。
案の定、3月17日まで工事中との告知が張られ、通行止めとなっていた。
遊歩道には入れなかったが、「恋人の聖地」のモニュメント辺りから広い海を見つめ、少し霞んではいたが富士山の姿をカメラに収めることに成功した。
そこから、太田山公園に向かい、高い展望台から東京湾を一望すると、横に延々と続くアクアラインや海ほたる等が見えた。空には筋雲こそあったが、青一色の晴天であった。
太田山では、早咲きの梅の花や遅い紅葉のもみじの木などが目を楽しませてくれた。
江戸時代に建てられた梁がしっかりした旧家の母屋やその囲炉裏などをカメラに収め、木更津駅に戻った。
その駅には「駅ピアノ」が設置され、若い女性が見事に演奏していた。その音の大きさに少し驚かされ、足を止めスマホでビデオを撮った。演奏の為に並んでいる人々もいた。
駅から10分ほど歩くと、「證誠寺」をやっと見つけられた。道のところどころに狸の置物が置いてあった。
その寺にも赤い梅が咲いていた。古風なその寺を一周し、心の中で「しょうしょう、しょうじょうじ・・・」と世界的にヒットした古い歌を呟いていた。
木更津の旅は終わり、11時59分発の逗子行きに乗り、市川駅まで戻ってきた。
ダウンコートを着ていたので、それほど寒さは感じられなかった。
閉じる
東京・夜明け前の雪景色(その435)
1月7日、その日の朝6時半頃、東の空に赤みが増してきた。
千葉から東京にかけて、屋根の上には白い雪が覆っていた。
東の空には、日の出前の明るみが増してきて、そろそろ「日の出」が近い時間であった。
東京の街並みは、雪景色に埋まっていた。
西方にカメラを向けると、うっすらと富士山が浮かんできていた。
光の衣を脱いだスカイツリーの雄姿も徐々に現してきていた。
「隅田川シーズンズ」内の検索