強制的な避妊は1996年から2000年の間に行われ、被害を受けた女性の多くは本人の同意なしであったと供述している。
3月1日、最初の法廷審問がようやく開始された。被害者たちは20年以上もこの法廷が開始されるのを待っていたという。
被害者の1人、エスペランザの話によると、1996年、2人目の子供を出産予定の時期に医師が自宅に突然やって来て、救急車で病院に連れていかれ、そこの手術室で不妊治療を受けたという。...
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強制的な避妊は1996年から2000年の間に行われ、被害を受けた女性の多くは本人の同意なしであったと供述している。
3月1日、最初の法廷審問がようやく開始された。被害者たちは20年以上もこの法廷が開始されるのを待っていたという。
被害者の1人、エスペランザの話によると、1996年、2人目の子供を出産予定の時期に医師が自宅に突然やって来て、救急車で病院に連れていかれ、そこの手術室で不妊治療を受けたという。
エスペランザと同じように30万人以上の女性が不充分な衛生環境下で強制的に不妊治療を受けたという。女性たちの1部は不妊治療が原因で死亡し、その他、後遺症に苦しむ女性も多いという。
不妊治療を受けた女性のほとんどは農村の出身者で、現地語のケチュア語を話し、貧困層に属していた。彼女たちは、90年代にフジモリ大統領の貧困問題の解決手段として推進した「家族計画政策」の犠牲となった。
最初の法廷審問は3月1日月曜日、コロナ禍のためリモート形式で行われ、法務省からフジモリ元大統領と3人の元大臣の人権侵害に相当するとした罪状が読み上げられた。
ところで、フジモリ元大統領はこれまでに汚職と人権侵害の罪で25年間、投獄されていたが、2017年に健康上の理由で投獄を解かれている。
なお、大統領時代に女性に対する不妊治療を強制したことについてはこれまで裁かれていなかったので今回の開廷となった。
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