<少年法と人権>
先週、横浜地裁において、川崎市の多摩川河川敷で昨年2月に中学一年生(当時13歳)を殺害した犯人の被告少年(19歳)に対して、懲役9年以上13年以下の不定期刑が言い渡された。
被害者の家族は、刑は軽すぎるとの思いを口にし、被告人が述べた“殺してしまった被害少年を忘れずに背負っていく”との陳述に対しては、“息子の命は、背負える程ちっぽけなものではない”と無念な気持ちを吐露したという。
裁判記録によれば、被害少年の首をカッターナイフで何度も切るなどして殺害した上、被害少年の衣服を燃やすなど証拠隠滅を図り、更には、犯行に加わった仲間の少年2人に口裏を合わせさせてアリバイ工作をしたという。
このような事実関係が明らかにされているものの、犯行時18歳未満だったということで、少年法が適用され、成人犯罪者が負うことになる、より厳しい有期刑ではなかった。
少年法は、少年の保護と更生の余地を与えるために適用されることから、この判決は止むを得ないかとは思う。
しかし、この事件に関して、ここで2点問題提起したい。
まずひとつは、被告少年の弁護人が、“(判決に対して)フェアな判断”とした発言である。
この発言は、被害少年の遺族の心情はもとより、被害少年の尊厳(死亡しているので人権は不適用)をも踏みにじるものではないだろうか。
例えば、被害少年が、加害少年を痛めつけていたり、その他恨まれるような仕打ちをしていたのならいざ知らず、全く一方的かつ短絡的な犯行動機の被告少年の犯罪に対して、“フェアな判断”はないであろう。
プロの代理人として、確かに成果を挙げたかも知れないが、周りの心情などどうでも良い、結果が全ての“アンビュランス・チェイサー(注後記)”レベルの弁護士と思われなくもない。
もうひとつは、実名報道に関わる人権についてのメディアの対応である。
本事件発生後まもなく、被害少年の写真入り実名報道は迷いもなく行っているのに、少年法第61条(少年の成長発達権の保護のため、実名報道の禁止)に従って、加害少年のことは一切詳細には報道されなかったことである。
加害少年のことは人権問題を考慮して実名報道を控えるならば、何故被害少年の尊厳及び遺族の人権は尊重しないのか。
憲法で保障される人権は生きている人が対象で、死亡してしまった被害少年には文句を言う口もないからと言って、生まれ育った環境から家族の生活状況まで、連日微細に報道しまくるような集団的過熱取材によって、被害少年の名誉も遺族の生活権も脅かすことが何故許されるのであろうか。
かかる残虐な犯行を行った加害少年の人権を守るより、被害少年の尊厳や遺族の人権について配慮する方が、よほど公共の利益に適う報道ではないかと考える。
なお、欧米諸国では、日本と同様、「児童の権利に関する国際条約」を批准している国では、18歳未満の死刑禁止措置もあって、重罪を犯した少年に対する刑事罰は、成人に比べて比較的緩い。
但し、加害少年の実名報道については、米国、英国、フランスなどでは、おおよそ10歳以上であれば迷いなく報道している。
例えば米メディアなどは、匿名や仮名の報道では、記事の信憑性を損なうという理由もあって、犯人の少年のみならず、捜査関係者も実名報道している。滅多に実名でマスコミに登場しない日本の検察や警察関係者とも、状況が全く違っている。
(注)アンビュランス・チェイサー:直訳は“救急車の後を追う人”。米国では、石を投げれば弁護士に当ると揶揄される程弁護士がおり、中には自分の仕事にするために手段を選ばない弁護士もいる。例えば、救急車の後を追って病院に行けば、病人ならば誤診や医療過誤等の可能性を突いて病院を相手にして、また、何かの被害怪我人であれば、治療費に更に慰謝料などを上乗せして加害者を相手にして、それぞれ法外な損害賠償請求訴訟に持っていかせるという、言わば“火のないところに煙ばかりか火事を引き起こす”ような弁護士もいて、それらを侮蔑する言葉として使われている。
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