中国の習近平国家主席が8月11日、食品廃棄物の削減を求め、食べ残しを禁止する「皿を空にする」キャンペーンを始めた。なぜこのタイミングで浪費行為を制止する運動に乗り出したのか、各国メディアで様々な報道がされている。
米
『ニューヨークポスト』によると、中国科学院と世界自然保護基金(WWF)は、中国の食文化が、年間1700万トンから1800万トンの食料を廃棄する原因になっていると指摘しており、その廃棄量は3000万人から5000万人の人に1年間食料を供給できる量に相当するという。
同紙は、習近平の呼びかけは、浪費の危険性に対する警告であると同時に、生活水準の上昇に伴って現れた価値観の世代交代を反映したものでもあると指摘している。
仏『Sciences et Avenir』は、習近平国家主席が食品廃棄物の削減を求める発表をしたことは驚くべきことではないと報じている。
食べ物の浪費行為への取り組みは、習近平が2013年に政権を握って以来、追求してきた目標の一つであり、同年、飲食浪費行為撲滅キャンペーンを開始している。例えばレストランで提供される料理は小分けして提供するよう呼びかけている。当時、特に狙われていたのは、高官達だった。宴会の回数を減らして公金の無駄遣いを減らし、汚職と闘うことが目的だった。
2014年に行われた研究によると、中国では大量の食品が捨てられており、特にレストランでは19%から30%の食品が無駄になっていると推定されていた。家で取った食事の場合は、食品ロスが7%に下がると発表されていた。
もともと中国では、レストランに行った際など、良い印象を与えるために、人数よりも多い料理を注文するのが習慣となっている。また皿に食べ残すことが礼儀だとされている。それは、招待した人、あるいは料理をした人が、十分な料理を用意し、客が何も不足しなかったことを示すことになるという考え方だ。
そのため、『Sciences et Avenir』は、中国当局が無駄を減らしたいと思うのであれば、人々が少なく注文しても失礼にはならないことを受け入れるよう、メンタル面での変化を起こす必要があるのではないかとコメントしている。
しかし同時に、食糧の無駄をなくそうというキャンペーンは、廃棄物の量を減らしたいという単純な願望をはるかに超えているという。それは何よりも、食品原料の輸入に依存している問題であり、2004年以降、中国は食品に関して輸出よりもはるかに多く輸入している。最大の問題は、全人口を養うのに十分な農地がないことであり、世界の耕地面積の8%未満では世界人口の19%を養うことは不可能であるという問題だ。
その結果、中国は豚肉、大豆、乳製品の世界最大の輸入国となった。農産物の 輸出入の格差は毎年拡大しており、現在では年間700億ドルの赤字に達している。しかし、米国やオーストラリアなどの複数の供給国との貿易緊張が高まっている現在、地政学的にはこうした問題が弱点になる可能性があるという。
豪『abcnet』も、中国は1960年代初頭に、飢饉で何千万人もの犠牲者を出した過去を持っており、地球総人口の5人に1人にあたる、14億人もの国民が必要とする食料を、今でも自国で作れていないことが課題だと指摘している。
小麦、米、とうもろこしなどの主要作物については、中国は95%の自給率を誇っている。
しかし、国民が本当に食べたいと思っているもの、例えば豚肉などを考慮に入れると、状況は変わってくる。中国は世界最大の豚肉消費国であり、需要を満たすためにかなりの量を輸入している。
しかし昨年中国ではアフリカ豚コレラ(ASF)が大流行し、国内の豚の約半分が犠牲となった。その後、輸入量が急増したという。
しかし、中国の国営メディアは、アフリカ豚コレラや新型肺炎、洪水、そしてさらに多くの疫病が起きているにもかかわらず、中国には食糧安全保障の問題はなく、将来的にも問題はないと断固として主張している。
モナシュ大学経済学部の史鹤凌(He-ling Shi)准教授は、豚肉の価格の変動は中国国営メディアの報道とは、実態が違うことを物語っていると指摘している。「私が知る限りでは、価格はこの3ヵ月間で約70%上昇している。それは、中国市場で豚肉が非常に不足していることを示唆している」、「価格が真実を教えてくれるだろう。豚肉の価格が70%上昇したことは、明らかに深刻な問題があることを物語っている。」と述べている。
『ルモンド』は、習近平は2月、中国で新型肺炎が大流行していた真っただ中、「危機や課題が増えれば増えるほど、農業の安定化が必要だ」と発言していたと報じている。
中国科学院が17日に発表した研究によると、状況はより緊迫したものになりそうだという。急速な都市化と農村部の高齢化の2つの理由から、中国の穀物赤字は2025年までに1億3000万トンに達する可能性があり、輸入量の大幅な増加が余儀なくされるということだ。
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