豊洲・晴海MAP(17/03/04)
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3月4日、午後2時半ごろの豊洲市場前辺りの様子は、晴海大橋の更に上に、高速道路の鉄橋を架ける工事が佳境となっていた。...
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3月4日、午後2時半ごろの豊洲市場前辺りの様子は、晴海大橋の更に上に、高速道路の鉄橋を架ける工事が佳境となっていた。
目の前には、大きな橋桁が現れ、そこからクレーンの鎖状のものが何本も釣り下がっていた。
付近にある「豊洲PIT」には、列をなした人々がいた。
そこから、豊洲運河縁に入り込み、晴海大橋と環状2号線の方向を眺めると晴海大橋は結構混雑している様子が窺えた。
更に環状2号線に近づいてみると、車の流れが全く無いように思えた。
そこで、更に近づいて見ると、時折ダンプカーや工事車両が、通行している様子が見てとれた。
晴海大橋に戻り、晴海側に渡ってみると、環状2号線に架けられている先ほどの「豊洲大橋」には時折、車が走っている光景がみえた。
月島の方角を望むとガラッとした、巨大な道路が続いていた。ほとんど完成はしているが、そのままになっているものと思われた。
晴海の選手村建設現場を横に見ながら、朝潮運河を渡った。
この辺りは、タワーマンションがずらりと並んでいた。
東京五輪への準備とタワーマンションの建設で、活気があるその界隈には職人が、大勢道を闊歩していた。
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26日、東京マラソン2017の浅草橋周辺
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東京マラソン2017のコースを自転車で走ってみた
2月25日、10時半ごろ翌日に迫る「東京マラソン2017」のコースを自転車で走ってみた。江戸通りの「浅草橋」から「雷門」「浅草」で折り返し、「蔵前橋」を渡って、清澄通りに出ると「石原1丁目」「清澄白河」「門前仲町」と走り、永代通りから「八丁堀」を抜けて、中央通りの「銀座4丁目」を右折し、「日比谷」まで出た。そこから丸の内仲通りを通って、行幸通りに出て、「和田倉門」のゴールポイントまで走った。
清澄通りに入ると、急に道が狭くなり、周りの景色も寂しくなった。...
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2月25日、10時半ごろ翌日に迫る「東京マラソン2017」のコースを自転車で走ってみた。江戸通りの「浅草橋」から「雷門」「浅草」で折り返し、「蔵前橋」を渡って、清澄通りに出ると「石原1丁目」「清澄白河」「門前仲町」と走り、永代通りから「八丁堀」を抜けて、中央通りの「銀座4丁目」を右折し、「日比谷」まで出た。そこから丸の内仲通りを通って、行幸通りに出て、「和田倉門」のゴールポイントまで走った。
清澄通りに入ると、急に道が狭くなり、周りの景色も寂しくなった。
JRの総武線のガードや首都高速7号線の下を通り、門前仲町で左折し、永代通りに出ると道幅も広くなり、周囲も賑やかになった。折り返し地点は明瞭には確認できなかったが、大体の見当をつけ道路を横断し、そこから折り返した。
本来は、また門前仲町の交差点を右折し、清澄通りを蔵前橋まで遡り、浅草橋、茅場町、日本橋から銀座4丁目を抜けるコースだが、永代通りから直接八丁堀に出て、銀座通りを銀座4丁目までショートカットした。銀座はさすがに歩道まで込み合っていた。
丸の内仲通りに着くと、時計は11時50分頃になっていた。そこでは「丸の内駅伝2017」がまさに開催されようとセレモニーが開かれていた。
「東京マラソン」の前日に、ゴール辺りの立地を生かし、駅伝を開催するようであった。
26日の準備なのか、行幸通りの真ん中の広い通りは、中継車や関係者の車がずらりと、和田倉門から東京駅に向かって並んでいた。
和田倉門周辺は、相当広い道幅になっていて、ゴールポイントとしては、最適の立地であった。その辺りは26日の放送中継車や関係する車両がずらりと並んでいた。
皇居の前は、ひっきりなしにマラソンをする人々が走っていた。正にマラソンブームなのかも知れない。
大手門から大手町を抜けて、中央通りまで走った。日本橋から三越辺りまで、相当な混雑だった。
三越を過ぎたところで、右折し一方通行の道を東日本橋まで走った。
そこから、浅草橋の出発点に返り、その日のサイクリングを終えた。12時半であった。
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4月4日、豊洲市場移転問題で、都議会の百条委員会で現練馬区長の前川燿男元知事本局長の証人質疑が行われた。その中で、当時の都庁内部の意思決定について「石原知事がわずかしか登庁されない中で、知事の分身として浜渦さんが力をふるっていたことは事実」と証言し、浜渦元副知事の了承なしに移転事業を進めることはできなかったとの認識を示した。
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3月20日、豊洲市場問題で、石原元都知事が都議会百条委員会で証人として出席をした。「豊洲移転は既定路線だった。都庁には豊洲移転の大きな流れがあった。築地を視察して市場として不適格と認識」と答えた。
3月19日、豊洲の用地を所有していた東京ガスとの交渉の責任者だった浜渦元副知事が都議会百条委員会で証人喚問をした。浜渦元副知事は東京ガスと交渉について、“水面下”という言葉は、東京ガス側からの提案と述べた。“水面下交渉必要があった”との認識を示した。
3月11日、都議会の百条委員会は、初めて証人に対する質疑を8時間余りにわたって行った。大矢實元市場長は、築地市場の豊洲への移転は、石原元知事が主張する“就任前からの既定路線”ではなく、石原都政の下で決められたという認識を示した。その上で“交渉には全く関与していない”と主張している石原元知事から、東京ガスの社長と非公式に会談したと伝えられていたことを明らかにした。一方で、東京ガスは平成12年に浜渦元副知事の指示を受けた赤星元理事との交渉記録を提出。交渉記録の中で、浜渦元副知事が“石原知事が安全宣言しないと東京ガスにとって土地価格が下がり困るだろう”など、東京ガスに早期の決着を迫るよう指示していたとしている。これについて議員から“浜渦元副知事が裏取引を東京ガスに持ちかけようと部下に指示していた”などの指摘が出たが、赤星元理事は“そういうことは言っていないし、指示されたこともない”とし、文書の内容を否定。19日に行われる浜渦元副知事に対する質疑などを通じ、都と東京ガスとの交渉がさらに明確になるかが焦点となる。大矢實元市場長が「知事も“そうか豊洲しかないか”と了解されたと理解している」とコメントした。
3月7日、石原元都知事は記者会見の訂正文を各報道機関に配布。会見で、2011年に豊洲市場の売買契約を行なったのは当時の前川知事本局長(現練馬区長)だと話したが、前川区長は2005年に東京都を退職していた。石原元都知事はこのことを記憶違いだったと訂正をした。
浜渦元副都知事と会わない理由について、弁護士から口裏合わせととられる恐れがあるので連絡は控えるように注意されていたと訂正した。
3月3日、石原元都知事は記者会見を開き、豊洲市場移転の決断について「都庁や都議会、専門家が論議して決めたことを認めただけで、私だけに責任があるわけでない」と述べた。石原元知事は記者会見を開いた理由について、「百条委員会に呼ばれ、そこまで待てない心境。座して死を待つことはできません」と述べ、今月20日に証人として呼ばれる百条委員会を前に、自身の見解を明らかにしたかったという考えを示した。そして、築地市場の豊洲への移転について、「都知事に就任して早々に既定の路線であるような話を副知事から聞いた」という見解を示した。また深刻な土壌汚染が判明した時、判断を踏みとどまらなかったのかと問われたのに対し「専門家ではないので、担当各局、専門家の検討会に一任するしかなかった。最終的に確か当時の知事本局長が裁可を上申してきた。私がどうなのかと問うと『今の技術を持ってすれば大丈夫だ』ということだった」と述べた。その上で「私自身が売買にたずさわったことがないし、東京ガスとの交渉は福永副知事がやっていたが、らちがあかず、その後副知事になる浜渦に一任した」と述べた。さらに移転先を豊洲に決めたいきさつについて「私は自分自身に技術的知見はないし細かな記憶はないが、専門家会議や技術会議の判断を踏まえて政治家として長年の築地市場問題を解決すべく豊洲新市場への移転を政治判断した」と述べた。
『3月20日に証人喚問』
2月27日、豊洲市場移転問題を調べる東京都議会百条委員会理事会で、3月20日に石原元都知事、3月19日に浜渦武生元副知事の証人喚問をする日程で合意した。3月1日の委員会で正式に決定する。
『百条委員会設置決定』
2月22日、東京都議会で採決され、豊洲市場移転問題で百条委員会の設置が正式に決定した。石原元都知事と浜渦元副知事が委員会に召喚される。
『百条委員会設置へ』
2月20日、豊洲市場の移転問題をめぐり、東京都議会は百条委員会を設置される見通しとなった。
【02/20 13:55 日本テレビ 【情報ライブ ミヤネ屋】小池都知事の行方は…豊洲移転の真相解明は…東京都議会「百条委員会」設置で合意・風雲急・石原元都知事「来週末に必ず会見する」】
豊洲市場への移転をめぐる問題で、東京都議会・議会運営委員会理事会は罰則もある百条委員会の設置で合意した。
一方、渦中の石原慎太郎元都知事は「来週末に必ず会見する」と発言。...
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