ミャンマー旅行記2017(その1)
2月22日から3月3日にかけてミャンマーへ一人旅に行ってきた。昨年1月が初の渡航で今回が2度目。建設ラッシュに湧くヤンゴン、そして今回初めて行く地方都市。ミャンマーの変わり続ける部分と昔ながらの部分、そのそれぞれに触れてくる事ができた日々だった。
・ヤンゴン
ミャンマー最大の都市ヤンゴンには2月23日から3日間滞在した。...
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2月22日から3月3日にかけてミャンマーへ一人旅に行ってきた。昨年1月が初の渡航で今回が2度目。建設ラッシュに湧くヤンゴン、そして今回初めて行く地方都市。ミャンマーの変わり続ける部分と昔ながらの部分、そのそれぞれに触れてくる事ができた日々だった。
・ヤンゴン
ミャンマー最大の都市ヤンゴンには2月23日から3日間滞在した。ミャンマーの首都は2006年、ヤンゴンからネピドーに移された。しかしネピドーは首都機能を移した人工都市であり、ミャンマーで最も賑わっている街は引き続きヤンゴンであるそうだ。
2月23日午前10時、ヤンゴン国際空港に到着。まずは到着したターミナルの綺麗さに驚いた。昨年渡航した時には古めかしいターミナルが1棟あっただけの空港だったが、いつの間にかそれを挟む形で新ターミナルが2棟完成していた。ピカピカの通路、英語やピクトグラムが併記された案内板、トイレも清潔、入国審査のカウンターも増やされていた。
1年ぶりに歩くヤンゴンのダウンタウン。ヤンゴン中央駅に続くメインストリートや、アメ横を彷彿とさせるボージョーアウンサンマーケット。その付近には続々と商業ビルが建っていた。歩道に面した大きなガラスには、女性モデルの写真や家電メーカーのロゴが貼られている。新宿にあってもおかしくないその外観に驚いた。
ヤンゴンは相変わらず渋滞がひどい。通勤時間帯になるとそれが一番ひどく、旅行ガイドブックにも「早めに空港に向かうように」と推奨されている。「市内バスがかなり改善された」という噂も聞いたが、行き先が車体に表示されたないのは正直怖く、乗るのは諦めた。ヤンゴンのバスは乗車口が常時開いており、そこに立っている男性が行き先を大声で連呼するスタイルだ。
ミャンマーは仏教国なので、どんな街にもパヤー(寺)がある。ヤンゴンで最も大きいのはシュエダゴンパヤーで、旅の2日目に行ってみた。前回渡航時は午前中に行ったが、今回は夜7時頃に行ってみた。結論から言うとこれが大正解。パヤーは夜に行ったほうがいい。ライトアップが綺麗なのと、地面が熱くないのが理由だ。パヤーは裸足で入場する必要があり、午前中の地面は直射日光のせいでかなり熱い。シュエダゴンパヤーは世界中のガイドブックに書かれているようで、この日見た3割くらいの来場者は観光客だった。日没後のパヤーはライトアップされ、煌々と光るその姿は本当に美しい。かすかに吹くそよ風に乗って、どこからともなく僧侶の読経が聞こえてきた。
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ミャンマー旅行記2016
・ヤンゴン
今年1月に訪れたミャンマーの旧首都ヤンゴンは、民主化の波を受けて急速に都市開発が行われていた。町のいたる所で道路工事やビル建設が行われ、30度を超える気温の中、土ぼこりが舞う。
そんなヤンゴンの交通事情、課題がまだ多数あるように見えた。...
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・ヤンゴン
今年1月に訪れたミャンマーの旧首都ヤンゴンは、民主化の波を受けて急速に都市開発が行われていた。町のいたる所で道路工事やビル建設が行われ、30度を超える気温の中、土ぼこりが舞う。
そんなヤンゴンの交通事情、課題がまだ多数あるように見えた。国内一の人口を誇るこの町には地下鉄が無く、市民の移動手段は車がメイン。朝夕の渋滞は日常茶飯事で電車(環状線)も一日に18本しか無い。民主化の今、改善が望まれているのではないか。
ミャンマーの人々は素朴な性格の人が多く、滞在中はほとんどトラブルは無かった。街並みこそイギリス統治時代のヨーロッパ様式だが、そこで生活し商売する市民の雰囲気は、まるで日本の田舎の空気に思えた。
ヤンゴン市内のあらゆる道端には露店が並んでいた。肉料理、麺料理、米料理、フルーツと料理のレパートリーは多種多様。しかも安くて美味しい。日本で露店と言うとお祭りのイメージだが、現地では喫茶店のような位置付けのように思えた。それくらい、市民の生活に密接したポジションに見えた。
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