江戸川シーズンズ(その4)
7月19日、今日の江戸川の水面は、台風11号の豪雨のためか黒く重苦しい色に濁っていた。
私は、いつものように市川橋を渡り、都側の土手に出た。
河原には、水溜りがところどころにあり、その場所では野球少年は見ることができなかったが、数面の球場では、8時半というのにもう歓声が上がっていた。...
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7月19日、今日の江戸川の水面は、台風11号の豪雨のためか黒く重苦しい色に濁っていた。
私は、いつものように市川橋を渡り、都側の土手に出た。
河原には、水溜りがところどころにあり、その場所では野球少年は見ることができなかったが、数面の球場では、8時半というのにもう歓声が上がっていた。
土手から河原にかけて、8月1日の花火大会の準備も着々と出来始めていた。
数年前であればブルーのシートで場所取りを既に始めている頃であるが、区の禁止立て看が睨みを利かせているせいか、見当たらなくなった。
「さあ、今日は浦安まで旧江戸側を下ってみるか」そう呟き、逆風の中を風を切る格好で南下を始めた。
馴染みのある行徳橋の手前に秘密の細道を先週の帰り道偶然に見つけた。
その道に入ると、菖蒲の花であろうか、赤い花が群生していた。
その向こうに大型のモーターボートが数隻見えていた。
私は、隠れ湖の一角にいるような不思議な魅力に包まれていた。
その一帯を抜けると景色はがらりと現実に戻った。
旧江戸側土手のサイクリングロードを挟んでその反対側のエリアには民家が所狭しと連なっていた。
細いその道を進むと「常夜灯」という大きな石灯籠に出っくわした。
河に向けて、『日本橋』と刻んだ端正な文字がはっきり浮かんでいた。
日本橋から、成田山までの講の人々の通り道であったようだ。
さらに行くと、今井橋の手前辺りから、大型のクルーザーが数十隻浮かんでいた。
小型のものやモーターボートまで入れると、数百隻もあるだろうか、数箇所のドックを中心に群集していた。
思わぬ情景に私は「ほー」とため息をついた。「凄い数だな。こんなにあるんだ」そう思った。
屋形舟の停泊所の数が急に多くなって「浦安」に入ったことが分かった。
地下鉄東西線の鉄橋の下を通ると、ディズニーランドのお城の尖がった部分が見えてきた。
川には、数隻の大型クルーザーが川下に向かって白波を立てていた。
向こうには、スカイツリーが見えていた。
舞浜に入った辺りで、そのサイクリングロードは未整備の状態になった。
私は、その道を行徳橋まで引き返した。
市川側でも花火大会の準備が、着々と行われ、春には桜並木となる、その場所に沢山の工事材料が山積みされて、鉄骨並木になっていた。
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江戸川シーズンズ(その3)
7月12日、その日はやっと夏らしい気候が戻ってきた。
7月に入ってからは、雨がじとじとと、毎日のように降っていた。
というわけで、私のサイクリングも2週間ぶりのものとなった。
東京湾まで行って夏を感じよう。その時小さな決心をした。
そんなことで、いつものように市川橋を渡ると、左に折れてそのまま一気に「行徳橋」に向かった。...
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7月12日、その日はやっと夏らしい気候が戻ってきた。
7月に入ってからは、雨がじとじとと、毎日のように降っていた。
というわけで、私のサイクリングも2週間ぶりのものとなった。
東京湾まで行って夏を感じよう。その時小さな決心をした。
そんなことで、いつものように市川橋を渡ると、左に折れてそのまま一気に「行徳橋」に向かった。
この季節になると、土手に咲く草木もほとんど無く、緑色の草が一面に敷きつめられていた。
その土手に、数週間後にやってくる、「花火大会」の準備が始まっていた。
既に、斜めの土手にロープで区割りしている様子が認められ、ブルトーザーも置かれていた。
その規模の大きさを感じさせるものがあった。
江戸川の水面には、モーターボートと
フライボードを楽しむ人々が浮かび、河原では10面以上の野球場が広がり、その歓声が聞こえてくる。
今日は、行徳橋を渡らずに、更に東京湾を目指し、そのまま南下した。
何か、数十年前の行徳を感じさせる釣り船の集団が、目に入ってきた。
そのまま進むと、工事中の巨大な橋が見えてきた。
妙典と船橋を結ぶ橋のようだ。
その辺りは、土手にテントが10張りぐらい集団化していた。バーベキューの支度が出来ていた。
中には、将来の歌手を目指そうとする若いアーチストがしきりに、エレキギターを弾き歌を歌っていた。
右側に、地下鉄東西線の巨大な列車倉庫を見ながらさらに進むと、道は右に大きく畝って、目の前にはすざましく巨大な東京湾岸道路の橋が目に入ってきた。
10時ごろの時間では潮が引き、浅瀬が遠くまで見えた。
汐干刈りに興じている多くの人たちが、その浅瀬にはいた。その中の若者に声を掛けると、この辺り昔は塩作りをしていたらしい、と教えてくれた。
私は、自転車を路端に置き、巨大な橋の下を海へと向かった。
遥か彼方には、貨物船が浮かんでいるのが見えた。
僅か1時間位であろうか、そんな時間の間ひたすら走ってくると、こんな景色にまで到達するのかと少し、感激した。
海から漂うその匂いは、私から日常の生活を切り離してくれた。
私は、そこから近所にある、「宮内庁鴨場」を経て、再び江戸川に出た。
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江戸川シーズンズ(その2)
6月28日、この日は入梅にもかかわらず、朝から晴れていた。
先週の日曜日21日は、自転車で家を出ようとしたら、雨模様になり、しかも予報では、急な天候異変があるとの事だったので、急遽サイクリングは取りやめたので、2週間ぶりであった。
いつもとおりに、市川駅前の自宅から、西に真っ直ぐ江戸川の土手までたどり着くと、市川橋を渡って江戸川区側の土手を走る。...
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6月28日、この日は入梅にもかかわらず、朝から晴れていた。
先週の日曜日21日は、自転車で家を出ようとしたら、雨模様になり、しかも予報では、急な天候異変があるとの事だったので、急遽サイクリングは取りやめたので、2週間ぶりであった。
いつもとおりに、市川駅前の自宅から、西に真っ直ぐ江戸川の土手までたどり着くと、市川橋を渡って江戸川区側の土手を走る。
「もう菖蒲は、終わってしまったかな」と思いながら、先々週と同じ河原の中にある『小岩菖蒲園』に向かった。
予想通り、菖蒲の花の群れは、元気が無かった。それでもまだ盛りの花も見つけることが出来た。
蓮の池を見ると、そこにはピンクの花が緑の大きな葉っぱに囲まれて健気に咲いていた。
今日は、水元公園に行ってみようと思い、『寅さん記念館』で、冷たい水を口に含み、ところどころで止まってはスマホで写真を撮りながら、金町、その先の水元公園まで走った。
いくつの鉄橋を渡ったのだろうか。最初は土手を降り、JR総武線、快速線の鉄橋の下を走り、渡ってきた千葉街道を潜り、京成線の下を走り、又土手を駆け上がる。
暫くすると、北総線の高架の下を走った。『寅さん記念館』を過ぎると次は、国道6号線、そしてJR常磐線の下を走った。
水元公園の位置を確かめ土手から一機に市街地へ降りる。桜の並木道を進むと、そこが『水元公園』だった。
江戸川の川の水が地下で、繋がっていると思われる、文字通り水の公園がそこにあった。
都立公園で、水産試験場でもある、この公園はかなり広大である。
入り口を抜けると緑と水の世界であった。因みに私はこの公園は初めてだった。
少し走ると、蓮の河があった。
ピンクの花がところどころに咲いていた。
かなり広い池のような湖のような湖岸にも蓮の葉っぱが群生していた。
都会の喧騒から隔離された、その一角では、時間がゆっくり流れていた。
季節はずれの桔梗の花が群生していた。
湖岸では、釣り人が、そのゆっくりした時間を楽しんでいた。
湖に映る対岸の森は、湖面にその姿を滲ませる様に、溶け込んでいる。
水と緑、それに蓮、6月の少し湿気の混ざったその空気に、なんともいえなく溶け合っている。
春は桜並木が立派なのだろうと思いながら、その道を江戸川へと引き返した。
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