江戸川を市川橋から「寅さん公園」を通って「水元公園」へ(その63)
9月4日、九州地方には台風12号がやってきている影響で、東京周辺でも空は朝からどんよりとしていた。その日は、出発が少し遅れ、9時ごろとなった。
江戸川を市川橋で渡って、都側を北上した。土手や河原では健康志向の人々が走り、歩き、野球をするなど、賑わいを感じるほどだった。...
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9月4日、九州地方には台風12号がやってきている影響で、東京周辺でも空は朝からどんよりとしていた。その日は、出発が少し遅れ、9時ごろとなった。
江戸川を市川橋で渡って、都側を北上した。土手や河原では健康志向の人々が走り、歩き、野球をするなど、賑わいを感じるほどだった。
10分も走り「北総鉄道」の鉄橋の下を走ると、柴又の「寅さん公園」に着いた。そこには朝から人が集まり何やら楽しそうな景色が見えた。
更に走る続け、国道6号線、常磐線の鉄橋をこぐり、暫く走ると、水元公園に入る道が見えてきた。
その並木道を抜けて、水元公園に入ると、豊かな森林が迫ってきた。ただ木々の中に混じった黄色の葉っぱが、もうすぐ来る秋の訪れを感じさせた。
中に入り、少し走ると、雨が降ってきた。少し雨脚が強くなったので、屋根がある休憩所で雨宿りした。
そこには、蜻蛉採集の網を持った父親連れの少女や一人で散歩している風の中年のおじさんが、一緒に雨を避けていた。
水元大橋を渡り、公園の奥に入ると、そこは大規模な「防災訓練」の会場となっていた。
警視庁や消防、日本赤十字、そしてボランティアの人などが、大勢集まっていた。そのおかげでメイン通りが封鎖され、やむを得ず湖畔の細い道を走った。
その頃になると、雨は止んでいた。
期待していた野鳥達も、そういうことを見越してどこかへ行ってしまったとみえて、見当たらなかった。
そのまま大場川のある出口から、公園を出て、公園に沿うように走った。
走りながら、横目で見ると、広い池が目に入ってきた。水元公園小合内溜だ。
釣り人が大勢いた。そこにちょっとした滝があった。
蒸し暑い陽気に、一服の清涼剤のような快さが感じられた。
そこで、一休みして、水元公園の外縁を走り、江戸川へと向かった。
11時半ごろには自宅に戻っていた。その日は湿度が高く、その上まだ夏の気温で、じっとりし、爽快な後味ではなかった。それにしても水元公園の外縁はよく整備され、綺麗な佇まいであった。
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(その63)「水元公園」
晴海埠頭に「エスメラルダ」を見に江戸川から旧江戸川、そして湾岸へ(その62)
8月28日、その日はUターン台風10号の話題で持ちきりだった。
その日私は、8時半に自宅を出て、江戸川の市川側の土手を南下した。
行徳橋を渡り、旧江戸川の江戸川区側を走り、今井橋で折れて新大橋通りから明治通りに抜けた。...
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8月28日、その日はUターン台風10号の話題で持ちきりだった。
その日私は、8時半に自宅を出て、江戸川の市川側の土手を南下した。
行徳橋を渡り、旧江戸川の江戸川区側を走り、今井橋で折れて新大橋通りから明治通りに抜けた。
明治通りから、湾岸通りに出て、東京辰巳国際水泳場にたどり着いた。
東京辰巳国際水泳場の緑道は、よく整備され1キロぐらいの長さがあった。
そこを抜けると、有明の国際テニス場前で右に折れ、「ゆりかもめ」の軌道に沿った道を走り、新市場前に出た。
話題の環状2号線の工事が着々と進んではいるが、まだ開通していなかった。
しかたがないので、少し行き過ぎにはなるが、晴海大橋を渡り、晴海埠頭へと走った。
埠頭には、遠くチリからやってきたという練習帆船「エスメラルダ」が横づけされていた。
いつも、帆船を見ると懐古感が沸き、しかも端正に4本並んだマストのバランスが、なんとも優雅であった。
帰路も、環状2号線を走り抜けようとしたが、「豊洲大橋」は途中で閉鎖されていた。
少なくても晴海までは、すでに完成されているようだった。
見る限り、その先も築地辺りまでは、もう既に完成されているように見えた。
帰途も晴海大橋を渡り、有明に抜けた。
その有明には、広大な未使用の更地が目の前に広がったが、その辺りが東京オリンピックの選手村か、競技場になるのかなといった想像をした。
そのまま、荒川の河口橋を渡り、旧江戸川に出て、帰途に就いた。
どんよりとした空は、相変わらずであったが、この季節としては過ごしやすい気候であった。GPSを見ると74キロの旅であったようだった。
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