新国立競技場(第23回)
5月20日、その日は朝から気温の高い日であった。...
全部読む
5月20日、その日は朝から気温の高い日であった。
午後1時半ごろ、JR千駄ヶ谷の駅を降り、駅前の道路を渡り、東京体育館に向かった。
そのエントランスには、「NHK杯体操」と大きな文字で書かれた看板があった。
いつものようにその大きな建物の裏側に回り込み、新国立競技場の建設現場が良く見える場所まで足を運んだ。
すると、広い敷地に巨大な建設用のクレーンが見えてきた。更に近づき数を数えると、13本ぐらい並んでいた。
入り口からは、絶え間なくトラックが出入りし、土曜だというのに、現場はフル稼働している様子であった。
シャベルカーは、数台動き続けていた。
その大きな建設現場は、まさに大型クレーンが林立した光景であった。
しかし、まだ基礎工事が続いているようで、上物までは到底想像できる気状態ではなかった。
工程から考えると、今見える現場は、こんなものなのかなと思ったりした。
率直言って、やっと工事が始まったという段階のようであった。
2020年の開催までには、何とか間に合うのだろうが、少し心配でもあった。
東京体育館の裏側では、沢山の人々が、上半身裸になって日光浴をしたり、バスケットポールにボールを投げ込んだりして、休日を楽しんでる光景も見られた。
次に来る時はどんなところまで進んでいるのか、その光景を想像しながら、その日はまた千駄ヶ谷駅に引き返した。
閉じる
JR駒込駅から旧古河庭園、帰りは滝野川公園から上中里駅へ(第22回)
5月5日、その日午後2時ごろ、山手線の駒込駅から本郷通りを徒歩で、「旧古河庭園」に行った。...
全部読む
5月5日、その日午後2時ごろ、山手線の駒込駅から本郷通りを徒歩で、「旧古河庭園」に行った。
気温は、24℃ぐらいで、結構暑く感じた。
庭園に入ると、ジョサイア・コンドルの晩年の設計である、洋館が目に入った。
そして、庭園には目に華やかなバラの花が咲き誇っていた。
黒薔薇などの花びらは、開いてなかったが、赤や白、加えてピンクの薔薇が綺麗に花を開いていて、その洋館を映し出していた。
しかもその庭園は、高低差のある地形を上手く活用し、階段で降りると、薔薇の花壇と洋館が浮き立って見えた。
更に降りて行くと、森の中にと道は続き、その中に池に囲まれた日本庭園が浮彫りされるように出現した。
大きな灯篭や石で描かれる、日本庭園の世界は、ガラッと和の世界へと誘った。
その池の周りに、展開する森や滝は、しばし東京にいることを忘れさせた。
高低差10メートルはあると思われる滝の水は、現在はモーターで回転的に汲み上げられているとのことだった。
古河財閥は、モーターの技術を使って、足尾銅山等を経営し、財を成したと知られているが、その力が、この庭園に今も残っているということなのであろうか。
2週間後の薔薇の最盛期にもう一度来たいものだと期待が頭を横切るほど、印象的な庭園であった。
帰りは、子供たちが湧き水で遊ぶ滝野川公園を抜けて、掘割の様に細長く横たわる、京浜東北線の「上中里」駅に着いた。
閉じる
上野公園、不忍池、旧岩崎邸(第21回)
5月4日、その日13時半ごろ、JR上野駅の公園口から上野の山を歩いた。...
全部読む
5月4日、その日13時半ごろ、JR上野駅の公園口から上野の山を歩いた。
昨年、世界遺産に登録された「国立西洋美術館」の横を通り、五條天神社から坂道を下って、弁天堂を通り、不忍池を突っ切るように歩いた。
更に不忍通りを渡って、旧岩崎邸に向かった。
その辺りは、どこも人に溢れていた。
不忍池では、子供連れが多く、外国人の観光客も大勢いた。
もう東京は国際都市として、観光客の三分の一は外国人ではないかと思うほどであった。
特に上野では、世界中の人々が集まってきているように感じた。
旧岩崎邸の門から入り口まで、なだらかな坂を上がって行くと、その日は「みどりの日」であったので、入場料は無料と断りが貼ってあった。
その館の中をぐるりと一回りし、庭園に出ると、広い庭には大きな木や灯篭、そして岩石がところどころに配してあった。
空は晴れ、ところどころに雲が流れていた。
明治10年招聘され、日本で永眠したという、英国生まれの建築家である、ジョサイア・コンドル氏が設計したという、その館とビリヤード場は、100年ほどの時空を超えても充分その威容を放っていた。
しばらく、庭園を散歩し、また不忍池を通って、桜が青々とした上野の山を上り、駅へと戻った。
閉じる
「東京五輪日記」内の検索