7月22日、五輪開催まで3年「新国立競技場」建設現場(第29回)
7月22日、その日も暑い1日だった。...
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7月22日、その日も暑い1日だった。
JR千駄ヶ谷駅に着いたのは、2時半ごろだった。
駅を出て、交差点を渡ると、東京体育館の正面に出た。体育館の頭を超す赤い色のクレーンが数台見えた。
左の手に、大きな看板があり、「ボリショイサーカス」の公演があることを知らせていた。
体育館の横を歩いてゆくと、クレーンが林立している光景が見えてきた。
更に近付くと、およそ30台はあろうと思われる、背の高い各種のクレーンが所狭しと展開していた。
2020年に開催される東京五輪のメーン会場である「新国立競技場」の建設現場であった。
入り口が見えるトラックの通路には、時折大型の車が入って行くのが見えた。
五輪の開催日まで、あと3年に迫り、その工事は急ピッチで、行われていた。
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浅草から隅田川の縁を桜橋までスカイツリーを見ながら散策する(第28回)
7月1日、その日午後2時半ごろ、浅草・吾妻橋のふもとから、隅田川沿いに散策してみた。...
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7月1日、その日午後2時半ごろ、浅草・吾妻橋のふもとから、隅田川沿いに散策してみた。
午前中の雨は上がり、気温は24℃であった。空はまだ鉛色であったが、スカイツリーだけは威圧的に空にそびえていた。
この季節の木々は、湿気を含む気候の中で、生き生きしているようにも見えた。
墨田公園の中に入ると、紫陽花や朝顔などの花々が随所に咲いていた。
隅田川の水と梅雨時の湿気で、草花に生気が蘇る時期かもしれない。
少し歩くと「スズムシの観察地」という案内板が立てられていて、その周辺が竹や笹の葉が茂っていた。
そういえば、七夕まで、後1週間になった。
7月から8月にかけて、この辺りは、大きな催事が連なっている。
なんと言っても、最大のものは「隅田川の花火」ではないだろうかと思った。
最近では、大量のLEDを隅田川に流して、蛍に見立てた催しも多くの人を集めている。
その日の人通りは大した数ではなかったが、催事の時の人出は、並大抵の数ではない。
その落差が、ここの風景におかしさを感じさせた。
X型をした桜橋を向島側に渡ると、高速道路の下に二重の橋があり、その橋を渡ると向島の街に降りた。
花の知識が浅い私では、到底その名前が思いつかない道端の花も、綺麗に咲いていた。
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紫陽花を求めて「としまえん」に行く(第27回)
6月24日、その日は梅雨の季節にしては、稀な夏型の天候の日だった。...
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6月24日、その日は梅雨の季節にしては、稀な夏型の天候の日だった。
14時ごろ、西武鉄道の「豊島園」駅に降り立つと、すぐ駅前の「としまえん遊園地」の入場券売り場でチケットを買い中に入った。
中に入ると、そこは遊園地そのものであった。
最初は、ジェットコースター等の音や歓声が聞こえてきて、紫陽花を求めてやってきた私の思惑は外れたのではないかと少し不安になった。
だが、少し歩くと「あじさい祭り」入り口という大きな看板が見えてきて、その雰囲気が少しずつ伝わってきた。
紫陽花が、咲き誇っている庭園に入ると、紫色、青色、ピンク色、白色・・・等の紫陽花の花が目の前に展開してきた。
花をスマホで撮っていると、親子連れの若いお母さんが、親子で紫陽花の花をバックに、自分のスマホで撮ってくれと言ってきた。
それなりの写真を撮り、スマホを返すと、軽く礼を言われた。自撮りをしている人は、その日はいなかったが、紫陽花と顔を合わせてスマホで撮影しているカップルは数組いた。
紫陽花1万株というふれこみであったが、その規模はそれほど大きなものとは感じられなかった。
ここの特徴は、こんもりとした小さな林の中に、紫陽花が咲いているという設定であるように感じた。
それでも、この時期の紫陽花は、緑色の葉っぱに鮮やかな、青であるとか、白であるとか、みずみずしいその色が鮮やかであった。
大きな形の花や小さく可愛らしい花など、大きさや種類が多彩であった。
その林の中を、時折子供電車が走っていった。
遊園地の一角に紫陽花畑を作り、客を楽しまそうという企画は、大人と子供の遊びの場としては、面白いものなのかもしれない。
その紫陽花の林を一周して、出口へと向かった。
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