枝垂桜の六義園を行く(第17回)
4月1日、午後2時ごろJR山手線「駒込」駅を降り、小雨が時折ぱらつく「六義園」の入り口にいた。...
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4月1日、午後2時ごろJR山手線「駒込」駅を降り、小雨が時折ぱらつく「六義園」の入り口にいた。
先週、「清澄庭園」を訪れた時のガイドが、六義園の枝垂桜が見ごろであると話していたからであった。
行きは、やや遠回りをして、正門から入った。
ここでは、腕にボランティアガイドという腕章をした人々がかなり目立った。
ガイドの話を聞くと、この庭園は、徳川幕府全盛の元禄時代に柳沢吉保父子によって作られたもののようだった。
その後、岩崎弥太郎が引き継ぎ、昭和の初め頃に、時の東京市に寄贈したようだ。
そんな講釈を聞き、中に入ると、ひときわ目立つ大きな桜の木があり、一目見て、それが目玉の「枝垂れ桜」であることが分かった。
この季節夜になるとライトアップされ、夜桜が楽しめるということであった。
順路に従って、向かって左の方向に歩を進めると、右手に大きな池があり、その向こうに瀟洒な渡り橋が見えた。
松がその池を囲み、日本庭園の美しさを醸し出していた。
少し小道に入ると、今度は小さな池があり、そこには錦鯉が数匹泳いでいた。
その池にも湾曲した橋が架けられ、池の中の岩と見事に調和がとれていた。
よく見ると、大きな池の方では、鴨が泳いでいた。
少し歩くと山の小道のようなところに出た。
昨夜からの雨で、道が少し糠っていた。
歩いている人々も、気をつけて歩いているようだった。話している声からは、外国人もかなりの数混ざっているように感じた。
林の中には、茶室や屋根の付いた休憩所などがあり、その庭園の渋みが増しているように感じた。
一周すると、また枝垂れ桜のところに戻ってきた。
少し道を戻って、出口は「駒込」口から出た。
すると、目の前にJRの駅や地下鉄の駅が見えた。
東京には、これだけの美しい庭園があり、良く整備もされていた。
どんよりした天候の下であったが、気分はしっとりとして、濃い緑茶を戴いた後のようであった。
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両国橋から清澄公園を経て、木場公園に(第16回)
3月25日、その日靖国通りの両国橋を渡り、東京マラソンで有名になった清澄通りに入り、清澄白河にある「清澄公園」に向かった。...
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3月25日、その日靖国通りの両国橋を渡り、東京マラソンで有名になった清澄通りに入り、清澄白河にある「清澄公園」に向かった。
そう言えば、東京マラソンを境に、この辺の主要道路に「自転車レーンのマーク」が白いペンキでくっきりと表示されるようになった。
そういう意味では、サイクリングがし易くなったと感じた。
先ず、芭蕉の句碑もあるという「清澄庭園」があり、中を覗くと松の枝振りが濃厚な日本庭園の雰囲気を醸し出していた。
自転車では、入れないようだったので、その日はその隣にある清澄公園を一周した。
良く整備された、その公園を素通りし、木場公園を目指した。
2つほどの川を渡ると、その公園はあり、外から見ても大きな公園であることが分かった。
中に入ると、吊り橋風の特徴的な大きな橋である「木場公園大橋」が見えた。
広場があり、そこでは多くの人々が、バーべキューなどをして楽しんでいた。
その公園は、南北に2つに分かれており、先に南側を回ると、紅梅白梅の梅の木でヒヨドリが花を突いている姿を見つけた。
そのヒヨドリは、木々を渡っていた。思わずスマホのシャッターを切った。更に動画でもその姿を撮影した。
大橋の前には、パンジーやチューリップなどが綺麗に植えられていた。
少し高台になっている広場に上がり、吊り橋を見ると、その向こうに「東京スカイツリー」が重なって見えた。
橋の下は「仙台堀川」が流れているようだった。「ほうー、ここに流れて来るのか」と思わずつぶやいた。
橋を渡ると公園の隣に、「都立現代美術館」があると表示されていた。
残念ながら、その美術館は工事中で、周りには高い白い壁でずっと覆われていた。
隙間からは、モダンそうな建物が少し垣間見られた。
清洲橋通りを走り、レトロな「清洲橋」を渡り、「浜町中の橋」から浜町公園に寄って、また靖国通りに戻った。
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(第16回)MAP
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