“絶望”と呼ばれた少女・ロシア・フィギュア・ワリエワの告白~(3/3放送)
15歳でシニアデビューを果たし、男子でも難しいとされる4回転ジャンプを軽々と飛び、他を寄せつけないその強さから「絶望」という異名で呼ばれるようになったロシアのフィギュアスケーター・カミラワリエワ。過去の大会でのドーピング違反が発覚し、2022年の北京五輪で頂点からどん底へと転がり落ちた。
ROC(ロシアオリンピック委員会)の一員として出場したワリエワは4回転を成功させ、団体戦でチームの金メダルに貢献したが、この直後、ワリエワが2か月前に出場した国内大会でドーピングの陽性反応が出たことが判明した。...
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15歳でシニアデビューを果たし、男子でも難しいとされる4回転ジャンプを軽々と飛び、他を寄せつけないその強さから「絶望」という異名で呼ばれるようになったロシアのフィギュアスケーター・カミラワリエワ。過去の大会でのドーピング違反が発覚し、2022年の北京五輪で頂点からどん底へと転がり落ちた。
ROC(ロシアオリンピック委員会)の一員として出場したワリエワは4回転を成功させ、団体戦でチームの金メダルに貢献したが、この直後、ワリエワが2か月前に出場した国内大会でドーピングの陽性反応が出たことが判明した。
ドーピングは本当なのか?本人にインタビューした。
ワリエワは「私が言えるのは、意図的にドーピングをしてはいないということだけだ。ロシアのアンチドーピング機構の講習も受けてきた。最大限ルールに従うよう努めてきた。五輪は素晴らしいスポーツの祭典で、出場することを夢見てずっと練習をしてきた。しかし、残念ながら全く想像もしていなかった気持ちになった」と語った。
以前から国家ぐるみのドーピングを疑われ続けてきたロシア。世界アンチドーピング機構による調査では2011年からの5年間で1000人以上のロシア選手がドーピングに関わっていたと報告されている。
その後の個人戦。ワリエアは要保護者の年齢にあることなどを理由に猛反発の中、出場が許可されたが、もはや平常心で演技ができる状態ではなく、4回転でミスを連発、結果は4位となった。
ロシア国民は北京オリンピックから帰国したワリエワを温かく迎えた。ロシアのメディアもワリエワが被害者であるかのような報道を繰り広げた。プーチン大統領はワリエワをクレムリンに直接招き、団体戦での貢献をたたえ、世界からの非難を一蹴した。
2022年2月24日、北京オリンピックが終わったわずか4日後にロシアはウクライナに侵攻し、ロシアのアスリート達を孤立させることとなった。ウクライナでは分かっているだけでも1万人を超える市民が死亡、多くのアスリートたちが戦場に向かい400人以上が命を落とした。さらにウクライナのスポーツ施設は500以上が破壊された。
インタビューでワリエアは「今はいろいろな感情が混ざっていてうまく答えることはできない。私たちはスポーツ選手だから、リンクの外で起きていることはどうすることもできない」と語った。
ドーピング違反を巡る審議は依然として続き、ワリエワは国際大会への復帰の見通しが立たないまま、2度目の冬を迎えていた。選手としてのピークが刻一刻と過ぎ去ろうとしていく。
大方の予想では当時15歳で要保護者だったワリエワへの処分は限定的になるとみられていた。この時目標としていたのはひと月後に行われる国内最高峰の大会ロシア選手権。全く跳べていなかった4回転ジャンプにも挑戦を続け、成功率を4割ほどまでに戻していた。
2023年12月、ロシア選手権の本番を迎えた。楽々と4回転を飛ぶ後輩たちが追い上げてくる中、緊張したワリエワは冒頭で4回転に失敗したが、その後は持ち直し、練習で追求していた演劇のような表現を貫いて3位となった。ワリエワの演技にロシアの観客からは大きな声援が送られた。
2024年1月、遂にドーピング違反を巡る裁定が出た。2025年12月25日まで国内外の全ての大会に出場できないという重い処分となり、この2年間に出場した大会も失格となった。
ワリエアは北京オリンピックの団体戦金メダルを失い、3位だったロシア選手権の結果も無効とされた。ロシア政府はワリエワの処分に対し強く反発し、異議を唱えている。このまま裁定どおりとなればワリエワがリンクに立てるのはワリエアが19歳となる2年後となる。
ワリエアはインタビューで「私がもう終わりだという人には言わせておけばいい。選手としてはもう厳しいという人もいる。でも私が自分の中で耐えられると思ったら耐えられるし頑張るしかない」と語った。
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戦場のジーニャ~ウクライナ・兵士が見た“地獄”~(2/25放送)
今回のNHKスペシャルは、テレビカメラマンだったウクライナ兵のジーニャ自身がスマートフォンや小型カメラを使って撮影した実際の戦場の様子を放映した。映像には徐々に追い詰められていく彼らの姿が記録されていた。
ジーニャの任務は、ロシア軍に不法に占領されたウクライナの領土を取り戻すためザポリージャの最前線で戦うことだった。数日に一度、ロシア軍の陣地を襲撃し、1つずつ奪っていく任務が与えられた。
そこは第一次世界大戦さながらの塹壕戦であり、深さ2メートル、幅1メートルほどの塹壕を掘り、その中に兵士数人で籠城し、至近距離でロシア兵と撃ち合った。...
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今回のNHKスペシャルは、テレビカメラマンだったウクライナ兵のジーニャ自身がスマートフォンや小型カメラを使って撮影した実際の戦場の様子を放映した。映像には徐々に追い詰められていく彼らの姿が記録されていた。
ジーニャの任務は、ロシア軍に不法に占領されたウクライナの領土を取り戻すためザポリージャの最前線で戦うことだった。数日に一度、ロシア軍の陣地を襲撃し、1つずつ奪っていく任務が与えられた。
そこは第一次世界大戦さながらの塹壕戦であり、深さ2メートル、幅1メートルほどの塹壕を掘り、その中に兵士数人で籠城し、至近距離でロシア兵と撃ち合った。ジーニャは「これは殺人ではない。ゲームなんだ」と、何度も自分に言い聞かせ、必死に感情を抑え込んだ。
元ギタリスト・写真家のウクライナ兵・ジェイは「心臓が強く脈打つ感じだ。恐怖や不安が混ざり合い、アドレナリンが出てくる。どう説明したらよいかわからない」と語った。
また、元フィットネストレーナー・ドミトロは「我々はここで誰も殺していない。これは殺人ではない。殺し屋はロシア側の人間で、彼らが我々を殺しにきた。入隊した当初はどうして人を殺すことが可能なのかと思っていたが、その後はどうやって生きていけばいいのだろうとなった。頭の中にはカーテンのような壁がある」と語った。
ジーニャは中隊長に「こんな経験はもうしたくない」と言った。こうした極限状態の連続が市民を兵士へと変えていく。
ジーニャは塹壕を直撃した砲弾で負傷し、一命は取り留めたが、左腕の神経を損傷し、麻痺が残った。
ジーニャは「今は戦争に行きたい人がほとんどいないことはわかっている。市民に戦争に行ってほしいとは思わない。よいことなど何もない。でも、それ以外の方法がない。私は戦争についてこれ以上話をしたくない」と語った。
ウクライナ侵攻から2年、ロシアは兵力を増強し、更なる占領地の拡大を目指している。プーチン大統領は「我々は特別軍事作戦」を諦めるつもりはない」と語った。
欧米諸国から提供された最新鋭の戦車や装甲車はロシア軍の地雷の餌食となった。装甲車を脱出したジェイとドミトロはロシア軍の激しい攻撃にさらされた。
ジェイはPTSDと診断され、キーウに戻ったものの、再び志願して前線で戦うつもりだ。キーウの病院で治療を受けているジーニャも回復すれば再び戦場に向かう可能性がある。現在、ウクライナ軍の反転攻勢は失速し、守りに転じている。きょうも市民は兵士となって戦場へ向かう。
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続・“冤罪”の深層~警視庁公安部・深まる闇~(2/18放送)
昨年12月、ある冤罪事件を巡る賠償請求訴訟の判決が言い渡された。東京地方裁判所が警視庁や検察の捜査を違法と認め被害者への賠償を命じる判決だった。4年前、中小企業の経営者ら3人が警視庁公安部に逮捕された。軍事転用可能な機械を中国や韓国に不正に輸出したという容疑だった。
元顧問は勾留中に見つかった病が原因で亡くなった。起訴が取り消され事件が冤罪だと明らかになったのは元顧問の死の5か月後のことだった。...
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昨年12月、ある冤罪事件を巡る賠償請求訴訟の判決が言い渡された。東京地方裁判所が警視庁や検察の捜査を違法と認め被害者への賠償を命じる判決だった。4年前、中小企業の経営者ら3人が警視庁公安部に逮捕された。軍事転用可能な機械を中国や韓国に不正に輸出したという容疑だった。
元顧問は勾留中に見つかった病が原因で亡くなった。起訴が取り消され事件が冤罪だと明らかになったのは元顧問の死の5か月後のことだった。NHK取材部は国や都が裁判への提出を拒否した文書など、警察の内部資料を新たに入手し、捜査開始から逮捕起訴に至るまでの3年間を改めて検証、事件の背後に国が推進する「経済安全保障」への忖度があぶり出されてきた。
現職捜査員がねつ造とまで指摘した今回の事件。法令解釈を巡る議論はまず経産省と公安部の間で始まった。輸出した機械が規制の対象かどうか判断するのは経産省の役割。協議は内偵捜査が始まった2017年から翌年にかけ、経産省からは軍事転用可能な貨物の規制などを専門とする部署の安全保障貿易管理課の職員が出席し、13回にわたり行われたと記録されている。
この資料によれば当初、経産省側は噴霧乾燥機を規制する省令に問題があると主張していた。問題をさらに探っていくと省令の「殺菌」という言葉の曖昧さに原因があった。この省令は日本も参加する国際的な枠組みAG(オーストラリアグループ)での合意に起源を持つ。
「殺菌」はAGで合意した文言「disinfected」を日本語にする際あてられた言葉で、本来、「消毒」と訳され、化学薬品を使って菌を殺滅するという定義がある。当初、経産省の一部や会社側は消毒が可能な特殊装置がついた噴霧乾燥機を規制対象と考えていたが、警視庁公安部は省令の「殺菌」という言葉には「消毒と違って菌を殺す手段に明白な定義がないため、消毒機能がなくとも熱風で菌を殺滅できれば規制対象になる」と考えていた。
この独自解釈を主導したのが外事一課・第五係の幹部だった。第五係長は法令解釈が曖昧なことをチャンスだと捉え「経済産業省が決めていないのだから警察が勝手に定義づけできる」と言っていたという。
経産省の内部からは第五係の捜査に疑問の声も上がっていた。第五係は大川原の同業他社や機械のユーザーにも聴取を重ね、そのうちの一社の噴霧乾燥機の老舗メーカー社長は「捜査員から噴霧乾燥機で殺菌が可能かを聞かれた」と主張。通常の噴霧乾燥機は熱風で菌を殺すことを目的に設計されておらず、その目的で機械を使うユーザーもいないというが業界の常識だった。企業調査を担う経産省の安全保障貿易審査課も同様の考えを持っていた。
独自の実験を重ねた第五係は「熱風で殺菌が可能」と主張する資料を経産省に提出。経産省は「これら資料を前提とすれば輸出規制に該当すると思われる」と回答。これが大川原への強制捜査への道を開いた。回答の2か月後、警視庁公安部は大川原本社や社員らの自宅などを一斉に強制捜査、大量の資料を押収。更にその2か月後、社長以下約50名の社員に対し任意の事情聴取を開始。1年余りで延べ300回近い聴取を行った。
第五係が作成したとみられる報告書は警視総監ら最高幹部まで報告が上がったとされた。外事容疑性とは外国の軍事組織などと、つながりを持つことへの疑いを指す。経産省と協議が続く中、第五係が作成したとみられる資料には大川原の輸出先や合弁先と中国軍需産業の関係を調べていたと書かれている。逮捕された元役員は「中国のあってはならないところに大川原の機械があった」との指摘を受け、中国にある自社製品の所在を全て確認したところ、軍事利用の事実は見つからなかった。内幕を知るという警察関係者は外事容疑性は事件化を進めたい捜査幹部らの後付けにすぎなかったと語った。
この頃、浮上してきたのが輸出規制など経済的手段を使って安全保障を確保することを指す「経済安全保障」という概念。大川原の事件は「経済安保」の取り組みの成果として警察内部で後に高く評価された。動きを加速させたのが米国の対中政策。米国は中国の国家戦略「中国製造2025」を警戒しており、この戦略を放置すれば米国の技術的優位を脅かすかもしれないと考え、対中貿易規制を盛り込んだ「国防権限法」を成立させていた。
第五係が作成した上層部への報告書には「中国は国家戦略『中国製造2025』を掲げ、諸外国の先端技術保有企業、防衛関連企業、研究機関等に触手を伸ばし、その矛先は我が国も例外ではない」と書かれていた。結局、大川原の強制捜査で外事容疑性につながる別件の犯罪行為は見つからなかったが、第五係はそれでも諦めず、出荷先企業と中国との関係調査を継続していたことが資料から読み取れた。大川原化工機は自分たちはスケープゴートにされたと主張している。
2020年3月、ついに社長ら3人が逮捕。逮捕後。社長らはこれまでの捜査への協力姿勢を一変させ、黙秘に転じた。検察は逮捕した3人以外に社員らにも任意の事情聴取を行っていた。警察の独自解釈では熱風で内部の菌全体を殺滅することができるはずだったが、実際は温度が上がり切らない箇所があると社員が指摘していた。亡くなった元顧問も同様の指摘を逮捕前から警察に伝えていた。元顧問らの「機械の構造上、完全な殺菌はできない」という指摘を無視したことが、捜査を違法と認める今回の判決につながった。
起訴直前、捜査を問題視していた警部補Yが検事Cに直談判、「法令解釈の曖昧さなどから捜査を見直すべきだ」と直接伝えた。最初の起訴から1年4か月後、Cとは別の検事によって起訴は取り消された。その際の検事との協議を記録した警察の内部資料には起訴取り消しの理由の一つとして法令解釈の問題が記されていた。警察の内部資料に記されたCの言葉は事実なのかを確認したところ、「コメントしない」との回答がきた。
大川原元顧問は死の間際「俺たちは何も悪くない。あいつらのやり方は汚い」と語っていた。遺族は元顧問が残したその言葉を今でも忘れてはいない。原告勝訴の判決から2週間後の1月10日、国や東京都は判決を不服として控訴。会社側も控訴で応じることとなった。
警察は違法とされた点について証拠上、受け入れられないと主張している。会社側が望んだ謝罪と自己検証は未だに果たされていない。取材に応じた、ある警察関係者が「誰が嘘をつき、誰が本当のことを言い、誰が握りつぶしたのかを明らかにしないことには組織は変わらない」と胸の内を語った。
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島根県安来市の足立美術館の庭(2/11放送)
今回のNHKスペシャルは米国の日本庭園専門誌のランキングで毎年第1位の評価を獲得している島根県安来市の足立美術館を総力取材した。
人口200人に満たない島根県安来市の山あいの町、古川町に「足立美術館日本庭園」を目当てに国の内外から年間45万人が訪れている。
足立美術館の売り物は横山大観をはじめとする日本画の大作と日本庭園である。
建物の中から日本庭園がガラス越しに見え、あたかも絵画のように見えることが特徴である。...
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今回のNHKスペシャルは米国の日本庭園専門誌のランキングで毎年第1位の評価を獲得している島根県安来市の足立美術館を総力取材した。
人口200人に満たない島根県安来市の山あいの町、古川町に「足立美術館日本庭園」を目当てに国の内外から年間45万人が訪れている。
足立美術館の売り物は横山大観をはじめとする日本画の大作と日本庭園である。
建物の中から日本庭園がガラス越しに見え、あたかも絵画のように見えることが特徴である。窓枠で庭を切り取ることであたかも額縁に入った立体絵画のように楽しめる仕掛けが導入されている。苔の深い緑と白い砂とのコントラストが美しい苔庭。さらに枯山水庭にそそり立つ自然の石は険しい山を表し、そこから流れ出た清流が大河となって海に流れ込む様を水を使わずに表現している。
「白砂青松庭」のモチーフとなったのは横山大観の名画「白沙青松」である。もともと大観の作品コレクターとして知られていた実業家・足立全康が庭を造ったのが「足立美術館日本庭園」の始まりである。
1970年、足立は生まれ故郷の自然を背景に大観の日本画の世界を再現し、理想の空間を創ろうと試みた。自然と人工の調和がまるで山裾まで続いているかのように見え、第2の庭とも言える横長の植林帯が奥の広い道路や田んぼを見せない舞台装置となっている。
「足立美術館日本庭園」は米国の日本庭園専門誌「スキヤリビングマガジン」が主催するランキングで2003年以来、連続第1位の評価を獲得してきた。
「スキヤリビングマガジン」の編集部・ダグラスロス編集長は40年前に海軍士官として来日。その時訪れた日本庭園に心を奪われ、1998年に同誌を創刊し、今では購読者は世界37の国と地域に広がっているという。
同編集部は「人の手が加わることで自然はより一層輝きを増す」という日本庭園独自の思想を剪定技術のワークショップを開催することによって伝えようとしている。毎年12月に発表される人気企画「日本庭園ランキング」は、プロの視点で日本庭園を独自に評価しようと2003年から開始された。順位は読者の中から選ばれた世界各地・数十名の専門家たちによって決められている。
梅雨明け間近の7月。足立美術館では夏の2か月の間に800本の赤松など、背の高い木の剪定が行われる。初日は本格的な夏の到来を告げる風物詩として地元メディアも詰めかける。気まぐれな自然を相手に美を追い求める庭師の仕事は本来は地味な仕事であり、庭師の1人は「自分たちはあくまでも裏方の存在なので、本来、撮影されることはあまり望んでいない」と話してくれた。
各地で猛暑が続いた7月下旬。客が見守る中、赤松の剪定は大詰めを迎えていた。8月には植林帯の赤松の剪定が始まり、終わる頃には季節は秋を迎える。
早朝5時。足立美術館では春に一度手を入れた黒松の最後の剪定が始まろうとしていた。この作業を終える頃には本格的な紅葉の季節が訪れ、庭は完成を迎える。春に残した葉を全てむしり取り、新たに生えた芽から二本を選んでV字型に剪定していく。
残りの芽を全て折り取って形を整えていく。一本一本、毎年姿が異なる樹木と我が身一つで向き合い、人々の心を動かす庭園を造り上げていき、最後に庭を仕上げるのは自然の仕事となる。
12月2日、永島庭園部にとって初となるランキングの速報が届いた。無事に21年連続1位という期待に応えることができた。短い紅葉の季節は終わり、新たな一年をまた迎える。世界を魅了する庭造りがまた始まる。
予期しない落ち葉や積雪など、その都度に、庭師には臨機応変な対応が迫られる場面があるが、時にはNHKスペシャル取材班に強い口調を使うこともあったが、取材班は粘り強く撮影を続け「1年間の庭師の取材で、働くとはどういうことなのかを改めて考えさせられた」との思いを番組の中で綴った。
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能登半島地震1か月・限界の被災地・浮かぶ日本の“脆弱性”(2/4放送)
能登半島地震から1か月。自治体の職員は元日から住民の避難先や食事の手配など、不眠不休で対応を続けている。甚大な被害を前に先が見通せない被災地。日本社会が抱える構造的な脆弱性が早期の復旧を困難にしていることが明らかになってきた。
自治体職員の減少が続くこの国を襲った今回の地震。能登町では1か月が経った今もなお、約900人が避難所で生活。多くの人が在宅避難を余儀なくされている。こうした被災者を発災直後から支援してきた役場の職員たちは、自からも被災した人が多く、疲労がピークに向かいつつある。...
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能登半島地震から1か月。自治体の職員は元日から住民の避難先や食事の手配など、不眠不休で対応を続けている。甚大な被害を前に先が見通せない被災地。日本社会が抱える構造的な脆弱性が早期の復旧を困難にしていることが明らかになってきた。
自治体職員の減少が続くこの国を襲った今回の地震。能登町では1か月が経った今もなお、約900人が避難所で生活。多くの人が在宅避難を余儀なくされている。こうした被災者を発災直後から支援してきた役場の職員たちは、自からも被災した人が多く、疲労がピークに向かいつつある。
ふるさと振興課・小川勝則担当課長は従来からの業務に加え、避難所で暮らす被災者たちの支援も行っている。国の担当者に避難先で使う生活必需品の手配を依頼、休む間もなく仮設住宅の建設を進める会議にも参加。複数の業務を一手に引き受けている。小川さんは「仲間の人たちにすごく助けられて、やってこれている。助けてくれたものは精一杯やりたい。その仲間たちがそれぞれに自分のやれることを寝ずにやってくれている」とつらい胸の内を語った。
珠洲市が今、直面している大きな課題の一つが仮設住宅の建設。2年前に更新された計画では建設予定地は28か所あったが、想定を上回る規模の地震でその半数以上が被災し、新たに10か所以上の土地を探す必要に迫られた。
工事の現場でも東日本大震災や熊本地震を経験したエキスパートが駆けつけているが、過去の経験が通用しないような事態が起こっていた。甚大な家屋の被害を受けた珠洲市周辺では作業員が宿泊できる場所が確保できないのである。
宿泊拠点は最も遠い場合、渋滞すると片道4時間程度かかり、往復の時間を考慮すると1日僅か5時間程しか作業に当たれないことになる。
今回は過去の地震と比べても復旧に時間がかかっている。重要な生活インフラである水道は今回1か月が経った今月1日時点での復旧は6割程だが、同じ1か月が経った時点で東日本大震災では8割が復旧、熊本地震の時はほぼ全戸復旧していた。自治体の職員が懸命に対応し、全国から多くの応援も入っているが、復旧復興に向けた動きは十分に進んでいない。
地震の激しい揺れにより、水道管が抜けたり折れたりした箇所が想像以上に多く発生しているために復旧が遅れている。要因の1つが交通アクセスの悪さ。さらに水道管の耐震対策が進んでいなかったことも被害を大きくしたと指摘されている。断水を少しでも早く解消するため、復旧支援チームは既存の水道管の調査や修復を後回しにし、代わりに新たな水道管を通常よりも浅い部分に設置し、最短距離で工事することで時間の短縮を図る新たな試みを始めている。
インフラ復旧の基盤となる道路に関しては、能登半島の主要な幹線道路の9割で緊急の復旧が終わったとされているが、奥能登の動脈となってきた国道249号線の寸断がいまだに続いているなど、復旧が手付かずの道路も数多く残されているのが現状。その復旧を担っている多くが自からも被災した人たちである。
大阪公立大学大学院・菅野拓准教授は「通常、1か月というとそろそろ復興計画のことを考え、復興に向けたフェーズに移り変わっていくところだが、今回、被災地がかなり広い範囲で、さまざま地域差も出ている。珠洲や輪島はなかなか緊急のフェーズを抜けられない状況が続いている」と指摘、その要因として「県や政府の現地対策本部が置かれた金沢だとわりと平時の生活ができてしまうような状況があり、危機意識が持てなかったことが初動の一部の遅れを生んでしまったのではないか」と推察した。
今回の地震が突きつけたもうひとつの構造的な課題は高齢化が進んだ地域が被災地になった時の対応の難しさである。今回、甚大な被害があった能登半島北部では高齢化率が珠洲市で52%に上るなど、全国の水準を大きく上回っている。こうした地域の高齢者を長期的にどう支えていけばいいのか、2次避難を巡る難しさも浮き彫りになっている。地域の在宅介護を下支えしてきた珠洲市のデイサービスではほとんどの事業者が今も再開できていない。1か月が過ぎ、高齢者介護の現場でも疲労はピークに近づいている。
避難生活の長期化で懸念されるのが高齢者の健康状態の悪化。詳しい検査ができないため、提供できる医療には限界がある。施設では安心して医療や介護を受けられる2次避難先への移動を促しているが、住み慣れた土地を離れられないなどそれぞれに事情があり、2次避難も容易ではない。地震発生から2週間にわたって孤立状態が続いた輪島市七浦地区では支援の手が十分に届かない中、集落を離れる人が相次ぎ、351人いた住民は148人に減少した。
大阪公立大学大学院・菅野拓准教授は「今回の地震が浮き彫りにした課題は日本の多くの地域が抱える課題でもある」とした上で、「災害の法律に福祉という視点が足りない」と指摘した。
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