“一億特攻”への道~隊員4000人・生と死の記録~(8/17放送)
特攻は今から80年前、太平洋戦争終盤の1944年10月に南方フィリピンで始められ、最初に命じた司令官自ら「統率の外道」と語った作戦である。その後、終戦当日まで10か月にわたり続けられた。最初の特攻隊が編制された時、現地航空隊の司令官・大西瀧治郎中将は、爆弾を抱えたゼロ戦で敵の空母に体当たりするよう搭乗員に命令を下した。
太平洋戦争が3年目に入ったこの年、米国の圧倒的な航空戦力を前に日本は敗退を重ねていた。...
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特攻は今から80年前、太平洋戦争終盤の1944年10月に南方フィリピンで始められ、最初に命じた司令官自ら「統率の外道」と語った作戦である。その後、終戦当日まで10か月にわたり続けられた。最初の特攻隊が編制された時、現地航空隊の司令官・大西瀧治郎中将は、爆弾を抱えたゼロ戦で敵の空母に体当たりするよう搭乗員に命令を下した。
太平洋戦争が3年目に入ったこの年、米国の圧倒的な航空戦力を前に日本は敗退を重ねていた。7月には本土防衛の要とされていたサイパンが陥落。戦闘の巻き添えとなって民間人およそ1万人が犠牲となり、この島から大型爆撃機による本土への空襲が始まろうとしていた。10月、日本軍が決戦場としていたフィリピンに米国の大軍が押し寄せた。体当たりで空母の飛行甲板を破壊し、航空戦力を封じた上で決戦に打って出る。特攻はあくまでも戦局挽回までの一時的な作戦のはずだった。
戦死した10月30日まで最初の1週間の戦死者は76人。そのうち46人が二十歳以下の海軍予科練出身者が占めていた。戦況が悪化する中、彼らは訓練期間を短縮されて戦場に送り出され、命を落としていった。そのころ東京では特攻に踏み切ったことを海軍トップの軍令部総長・及川古志郎大将が昭和天皇に上奏していた。それに対する天皇の言葉は「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった」というものだった。特攻を否定しないこの言葉の背景には当時、天皇や軍首脳が抱いていた「一撃講和」という考えがあった。
陸軍大将でこの時、首相を務めていた小磯國昭が戦後「このまま負け続け、連合国が求める無条件降伏に追い込まれれば、天皇中心の国家体制が危うかった。しかし軍内部には和平を拒み徹底抗戦を唱える強硬派が存在していた。連合国が戦争継続をためらうような被害を与え、有利な講和を引き出すとともに強硬派を納得させる。その一撃講和の有効な手段とされたのが特攻だった」と語り残している。
一時的な命令だったはずの特攻は軍の正式な作戦となり、継続された。戦死した隊員のふるさとは11月の終わりまでに248か所に増えていく。そして特攻を後押しする歯車が回り始める。マスコミは国を救う自己犠牲の美談として特攻を報じ始めた。「靖国隊」のニュース映像は全国の映画館で上映され、大きな反響を巻き起こし、隊員たちのふるさとは沸き立った。植民地の人々を戦争に協力させたい軍の意向で、新聞は半島出身者の特攻を「半島に靖国の神鷲」とたたえた。この後、終戦までの間に朝鮮半島から16人が特攻で戦死していく。国民学校の3年生は「皆が特攻精神を持てば米国に勝てる」と教えられた。
国を覆う熱狂を更に燃え上がらせたのが戦争の時代に急速に普及したラジオである。12月17日の晩、日本放送協会が特攻隊員の遺言を放送した。遺言はこの10日前にフィリピンで戦死した「護国隊」という部隊の若者たちが残したものだった。彼らの自宅には放送に合わせて報道陣が押しかけた。
この放送に違和感を抱いた国民もいたが、「後に続け」と叫ぶ声の方が大きかった。伊藤忠商事の会長・伊藤忠兵衛は隊員の言葉に感激し、放送の5日後、経営する工場の従業員に訓示を行った。フィリピンで体当たり攻撃が始まって1か月余り。「一億特攻」という言葉が新聞に登場すると瞬く間に広がり、人々が口にするスローガンになった。特攻と日本社会との関係を研究する埼玉大学・一ノ瀬俊也教授は一億特攻が広く浸透した背景には、当時の日本人がとらわれていた一つの考え「日本が米国に国力で劣っていることは誰でも知っているが、当時の日本では物量に対して精神力で対抗すること、崇高な精神力の発揮は米国には絶対にできず日本人にしかできない」ということだったと指摘した。
特攻で米国の進撃を止めることも一撃講和の糸口をつかむこともできなかったにもかかわらず日本は特攻を続けていく。沖縄戦が行われる3月から6月にかけて更に大きな山が現れる。予科練など少年飛行兵の出身者と海軍兵学校や陸軍士官学校出身のエリート士官それを担った。彼らは率先して命を懸けて戦うよう教え込まれていた。そして沖縄戦以降、大学や専門学校など学徒の出身者およそ1000人が主力の一部を担っていく。そのふるさとを見てみると、それまで人口の割に隊員が少なかった都市部やその周辺に集まっていることがわかった。それまで学生は国の将来に必要な人材として徴兵を猶予されていたが、兵力不足が深刻になる中で文科系学生の徴兵猶予が停止された。
隊員はどのように選ばれたのか。実は海軍省は主に国内で訓練中の搭乗員たちに特攻に志願するか調査し、55の航空隊が海軍省に提出した搭乗員のリストを基に特攻隊員を選び前線に送り出していたと考えられていたが、特攻隊に選ばれなかった3人はおよそ5000人の学徒出身の同期の中でトップクラスの成績だった。冷徹な組織の論理。隊員の命を選別して特攻は続けられたが、戦局を挽回することはできなかった。速度の出ない練習機による特攻だけで300を超える命が失われた。日本は「一億特攻」を叫び続けたまま終戦の日を迎えた。
一億特攻への道。そこには私たちとなんら変わらない人々が生きていた。もしまた同じような道が生まれた時、自分ならどんな選択をするのだろうか。
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パラレル米国~銃撃事件の衝撃・分断のゆくえは~(7/21放送)
今年11月に迫った米国大統領選挙の行方は混迷の度を深めている。伝統的に民主党の支持基盤とされてきた若者たちの間でもトランプ氏への期待が高まっている。トランプ氏が大統領に選ばれてから、この8年、米国では繰り返し分断が指摘されてきた。溝は深まり続け修復不可能な地点にきている。それは米国の中に「もうひとつの社会」を出現させるまでになり、その陰ではトランプ回帰ともいえる潮流が生まれている。番組ではその行方を追った。...
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今年11月に迫った米国大統領選挙の行方は混迷の度を深めている。伝統的に民主党の支持基盤とされてきた若者たちの間でもトランプ氏への期待が高まっている。トランプ氏が大統領に選ばれてから、この8年、米国では繰り返し分断が指摘されてきた。溝は深まり続け修復不可能な地点にきている。それは米国の中に「もうひとつの社会」を出現させるまでになり、その陰ではトランプ回帰ともいえる潮流が生まれている。番組ではその行方を追った。
ターニングポイントUSAは若者を中心に保守の理念を社会に浸透させようと活動している団体で、トランプ氏の米国第一主義に共鳴している。チャーリーカーク代表は伝統的な家族観や愛国心に基づいた社会を推し進めようとしている。保守系のシンクタンク「ヘリテージ財団」は、トランプ氏再選を見越して詳細な計画「プロジェクト2025」を準備していて、トランプ氏自身はこの計画には無関係だとしているが、立案や運営にはトランプ氏のブレーンも複数、参加している。
この中では大統領の権限を大幅に強める内容も含まれていて、それを実行する官僚を育成しようとしている。ヘリテージ財団「プロジェクト2025」総責任者・ポールダンス氏は「大統領が政府を掌握するためには同調する官僚が必要だ。前回のトランプ大統領の就任時は足並みを揃えられなかった。それは多くの官僚が反トランプ派で、一種の機能不全になったからだ。だからトランプ氏が再任されたときに官僚機構をどう管理するかは非常に重要だ」と語る。
この動きに対し、ジョージタウン大学・ドナルドモイニハン教授は「専門性も知識も乏しい人材ばかりになると、より政治化され、透明性の低い政府になる。官僚が大統領に忠実で憲法よりも大統領を守ることを第一に考えるような状況では透明性が薄れていく。彼らはトランプ氏に仕えていると考えており、良い公共サービスを提供することよりも、指導者を守ることに全力を傾け、より権威主義的な政府を生み出すことになる」と批判する。
ハーバード大学・マイケルサンデル教授は、トランプ回帰現象について「多くの人々が自分たちの仕事に対して敬意が払われておらず、エリート層から軽視されていると感じているためだ。この不満や憤りをトランプ氏が巧みに利用している。もともと労働者の党を自認していた民主党は東西冷戦終結後の90年代以降変質し、労働者の期待に応えられなくなり、さらにバイデン政権が気候変動対策を最優先に石油産業の規制を強化したことで人々の反発を招いている。今では共和党と民主党は立場が逆転したかのようになっていて、民主党は多くの労働者から遠ざけられている」と分析した。
もはや交わることさえないほど深まった社会の分断は独自の経済圏を築く動きにまで突き進んでいる。誕生から僅か2年余りのプラットフォーム「パブリックスクエア」が今、急成長を遂げている。去年7月、設立から僅か1年余りでニューヨーク証券取引所へ上場した。CEO・マイケルセイファートは多様性を重視するリベラルな風潮に違和感を抱く人々のために新たな選択肢として、このプラットフォームを作った。小売店から病院まであらゆる物やサービスを検索し、購入できる「パブリックスクエア」は人々にとって不可欠なインフラとなることを目指している。参加したい企業は「自由を尊び小さな政府を目指すこと」、「中絶に反対し家族のつながりを重視すること」など、伝統的な保守の考え方を持っていることを要求される。
「パブリックスクエア」の顧客のひとりは多様性の象徴であるレインボーカラーを嫌い「数年前からスーパーに多様な性の尊重を呼びかける旗が増えていることに気づいた。彼らが私たちと違うものを信じていることは構わないが、小さな子供が見るべきではないものを店の真ん中に展示する必要はないし、プロパガンダや理念の押し付けはしてほしくない」と吐き捨てるように語った。
米国では相いれない価値観を排除しようという動きも強まっている。特定の本を禁止し、学校や公立の図書館から排除しようとする動きは全米に広がり、禁書と呼ばれている。米国図書館協会のまとめでは異議申し立ての対象となった本は4200冊余り。その多くが同性愛などの性的マイノリティーや人種差別、性的な内容が含まれる本となっている。
長年有権者の意識調査を続けてきたウィスコンシン大学・キャサリンクレイマー教授は「次の大統領が異なる立場の人々に寄り添う姿勢を見せなければ米国が再び一つにまとまる機会は失われてしまうだろう」と指摘した。
ハーバード大学・マイケルサンデル教授は「今世界は極端な国家主義や権威主義、右派ポピュリズムへシフトしている。民主主義国家の指導者たちが、伝統的な中道右派政党や中道左派政党ではない、もう一つの政党を生み出している。彼らに共通しているのは国境や移民問題などの過度なナショナリズムだ。民主主義の未来は危機に瀕しており、主要政党の中道左派、中道右派の人たちが有権者に希望を与える力を失っている。この4、50年間、説得力のある魅力的な選択肢を提供できなかったという失敗を認識し、主要政党がその使命と目的を再考する必要がある」と警鐘を鳴らした。
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永田町“政治とカネ”の攻防~改革のゆくえは~(7/14放送)
自民党の派閥の政治資金パーティを巡る事件。安倍派、二階派、岸田派が5年間で合わせて9億7000万円余りのパーティ収入を政治資金収支報告書に記載しておらず、国会議員や会計責任者など合わせて10人が立件された。
安倍派の座長を務めていた塩谷立衆議院議員は「不記載というのは今回初めて知った。なぜ不記載にしたかの理由がわからない、記載さえしていれば、ちゃんと政治資金として使えるわけで、そこがわからないし、誰がこれを考えて主導してきたのか見えない。...
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自民党の派閥の政治資金パーティを巡る事件。安倍派、二階派、岸田派が5年間で合わせて9億7000万円余りのパーティ収入を政治資金収支報告書に記載しておらず、国会議員や会計責任者など合わせて10人が立件された。
安倍派の座長を務めていた塩谷立衆議院議員は「不記載というのは今回初めて知った。なぜ不記載にしたかの理由がわからない、記載さえしていれば、ちゃんと政治資金として使えるわけで、そこがわからないし、誰がこれを考えて主導してきたのか見えない。全て、正直に語ってきた。総理、党幹部の責任も大きい」と語った。
関係議員の調査や処分に当たった茂木幹事長は「身内を処分しなければいけないという大変苦しい思いがあった。様々なご批判がある中での苦渋の決断だったが、政治改革というのはこれで終わりではなく、これからも不断の改革努力を進めていかなければいけない」と決意を語った。
政治学者で東京大学の総長を務めた佐々木毅氏は「一体、この30年間は何だったのか。政治家たちが問題を真剣に議論し改善するというような機会がないままに過ぎ去ってしまった」と怒りに満ちた表情で回想した。
振り返ると1988年、リクルート事件をきっかけに政治に対する国民の怒りがピークに達し、金権政治の打破を目指して行われたのが「平成の政治改革」だった。国民的な議論が数年にわたり行われ、佐々木氏は様々な提言で議論をリードしてきた。選挙にかかる費用を抑えようと「小選挙区制度」を導入し、国民1人250円の負担で政治資金を賄い、公正な政治を実現しようと「政党交付金制度」も設立された。
佐々木氏は「政治家たちの本音は政治とカネの問題があまり透明化されすぎないようにしたいということだった。モグラ叩きゲームみたいなものであり、その都度、その都度対処していくしかない」と指摘した。
自民党の派閥そのものにも非難の矛先が向かい、主要派閥が相次いで解散を表明した。40年以上にわたり永田町に身を置き続け、歴代最長の自民党の幹事長として巨額の政治資金を動かしてきた二階俊博氏は「派閥が悪いとみんなが言うから、ならやめたらいいということになった」と吐き捨てるように語った。実は1994年、平成の政治改革で自民党は全派閥を解散したものの、その翌年、派閥活動を再開させたという過去がある。
二階氏は「派閥が復活するのは当然だ。人が寄ったら派閥ができるんだよ」と派閥を正当化した。政治資金に関しては「政治にはカネがかかるんだよ。特に選挙にはカネがかかる。パーティ券の2枚や3枚では生徒会の選挙にもならない。1回の選挙には10億円以上のカネを必要とした時期もあったが、それでも最近はずいぶんカネがかからなくなってきた方だ」と語った。
今回の事件をきっかけに政治にかかるカネそのものを減らすべきだと訴えたのが立憲民主党の落合貴之衆議院議員だった。立憲民主党が提出した法案では今回の問題の発端となった政治資金パーティを禁止、更に企業団体献金も禁止するとした。
自民党は政治資金の減少につながりかねない法改正には慎重な姿勢で、当初から政治家の責任を強化する「連座制」の導入など、再発防止に直接つながる改革に重きを置いて議論を進めていた。自民党案の取りまとめに当たった鈴木馨祐衆院議員は政治資金の集め方の議論は今回の法改正とは切り分けるべきだと主張した。自民党・牧原秀樹衆議院議員は自らの経験を踏まえ、「政治資金を集めにくくなると資産に余裕のある人しか政治家になれなくなる」と訴えた。
一方、立憲民主党・落合議員は初当選以来、政治資金パーティを開かず、親族や知人などからの個人献金を政治活動の支えとし、企業団体献金を受けずに活動してきた。立憲民主党が政治資金パーティの禁止を主導して訴えている最中、岡田克也幹事長がパーティを開こうとしていたことが判明し、落合議員は「国民的理解は得づらい。審議中は控えてほしかった」と批判した。
自民党のパートナー・公明党の主張は政治資金の透明性を高めることだった。中でも強くこだわったのがパーティ券の問題で、購入者の氏名などを公開する基準額を現在の「20万円を超える」から「5万円を超える」に引き下げることを掲げた。中川氏が厳しい姿勢で臨む背景には公明党が抱える支持者のつなぎ止めという問題があったが、自民党側はパーティ券の公開基準額を公明党の求めどおりに引き下げることには否定的だった。
結果的に岸田総理大臣の一存で事態は動き、自民党は公明党の求めに応じた。法改正は実現したものの、決着を見たのは一部にとどまり、多くの論点が積み残され、本質的な議論は深まらなかった。東京大学元総長・佐々木毅氏は「今回の法改正だけでは悪魔祓いができていない」と語り、今後の議論を注視していく必要があると強調している。
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戦渦のオリンピック~密着180日・対立と分断の舞台裏~(7/7放送)
オリンピックは人々の愛国心を高揚させる舞台として発展してきた。1952年ヘルシンキ大会にソ連が初めて参加。東西冷戦が激しさを増す中、メダル争いが過熱した。
ソ連はメダル数で米国に5個差にまで迫り、国の威信を懸けた争いとなった。国歌斉唱、国旗掲揚の廃止を提案したのは第5代IOC会長・アベリーブランデージだった。20年にわたる在任中に度々提案したものの、東西両陣営からの強い反対を受け、実現することはなかった。...
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オリンピックは人々の愛国心を高揚させる舞台として発展してきた。1952年ヘルシンキ大会にソ連が初めて参加。東西冷戦が激しさを増す中、メダル争いが過熱した。
ソ連はメダル数で米国に5個差にまで迫り、国の威信を懸けた争いとなった。国歌斉唱、国旗掲揚の廃止を提案したのは第5代IOC会長・アベリーブランデージだった。20年にわたる在任中に度々提案したものの、東西両陣営からの強い反対を受け、実現することはなかった。
オリンピックの歴史を研究しているローザンヌ大学・パトリッククラストル教授によるとブランデージ会長提案は各国のIOC委員にとって受け入れ難いもので、その後、過度なナショナリズムを警戒する動きは弱まっていった。
1984年のロサンゼルス大会。ここでオリンピックは商業化に大きく舵を切った。IOCはテレビ局や大企業と次々とパートナー契約を結び、多額の放映権料とスポンサー収入を得る仕組みを確立した。
IOCの戦略を研究しているブザンソン大学・パスカルジロン教授は「この頃からIOCはナショナリズムにつながりかねない動きを黙認するようになった」とした上で、「感情的に盛り上がるので広告主やメディアにとってメリットがある最高の状況だった」と指摘した。
国際体操連盟・渡辺守成会長は167の国と地域を束ねる体操界のトップで8年前、国際体操連盟のトップにアジアから初めて選出された。IOC・トーマスバッハ会長ともじかに連絡を取り合う仲だ。
渡辺会長にはスポーツは平和に貢献できるという考えがあり、その考えは90年代はじめ、旧ユーゴスラビア紛争の時に紛争下の選手を日本に招待し国際大会を開催、対立していたセルビアとボスニアの選手を握手させたことからきている。
渡辺会長は「スポーツを通じてやってきた仲間だからこそ化学反応が起きて光が生まれた、スポーツは平和に貢献することにその存在価値があり、何もせず憎悪がどんどん深まっていくのをただ見ていればスポーツをやっている意義はない」と考えている。
一方でスポーツは平和に貢献できるという理想の難しさを物語る出来事も起きている。去年7月、フェンシングの世界選手権にロシアの選手が中立の個人として参加。対戦したウクライナの選手は試合が終了した時の握手を拒否し、ルール違反で失格となった。
握手を拒否したオリガハルランは「ロシアの選手との握手拒否はウクライナ人として当然だ」と語った。ハルランの行動をウクライナの人々は強く支持している。ウクライナ国内ではハルランを擁護するコメントがSNS上であふれた。IOC・バッハ会長は特別にパリオリンピックの出場資格を与える書簡をハルランに送った。
渡辺会長は2024年からロシアと同盟国ベラルーシの選手の参加を条件付きで認めることを昨年10月、ウクライナの選手団に伝えると大きな反発を受けた。
ところが12月、オリンピック本番でもロシアの選手の参加は国を代表しない中立の個人に限るとIOCは決定した。
プーチン大統領はIOCが課した条件は実質的にロシアの除外であると激しく反発し、オリンピックとは別の大規模な大会「フレンドシップゲームズ」をパリ大会の翌月に計画している。
オリンピックを上回る35競技が実施されるフレンドシップゲームズは今後4年に1回開かれるという。優勝者には4万ドルの賞金が与えられ、南米、中東、アフリカなどの国々から5000人以上が参加するとされている。
IOCは政治的な意図を含んだフレンドシップゲームズには参加しないよう各国の政府に求めている。渡辺会長はオリンピックを中心にまとまってきたスポーツ界が分断されることを懸念している。
オリンピックを巡る分断に更に拍車をかける事態がイスラエルで起きた。トルコの公共放送はIOCに対し、ロシアに厳しい制裁を科しながらイスラエルに対しては黙認する姿勢を非難。IOCは厳しい立場に追い込まれている。
オリンピック予選を兼ねたワールドカップがエジプト・カイロで開幕し、ウクライナをはじめ75の国や地域の選手が参加したがロシアの選手の姿はそこにはなかった。
渡辺会長が目指したウクライナとロシアの選手が同じ舞台に立つという理想は実現しなかった。会場にはロシアの選手のために用意した中立を示す旗がむなしく掲げられていた。
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法医学者たちの告白(6/30放送)
テレビドラマでは万能なヒーローというイメージがある法医学者。今回のNHKスペシャルは法医学者の真実の姿を取材した。
旭川医科大教授・清水惠子は法医学者になって25年。これまで4000体もの遺体を解剖してきた。全国の大学にいる法医学者はおよそ150人。清水も日本法医学会の理事で、2割しかいない女性の法医学者の草分けだ。法医学者の役割は解剖を通して事件捜査に貢献すること。法医学者が向き合うのは死者のうち、病死を除く異状死と呼ばれる遺体。...
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テレビドラマでは万能なヒーローというイメージがある法医学者。今回のNHKスペシャルは法医学者の真実の姿を取材した。
旭川医科大教授・清水惠子は法医学者になって25年。これまで4000体もの遺体を解剖してきた。全国の大学にいる法医学者はおよそ150人。清水も日本法医学会の理事で、2割しかいない女性の法医学者の草分けだ。法医学者の役割は解剖を通して事件捜査に貢献すること。法医学者が向き合うのは死者のうち、病死を除く異状死と呼ばれる遺体。その数、年間20万人。そのうち犯罪による死の可能性がある遺体については司法解剖を行う。
司法解剖を行うかどうかは警察の検視官が決める。遺体の情報も全て警察からもたらされる中で、清水の判断が警察の捜査方針を左右する。解剖には警察官が立ち会い、その過程を写真に収める。それが死因の証拠となる。死因の判断を誤れば犯罪の見逃しや冤罪を生む。その重圧の中で清水は年間250体の死者の声を聞いている。
毎年1万体の解剖は20年前の2倍であり、その費用は国が負担する。捜査機関からの感謝状で清水の部屋は埋め尽くされている。清水は薬物を用いた犯罪の数少ない専門家で、全国の警察から調査依頼が寄せられている。法医学者の絶対数が足りない中、清水への依頼は引きも切らないという。清水が一躍脚光を浴びたのが袴田巌の再審での証言だった。
捜査機関に反旗を翻すことになるため、裁判での証言を躊躇した清水だったが「人間社会への忖度ではなく自然科学に誠実でいたい」と思い、引き受けたという。清水は「解剖から分かることはすごく限られていて、(万能なヒーロー・法医学者というイメージは)大きな誤解がある。そんなことは全くないのが、現実」と語る。
仕事のストレスから不眠症になり、10年前から歩き始めた千葉大学法医学教室教授・岩瀬博太郎は長年、東大と千葉大の教授を兼務してきた。法医学の改革のため、人員や予算を増やすよう国に求めてきたが、遅々として進んでいない。岩瀬の東大助手時代、法医学者の立場の危うさを感じたのが足立区首無し殺人事件(1996年)だ。当時学会の権威とされた人物・石山第六代法医学教室教授は肺の一部が膨張していたことから首絞めによる殺人としたが、岩瀬は遺体を解剖しても首絞めの所見が見当たらなかったことを疑問視した。岩瀬は死因の特定にこだわり続けた警察について「なんとか殺人にならないかという観点で動いていた」と語った。
法医学者は、検察側、弁護側それぞれの依頼で法廷で証言するが、それが法医学者にとって大きな重圧となっているという。岩瀬は「彼らの建前は正義だが、やはり裁判に勝ちたいということがあり、その中で脆弱な法医学が非常に悪い使われ方をすることがある」と指摘した。
そのことを岩瀬が痛感した事件が2005年12月1日、栃木県の旧今市市で起きた今市事件である。犯人像に合致していた被告が犯行を自白するも、裁判が始まる前に「自白は強要されたものだ」と無実を訴えた。
解剖の結果、殺害された女児の体内から1リットル以上の血液がなくなっていたことが判明。警察が撮影した現場写真にはその量に相当する血だまりは確認できず、弁護団はその山林が殺害現場ではないとした一方、検察は血液に反応したとする青く光るルミノール反応の写真を裁判に提出。この裁判で検察側の証人となった岩瀬は「ルミノール反応が本当に血液に反応しているかは問題があるが」と留保をつけた上で「血液だとすればそれなりに広い範囲に血が落ちているという印象を受ける」と証言。
2016年宇都宮地裁は被告に無期懲役の判決を下した。被告の自白には迫真性があり信頼できるとされた。判決は岩瀬の証言を重要な裏づけとして盛り込んでいた。岩瀬の留保「本当に血液ならば」という部分は採用されることはなかった。これに対し岩瀬は「裁判上は科学がそういう風に都合よく編集されてしまうということはある」と語った。
今市事件は弁護側が控訴したが、弁護側の証人を依頼されたのが岩瀬の先代教授にあたる吉田だった。吉田は東大退官後に弁護側の証人を引き受けるようになったが、それ以来、捜査当局の態度が変わり、解剖の依頼が止まったという。
検察側は血液が土に浸み込んだと主張したが吉田は現場で実際に血液を散布し、どうなるかを観察、血液が地面に浸み込むことはなかった。さらに落ち葉の上にルミノール検査液を撒き、反応をみたところ、血液を撒いていいないにも関わらず検察が提出した資料と同じように青白く光り、これは落ち葉の成分によって光っていたことが判明した。
日本では毎年9000人が医師となるが、法医学者を目指すのは僅か数人だけである。岩瀬は「冤罪が増えたなと思う日がくるかもしれないし、犯罪見逃しにも結び付く。ますますそういう状況が悪化するのではないか」と吐き捨てるように言った。
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