10月26日放送、「プーチン政権と闘う女性たち」(BS世界のドキュメンタリー選・再放送)
2021年1月、ロシア各地で若者たちがデモを行ない、プーチン大統領の支配に抗議の声を上げた。「自分達の怒りの声を伝えたい」として、多くのロシア人がデモに参加した。抗議デモに参加するのは初めてというロシア人もいた。
反体制派指導者でプーチン最大の政敵・アレクセイナワリヌイは2020年に何者かに毒を盛られその後、刑務所に収監された。男性幹部のほとんどは亡命し、政権に対抗できる男性はいなくなった。...
全部読む
2021年1月、ロシア各地で若者たちがデモを行ない、プーチン大統領の支配に抗議の声を上げた。「自分達の怒りの声を伝えたい」として、多くのロシア人がデモに参加した。抗議デモに参加するのは初めてというロシア人もいた。
反体制派指導者でプーチン最大の政敵・アレクセイナワリヌイは2020年に何者かに毒を盛られその後、刑務所に収監された。男性幹部のほとんどは亡命し、政権に対抗できる男性はいなくなった。それでも残された女性たちは闘いを続けた。番組ではこうした女性たちを密着取材した。
2021年に行われた過去最大規模の抗議デモは20年以上にわたるプーチン大統領の支配に対して行われ、これによって勇気づけられる人も多かったという。デモの参加者の多くが「ナワリヌイを大統領に」と考えていた。
しかし、暴力を振るわれ身柄を拘束されるなどして、ロシア人による民主的なデモは実力行使で解散に追い込まれた。ナワリヌイの関連団体は全て過激派と見做され、非合法化されていった。
残された反体制派の若い女性・ヴィオレッタは政治家になって合法的に議会で闘うために選挙に立候補しようと試みたが、選挙ポスターを切られたり、言いがかりをつけられたり、必要数の署名を集めて選挙委員会に届けても、過激派を支持する組織と繋がりがあるという虚偽の理由をつけられて却下されるなど、ことごとくプーチン政権の妨害によって立候補できないようにされていった。
以前は罪をでっちあげられても執行猶予付きの判決を受ける程度だったが、過激派に認定された組織の関係者が選挙に立候補すること自体が禁じられるようになり状況が大きく変わったという。
他の女性たちも過激派だとか、テロを企てているとか、麻薬を所持しているとか、コロナウイルスを感染させているなどの虚偽の罪をでっち上げられて警察が動き、逮捕・収監されていった。
活動家グループ「プッシーライオット」のメンバーだったルシアと彼女の恋人・マーシャは抗議デモに向かう途中、新型コロナウイルスの感染を拡大させたとして、逮捕され刑事訴追された。当局は2人がナワリヌイの集会への参加を呼び掛けて、コロナウイルスをロシアに感染を広めようとしたと主張したという。ルシアは「それがロシアの司法制度というものよ」と吐き捨てるように言った。
彼女は当局がパンデミックを利用して反体制派を刑務所に全員入れてしまおうとしているという見方を示した。現在、自宅軟禁となり公判を待っている。
ロシアは病院を刑務所がわりに軟禁に利用し、モスクワでは「プッシーライオット」のメンバー7人を15日間、病院に拘留した。
ルシアの弁護人・マリアエイスモントは「プッシーライオットに関わる者は15日間、隔離という奇妙な法律が妥当と考える人がロシアには存在している」「反体制派とみられる人々への締め付けはますます厳しくなっている」と語った。
プーチン政権への服従を拒む女性たちは自分たちの抵抗が変革の種をまくのだと信じているが、その責任の重さに耐えきれなくなっていることも、また確かである。
活動家・イリーナは「連中はそれを望んでいるけれど、私はこの国を出たくない」と述べた。一方、ルシアは「例えプーチンが去ったとしても、何も変わらないことを一番恐れている。ひょっとしたらもっと悪くなるかもしれない」と語った。
政治家を志したヴィオレッタは「もう限界よ。心が折れてしまった。立ち直れない。彼らの手の届かないところで自分を立て直す必要がある」と絶望感を露にした。
2021年9月の下院総選挙で与党「統一ロシア」は議会の3分の2以上を獲得したが投票に不正があったとの分析もある。統一ロシア以外の政党もすべてロシア政府の承認を得ていた。ロシア政府は公正な選挙だったと主張している。在英ロシア大使館にコメントを求めたものの、返答はなかった。
(2021年英国=Hardcash Productions and The Economist Group co-production MMXX1制作)
閉じる
10月23日放送、「新・幕末史・戊辰戦争・狙われた日本~」
1853年、ペリー提督率いる黒船が来航し、日本は世界の渦に巻き込まれることになった。この難局に立ち向かった徳川幕府。1867年、徳川慶喜は大政奉還を行い、天皇に政権を返上するが薩摩長州を中心とする新政府と旧幕府勢力との間で戦いが起こり、この時点で英国は徳川を見限り、新政府を支持する方針を固めた。一方徳川は英国に並ぶ大国の一つフランスの支援を受けていた。強国同士のパワーゲームの中、1年5か月に及ぶ泥沼の内戦・戊辰戦争が始まった。...
全部読む
1853年、ペリー提督率いる黒船が来航し、日本は世界の渦に巻き込まれることになった。この難局に立ち向かった徳川幕府。1867年、徳川慶喜は大政奉還を行い、天皇に政権を返上するが薩摩長州を中心とする新政府と旧幕府勢力との間で戦いが起こり、この時点で英国は徳川を見限り、新政府を支持する方針を固めた。一方徳川は英国に並ぶ大国の一つフランスの支援を受けていた。強国同士のパワーゲームの中、1年5か月に及ぶ泥沼の内戦・戊辰戦争が始まった。
1868年1月27日、京都の南、鳥羽伏見で戊辰戦争における最初の戦いが始まった。これまで近代兵器を有する新政府軍が時代遅れの徳川旧幕府軍を圧倒したが、実は徳川幕府はフランスと手を結び、軍事顧問団を招き、最も近代化された軍隊を持っていた。旧幕府軍が使用したのはフランスで開発されたばかりの四斤山砲で、新政府軍・西郷隆盛は思わぬ苦戦を強いられた。この状況に当時、新政府への支持を打ち出そうとしていた英国は危機感を抱いた。
戊辰戦争勃発から間もない2月16日、駐日特命全権公使・ハリーパークスが主導し英国、フランス、米国、プロイセン、オランダ、イタリアの代表が集まった。この中には最新の大砲を搭載した開陽丸を幕府に提供したオランダなどフランスと同様、旧幕府と関係を密にする国も含まれていた。薩摩長州を中心とする新政府軍は国際的には反乱勢力とみなされていた。会議の中で、パークスは外国が内戦当事者に対し、軍事的な関与を行わないとする取り決め「局外中立」を各国に呼びかけた。この法律が適用されれば、旧幕府、新政府の双方に対し各国は軍事援助ができなくなる。
フランスは「局外中立」に対し異議を唱えたが、3日間の議論の末、パークスの意向が事態を動かした。パークスが持ち出したのは公使たちにとって最重要の使命である自国民の保護であった。当時、貿易が許されていた港は横浜や長崎など4か所で、現地の外国人の保護は従来幕府が責任を持っていたものの戊辰戦争の勃発によって開港地は新政府・旧幕府に分かれて支配されるため、一方を援助すれば反対の勢力が外国人の保護をやめてしまうおそれがあった。これを聞いた米国は賛成を表明し、他国もこれに追随した。
1868年2月、6か国は共同で「局外中立」を宣言し、戦局は大きく変わった。米国は最新の軍艦の引き渡しを凍結し、フランスも旧幕府軍に送っていた軍事顧問団を撤退させた。こうした情勢の中、前将軍・徳川慶喜は新政府への恭順を決意。1868年5月、江戸を無血開城した。これにより260年以上続いた徳川の時代は名実ともに終結した。江戸を手に入れた西郷隆盛たち新政府と英国が望む方向に進んだかのように見えたが、ここで戦局は一変した。東北や新潟の諸藩が奥羽越列藩同盟を立ち上げたのである。もともとは新政府と対立する会津庄内藩を守るための軍事同盟だったが、明治天皇につながる皇族を擁立し、強力な地方政権へと姿を変えた。新政府と奥羽越列藩同盟という2つの政権を巡り英国に後れをとっていたヨーロッパ各国も日本に向けて動き始めた。
のちのドイツ帝国であるプロイセンもそうした国のひとつであった。プロイセンは19世紀後半、強力な指導者・オットーフォンビスマルク首相の推し進めた鉄血政策(軍備増強)のもとでヨーロッパの強国として生まれ変わろうとしていた。周辺諸国との戦争に相次いで勝利し、ヨーロッパで領土を拡大していく中でプロイセンが目を向けたのが東アジアだった。
軍事を利用して日本に入り込みたいプロイセンだったが、「局外中立」がある以上、表立った軍事援助はできない。ここで武器商人たちが突破口としての役割を果たした。プロイセンはイタリアなどと共に新潟を箱館、横浜、兵庫、長崎に次ぐ貿易港として開かせ、その結果、新潟に武器ビジネスで一獲千金をもくろむ外国の商人たちが押し寄せた。列藩同盟も武器補給の拠点として新潟を重視し、各藩の主力部隊がその防衛に当たることになった。たった1人の商人だけでもライフル約5000丁に相当する金額の軍需物資を取り引きしていたが、その背景にあったのは3年前に終結した米国南北戦争であった。200万ともいわれる膨大な武器余りが発生し、これらの武器が戊辰戦争に流れ込んだのである。
こうした流れで戦場を一変するガトリング砲という破壊的な兵器がプロイセンの武器商人によって持ち込まれた。複数の砲身が回転し弾丸を連射できるようになっており、南北戦争で初めて実戦に使われた。当時、日本には少なくとも3門あったといわれており、そのうち2門は列藩同盟の手に渡った。海外からもたらされた武器によって戊辰戦争はかつて日本人が経験したことのないような近代戦になっていった。
実はプロイセンには蝦夷(北海道)を植民地化するという野望があった。駐日プロイセン代理公使・マックスフォンブラントは自ら2度も蝦夷調査を行い、アイヌの衣装などを持ち帰るなどしている。蝦夷植民地化計画のためにブラントは東北諸藩にも接近した。
プロイセンとつながる外国人たちは、戊辰戦争を機に東北に潜入し、武器取引などを通じて列藩同盟の信頼を勝ち取るようになっていた。長引く戦乱で会津藩と庄内藩は多額の軍資金を必要とするようになっていたが、プロイセンはそんな彼らに金を貸し付ける代償として蝦夷の権利を譲り受けようとしていた。
プロイセンのたくらみに対し新政府軍を後押しする英国が大きく立ちはだかった。このまま外国商人と東北諸藩の武器取引が続けば新政府の勝利は見通せなくなるとして、パークスの部下で英国の対日政策に大きな影響を与えていた駐日英国外交官・アーネストサトウは新政府に対して新潟での武器取引をやめさせる策を授けた。
これまで西郷隆盛たちは外国からの反発を恐れ、新潟港の封鎖に慎重だったが、英国は海上封鎖について国際法上認められた権利であり、他国の批判を恐れる必要はないと伝え、新政府軍は新潟港を封鎖、電撃的な上陸作戦を行った。新潟の守備に就いていた列藩同盟の主力部隊は壊滅し、11月6日には会津藩が降伏。プロイセンの蝦夷植民地化計画は、歴史の闇に消えることとなった。
蝦夷・函館沖海上で独自の抵抗を続けていた徳川の残存勢力、中でも旗艦の開陽丸はオランダで造られた世界屈指の攻撃力を誇る軍艦で、新政府の海軍力ではとても太刀打ちできなかった。こうした中で艦隊を率いる榎本武揚は独自に諸外国と交渉を始めた。
榎本の動きに強烈な危機感を抱いたのがハリーパークスで、榎本の背後にロシアを見据えていた。当時、ロシアが企てていたのが南下政策で、ユーラシア大陸各地で英国軍と衝突していた。戊辰戦争が勃発するとロシアの魔手は徐々に日本にも迫り始めた。
日本との国境が未確定だった樺太(サハリン)に住民を移住させロシア化に着手していた。英国が恐れたのはロシアと榎本が結び付き、蝦夷に南下してくることだった。一刻も早く戦争を終わらせ、日本に強力な統一国家を誕生させなければならないと考えていたパークスは切り札となる新型艦ストーンウォールを使えるようにするために1869年1月18日、外国代表の会議を開き「局外中立」を撤廃させた。これによって英国による新政府への支援が可能になり、6月、ストーンウォールを旗艦とする新政府艦隊が函館を攻撃し榎本艦隊を壊滅させ、英国の思惑どおり戊辰戦争は新政府軍の勝利に終わった。
幕末を機に国を開いた日本。1872年10月、日本は英国からの資本提供を引き出し、新橋~横浜間で鉄道を開通させた。これにより人やモノの流れが加速し、アジアでいち早く産業の近代化に成功した。鉄道と時を同じくして建てられた富岡製糸場はフランスの技術で築かれた。生産された高品質の絹は最大の輸出品となり、日本の経済成長を押し上げた。1889年には大日本帝国憲法が発布されたが、手本にしたのはドイツ・ビスマルクが作った憲法で、これ以降、日本は近代的な立憲君主制国家として歩み始めることとなった。
閉じる
2022年10月16日放送、「幕府vs列強・全面戦争の危機」
今から160年前の幕末日本。産業革命の時代、蒸気船が世界中の海を行き交い、グローバル化が急激に進む中、1853年ペリー提督率いる黒船が来航し、日本に開国を迫った。幕府は横浜、長崎などの港を開き英国、フランス、ロシア、オランダなどと通商条約を結んだ。中でも英国、ロシアは極東進出の野望を抱き、日本の領土を奪おうと画策していた。
19世紀、産業革命を主導した大英帝国は蒸気船を武器に海外に進出、植民地を広げ、世界の4分の1の地域を影響下に置いた。...
全部読む
今から160年前の幕末日本。産業革命の時代、蒸気船が世界中の海を行き交い、グローバル化が急激に進む中、1853年ペリー提督率いる黒船が来航し、日本に開国を迫った。幕府は横浜、長崎などの港を開き英国、フランス、ロシア、オランダなどと通商条約を結んだ。中でも英国、ロシアは極東進出の野望を抱き、日本の領土を奪おうと画策していた。
19世紀、産業革命を主導した大英帝国は蒸気船を武器に海外に進出、植民地を広げ、世界の4分の1の地域を影響下に置いた。今回外務省の機密文書が発掘され、英国が覇権を確立するために植民地と同じように日本を重視していたことが見えてきた。1840年アヘン戦争に勝利した英国は手に入れた中国市場をほかの列強から守るため、横浜に艦隊を駐留させ、にらみを利かせようとした。
1861年、英国の戦略はロシアによって狂わされた。世界有数の陸軍を持つロシアはユーラシア大陸の覇権を巡って英国と対立。ウクライナ南部クリミア半島において両国は激突したが、この戦いに敗れたロシアは新たな戦略として極東への進出を打ち出し、日本を足がかりに中国市場に食い込もうとした。その足掛かりとして中国に向かうルート上にあり、地政学上の重要拠点でもあった対馬に目をつけた。1861年2月、ロシア海軍の大型軍艦が対馬に現れた。船を修理するための一時避難だと主張し、いすわり続け、停泊は半年に及んだ。
ロシアの目的はこの地に軍事要塞を構築することだった。幕府の使節団として米国へ渡るなど豊富な経験を持つ外国奉行・小栗忠順は幕府の同意を得て英国を介入させることでロシアを追い払った。小栗が危惧したとおりこの先英国は日本への干渉を強めてゆく。
7つの海を支配した大英帝国に君臨していたのがヴィクトリア女王である。女王の王冠には1200個のダイヤモンドがちりばめられているが、これは植民地からもたらされる富の象徴であった。世界の覇権を手に入れようとしていた英国の切り札となったのが高性能兵器アームストロング砲で、軍事史を塗り替える画期的な技術が取り入れられていた。
英国は国を挙げて強力な兵器・アームストロング砲を量産する一方で、秘密の軍事計画を進めていた。1864年に立案された「対日戦争計画」の中で、英国は日本との全面戦争を想定していた。戦争計画を練り上げたのは戦闘経験が豊富な陸海軍の指揮官だった。想定された第1の目標は海上封鎖。第2の目標が天皇の御所がある京都の制圧。第3の目標が江戸城への攻撃だった。この計画の狙いはほかの列強の先手を取り、日本を自らの陣営に組み込むことであった。
対日戦シミュレーションを重ねる英国に戦争の口実を与えたのが1863年開国に反対する長州藩の攘夷派が起こした事件だった。攘夷派は外国商船を砲撃し、これが国際問題に発展した。この機会を英国は見逃さず、1864年、17隻から成る大艦隊を率いた英国は長州に攻め込み、アームストロング砲で一斉攻撃を仕掛けた。僅か2時間で長州軍の砲台を占拠してしまった。戦火の拡大を恐れた幕府は長州藩に代わって巨額の賠償金を支払う約束をするが、英国の対日強硬論は消えず、戦争の火種は依然としてくすぶったままであった。
実は小栗忠順たち幕臣は英国の動きを友好国オランダの諜報活動によって早くから予期していた。幕府はオランダの協力を得て海軍力の増強に乗り出した。切り札となった軍艦開陽丸には最新鋭の大砲クルップ砲が搭載され、オランダから指導者を招き、軍事訓練も強化し、富国強兵を推し進め近代的な海軍を作り上げた。幕府の軍備増強の情報を英国はつかみ、日本との戦争は英国の財政にとって負担が大きすぎるとの理由で放棄された。
1866年に始まった幕長戦争は幕府軍と反幕府勢力を率いる長州軍が現在の山口県で激突した。これまで国内の勢力争いと思われてきたが、長州藩はかつて下関戦争で戦った英国と手を結び、坂本龍馬などの協力を得て英国系の巨大商社ジャーディンマセソン商会経由で新式の武器を輸入していた。これらの武器は米国史上最大の内戦だった南北戦争が終結し行き場を失ったものであった。英国の武器商人たちは新たな市場として日本に目をつけたのである。
幕府軍は10万を超える大兵力を投入し、数に勝る幕府軍は長州を4方向から包囲。長州軍の重要拠点がある下関には主力艦隊を送り込んで攻め落とす計画だった。
近代的な海軍を擁し、圧倒的優位のはずの幕府軍だったが、英国が戦局に介入してくるという想定外の事態が起きた。防御が手薄になった幕府本陣には長州軍の主力・奇兵隊が上陸に成功した。
窮地に立たされた幕府はこのあと起死回生の策としてヨーロッパの大国フランスに接近。幕府はパリで開かれた万国博覧会に参加し、フランスの優れた造船技術や軍事技術を学び英国に対抗しようとした。1867年、フランスの軍事顧問団の指導の下で幕府の精鋭部隊が結成されると同時に武器の輸入計画も進んでいた。そうした中、英国の覇権を脅かすもう一つの事件が起きていた。
ロシアが樺太に上陸、大量の兵士を送り込み、実効支配しようとしたのである。ロシアの攻勢は英国の対日政策に思わぬ影響を与えた。パークスは日本に強力な統一政権が誕生すればロシアに狙われることもなくなるだろうと考え、日本の政治体制の刷新を期待していた。パークスは幕府がフランスから武器を買い付けるための資金源である銀行に圧力をかけさせたが、これによってフランスとの武器購入計画が頓挫した幕府は反幕府勢力を抑え切れなくなり、将軍徳川慶喜は大政奉還を決断した。
1868年1月、徳川慶喜と駐日特命全権公使・ハリーパークスの会談の後、慶喜は新政府軍との戦いに敗れ、政治の舞台から身を引くこととなった。幕臣・小栗忠順の戦いはここで幕を下ろした。
閉じる
「台湾海峡で何が~米中“新冷戦”と日本~」(2021年12月26日放送)
台湾の防空識別圏に毎日のように飛来する中国軍機。台湾の戦闘機がスクランブル発進する回数はこの1年で倍増している。中国は東アジア周辺で数年以内に米国を上回る軍事力を持つと予測されている。中国は、平和的な統一を目指すとする一方、台湾が独立の動きを見せれば武力行使も否定しないとの姿勢を示している。
1999年のアジアにおける米中軍事バランスを見てみると、米国は1隻の空母のほか、強襲揚陸艦を4隻配備しているのに対し、中国にはそうした艦艇はなく、中国軍の影響力が及ぶ範囲は沖縄や台湾を結ぶ第1列島線と呼ばれるラインの内側にとどまっていた。...
全部読む
台湾の防空識別圏に毎日のように飛来する中国軍機。台湾の戦闘機がスクランブル発進する回数はこの1年で倍増している。中国は東アジア周辺で数年以内に米国を上回る軍事力を持つと予測されている。中国は、平和的な統一を目指すとする一方、台湾が独立の動きを見せれば武力行使も否定しないとの姿勢を示している。
1999年のアジアにおける米中軍事バランスを見てみると、米国は1隻の空母のほか、強襲揚陸艦を4隻配備しているのに対し、中国にはそうした艦艇はなく、中国軍の影響力が及ぶ範囲は沖縄や台湾を結ぶ第1列島線と呼ばれるラインの内側にとどまっていた。
ところがその後、中国の軍用機の数は大幅に増加した。空母も2隻保有し、強襲揚陸艦潜水艦などの数でも米国を上回っている。その影響力は第1列島線を越え、グアムなどを結ぶ第2列島線と呼ばれるラインにまで達している。
2025年の予測では中国は米国の戦力を大きく上回り、その影響力は西太平洋全域に広がるとしている。中国が台湾侵攻の意図を持った時、米国は抑止することができないだけでなく、この地域での優位な立場を失うと危機感を持っている。
前米国インド太平洋軍司令官・フィリップデービッドソンは「PLA(人民解放軍)は米国情報機関の分析よりも速いペースで兵器を開発している。これに習近平氏の任期を重ね合わせて考えると、この時期(政治的な成果が求められる2027年まで)が特に重要となる」と指摘した。
これまでの経緯を振り返ると、米国は内戦で共産党に敗れ、台湾に逃れた国民党を支援したが、中国共産党にとって台湾を統一することは統治の正統性を示す上で不可欠なことである。1996年、米中は台湾海峡危機という大きな緊張を迎えた。
台湾で行われる選挙に対し圧力をかけるために、中国は台湾海峡の2つの海域を封鎖し、演習と称してミサイルを発射したのである。この時、台湾と中国との間で全面的な戦争になるのではないかとの懸念が広がった。
これに対し米国は台湾周辺に2隻の空母を派遣し、この危機を抑え込んだ。25年を経て、軍備を増強し続けてきた中国は海軍力を高めることで世界一の軍隊となり、米国の覇権を崩そうと目論んでいる。
中国の軍事的台頭に危機感を強める米国は今、アジアの海で各国との共同訓練を増やしている。8月には英国の空母クイーンエリザベスが、11月にはドイツのフリゲート艦バイエルンが東アジアに展開した。カナダや日本を含む6か国の共同訓練なども行われ、同盟国の力も得ながら中国に対抗していく姿勢を打ち出した。
対する中国も友好国との軍事的な結び付きを強めている。10月、中ロ合わせて10隻の艦艇が同時に日本の津軽海峡を航行するなど、米中双方が他国を引き込みながら互いに牽制する動きが続いている。
軍事的なせめぎ合いは、日本にも影響を及ぼし始めている。台湾海峡周辺で米国軍が活動を活発化させる中、歩調を合わせるように動いているのが日本の自衛隊である。海上自衛隊補給艦おうみは米国軍の艦艇への補給が日常的な任務になっている。憲法のもと、米軍への補給は訓練など限られた場面でのみ行われてきたが、5年前に施行された安全保障関連法によって、平時から米軍への補給ができるようになった。防衛省関係者によると米軍への補給はここ数年急激に増えているという。
かつてないほど日米の一体化は進む中、米国政府に安全保障政策を提言するランド研究所・ジェフリーホーナン上級研究員は「東シナ海での危機において、日本は何をするのか。米国が紛争に巻き込まれ、攻撃されていない段階で何をするのか」と問題を提起した。
日本戦略研究フォーラムは台湾海峡での軍事衝突を想定したシミュレーションを行う会合を開いた。この会合には現職の国会議員も招かれ、それぞれ総理大臣や防衛大臣官房長官役として参加した。つい最近まで日本の安保政策の中枢にいた元官僚や自衛隊の元最高幹部も参加した。
シミュレーションで最大の焦点となったのが政府による事態認定である。安全保障関連法により政府がその時の事態をどのレベルと認定するかによって自衛隊の取れる行動が変わってくる。例えば、重要影響事態は、放置すれば日本への攻撃につながるおそれがあるなど日本の平和と安全に重要な影響を与える事態であり、米軍に対する様々な後方支援が可能となる。
存立危機事態とは密接な関係にある外国が攻撃を受け、日本の存立が脅かされる事態で、日本が直接攻撃を受けていなくても集団的自衛権の行使が可能となる。更に事態が進んで日本が攻撃を受ければ武力攻撃事態となる。自衛隊は必要最小限度の武力行使を行うことができる。シミュレーションでは台湾の状況に応じてどの事態と認定するべきかそもそも明確な基準がないと指摘する声もあった。刻々と変わる状況の中で経済や外交への影響更に国民にどのような説明を行うかを考えなければならない。明確な結論が出ないまま議論は終わり、政治決断の重みが改めて浮き彫りになった形である。
もう一つ議論となったことがある。それは、台湾海峡で緊張が高まった場合、近隣の住民をどのタイミングで避難させるべきかという深刻な課題だった。日本が攻撃を受ける武力攻撃事態等にならなければ自衛隊は法律に基づいた国民保護はできない。
地震や豪雨などの自然災害の際の対応を定めた災害対策基本法によって住民の避難を促すことができるが、これに対し異論が出た。さらにもしものときどうやって輸送手段を確保するのかと言う課題も出た。
元国家安全保障局次長・兼原信克は「まとめて総理に判断してもらう事項を絞り込んであげることを関係省庁全部でやる訓練をしておかないと、本番では使えない」と指摘した。
今、自衛隊は、政府による事態認定がない段階でどれだけ迅速に動けるのかということについて独自に検証を始めている。最新鋭の装備を持ち、本来は北方の防衛を担う陸上自衛隊第2師団(北海道旭川市)はこの秋、南西諸島の防衛を念頭に置いた大規模な演習に参加することになった。
全国最大規模の8000人の部隊のほぼ全てを九州まで移動させることになったが、これだけの規模で部隊が動くのは初めてのことで、戦車やトラックなどおよそ2000台の車両に加え、弾薬や銃など全ての装備を2000キロ移動させた。
道路法など一般の法律が適用され、制約が多い中、自衛隊は今回の移動について民間企業にも協力を求めた。
移動の際、隊員たちが乗り込んだのは一般客も乗る定期便のフェリーだった。さらに民間の貨物船で戦車や大型の重機を運んだ。さまざまな輸送路を確認するため鉄道も使われた。弾薬の一部は運送業者が運んだ。今回の輸送で自衛隊は20社以上から協力を得たが、民間企業の中には「事態が切迫すれば巻き込まれるのではないか」との戸惑いの声もあったという。
キッシンジャー大統領補佐官と共に中国を訪れた元米国駐中国大使・ウィンストンロードは「「問題は事故や誤算が起きる可能性があることだ。東シナ海、南シナ海、そして台湾どこでも起こりうる。そうならないためのガードレールが必要だ」と指摘した。台湾では今も連日、中国軍の動きが伝えられており、中国との緊張関係がどこに向かうのか、先の見えない不安な日々が続いている。
閉じる
「EVシフトの衝撃~岐路に立つ自動車大国・日本~」(11/14放送)
ガソリン車に代わってEVが自動車産業の中心に躍り出る「EVシフト」。世界でEVシフトが急速に進んでいる。100年に一度ともいわれるこの大変革の時代を日本、世界の自動車産業はどのように生き残りを図ろうとしているのか。
世界のEV市場でライバルたちに遅れをとる日本の自動車メーカーだが、日本を飛び出し、成長著しい中国企業と手を組む部品メーカーが日本電産である。日本では取引相手が見つからなかったため中国に進出し、現地で20万台以上を販売し部品メーカーとしてシェアトップに上り詰めた。...
全部読む
ガソリン車に代わってEVが自動車産業の中心に躍り出る「EVシフト」。世界でEVシフトが急速に進んでいる。100年に一度ともいわれるこの大変革の時代を日本、世界の自動車産業はどのように生き残りを図ろうとしているのか。
世界のEV市場でライバルたちに遅れをとる日本の自動車メーカーだが、日本を飛び出し、成長著しい中国企業と手を組む部品メーカーが日本電産である。日本では取引相手が見つからなかったため中国に進出し、現地で20万台以上を販売し部品メーカーとしてシェアトップに上り詰めた。
日本電産・早舩一弥専務は「このまま世界でEVの流れが続いていくと、日本だけが取り残される。あらゆるもので日本はよくガラパゴス化と言われるが、ガラパゴス化が進んでしまった後にEVだと言われても完全に後れをとってしまう。しかも中国から高性能で低価格のEVが入ってくると、日本の産業で唯一残された自動車産業も危うくなる」と危機感を訴えた。
日本電産は中国でシェアトップとは言え、生き残りに必死である。早舩一弥専務は「お客さんから言われている台数は必ず死守する。後ろにはA社、B社が控えていてスタンバイしている。自腹で開発して自腹で生産設備も立ち上げて、いつでも使ってくれと言ってきている。そういう連中には負けられない」と切実な思いを口にした。
一方、EVシフトが加速するEUの中心がフランスである。去年のEV販売台数は11万台以上と前年の2倍以上となった。売れ筋は400万円台。政府は最大で100万円を超える補助金を支給し、ガソリン車からの乗り換えを促している。
充電スタンドの整備も急ピッチで進められ、1年で倍増し、現在60万以上となっている。利用料金は15分およそ70円からと手ごろである。EUの自動車メーカーはEVを今後の販売の主力に据えようとしている。
メルセデスベンツは2030年までに販売する新車全てをEVにすると宣言し、モーターショーではセダンからSUVまで、タイプの違うEVを一気に公開した。ひときわ注目を集めたメーカーはいち早くEVの本格的な販売に乗り出し、他社をリードしてきたフランスのルノーである。EVではバッテリーに電気を蓄え、モーターを回して動力を生む。車が走る際、CO2は一切出ないが、ガソリン車より航続距離が短いため、どれだけその距離を伸ばせるかが勝負となる。ルノーが航続距離を大きく伸ばせた理由はバッテリーの進化にあった。従来のバッテリーよりも体積が40%減少したにもかかわらず充電できる容量は車1台当たり15%増えた。こうした性能を実現したのは徹底したバッテリーの温度管理で、
これまで販売してきた32万台のEVからデータを収集したことによるものだった。
こうした技術力を武器に2030年にヨーロッパで新車販売の最大90%をEVにする目標をルノーは掲げている。ルノーを後押しするのがフランス政府だ。自治体とともに約250億円の補助金を投入するなど、国を挙げてEVの生産体制をいち早く強化しようとしている。
これまでハイブリッド車に強みを持つ日本をはじめ、外国勢に押されてきたヨーロッパだったが、7月にはEUとして2035年にハイブリッド車を含むガソリン車の新車販売を事実上禁止する方針を打ち出した。これが実行に移されればEVなど、CO2を排出しない車しか販売できなくなるため、日本メーカーは警戒感を強めている。
ルノー・スナール会長はEUがルールを作り、官民一体で主導権を握ることがEVシフトを制する道だとし、「フランス政府も民間企業も産業を我々の国に取り戻したいと考え、そうした意識を強く共有している。EV化を進めることで我々は世界の自動車産業の中心に返り咲ける」と得意げに語った。
爆発的な成長が見込まれるEV市場。現在世界で保有されているEVは685万台で、2030年には1億3800万台にまで増えると予測されている。今、その先頭を走るのが米国・テスラである。販売台数で2位以下を大きく引き離し去年だけでルノーの4倍以上となるおよそ46万台を売り上げた。
米国政府は全米50万か所に充電スタンドを設ける方針で、総額110兆円規模のインフラ投資法案も可決させたバイデン大統領は2030年に新車販売の50%をEVなどの電動車とする目標を掲げている。
テスラを猛追するのが中国勢だ。中国は世界最大のEV市場で、去年の新車販売台数は110万台と世界のEVの2台に1台が中国で売れている。今、最も人気なのが1台およそ50万円からという格安EVで中国政府もEVの普及を強く後押ししている。中国政府は2025年までに新車販売の20%をEVなどの電動車とする目標を掲げている。
世界のEVシフトが加速する一方で、販売台数で大きく水をあけられているのが日本だ。ルノーと提携する日産がかろうじて7位にランクインしているものの、その他のメーカーは全て30位以下である。自動車で世界を席巻してきた日本がEV市場では出遅れた形となっている。
こうした中で、本格的なEVシフトにかじを切ったのがホンダである。かつて「エンジンのホンダ」と呼ばれたホンダは大胆な経営方針の転換を打ち出し、エンジンを捨てて、電気の力で走る車に生き残りをかけている。現在販売台数の99%を占めるガソリン車とハイブリッド車の販売を2040年までにゼロにし、全てをEV・FCVにするという大胆な決断に踏み切った。
本田技術研究所・大津啓司社長は「長年エンジン開発に携わってきたひとりとしては内燃機関が継続されることを望んでいる。ただし経営的視点を入れると、もうそういう考えはない。なぜなら社会が変わってしまっているからであり、当然技術も変えなければならない」と語った。
ホンダは今、社運をかけた次世代バッテリーの開発に取り組んでいる。全固体電池は従来のリチウムイオン電池と比べて、多くの電気を蓄えられるのが最大の特徴である。トヨタやBMWフォードなどの競合他社がこぞって開発しているが、未だにどの会社も実用化できていない。材料の組み合わせによっては航続距離が2倍に伸びる可能性がある。試行錯誤を重ねた結果、現在EVの航続距離を1.5倍にまでは上げるめどが立った。全固体電池を載せたEVを2020年代中に実用化する目標を掲げている。
ホンダは航続距離の飛躍的向上を可能にする別の次世代車の開発も進めている。FCV(燃料電池車)は水素で発電し、モーターで動くため、CO2は一切排出しない。航続距離はガソリン車に匹敵する750kmに達する。充填にかかる時間は僅か3分。水素インフラが普及し割高な価格を下げることができればEVと同様に世界市場で普及する可能性もあるとにらんでいる。
一方、世界最大の自動車メーカー・トヨタは極端なEVシフトに警鐘を鳴らしている。トヨタ自動車・豊田章男社長は「EV化すれば、全て済むというのは間違っている。ガソリンスタンドよりもたくさんの充電ステーションを作る必要があるが、それをやるのに約30兆円から40兆円かかる。われわれ自動車1社だけが電気自動車にしても意味がない。世の中の産業をどう構造変化していくかという難しい話がある」と主張した。
現在、日本の充電スタンドの数は3万基程度。昨年度には設備の老朽化もあって初めて減少に転じた。豊田社長は日本が抱えるエネルギー事情も大きな課題だと主張している。現在、日本は7割以上をCO2を排出する火力発電に依存している(資源エネルギー庁)。EVシフトを進めるフランスが原子力と再生可能エネルギーで9割以上の電力を賄っているのとは大きく異なる。日本が今の電源構成を抜本的に変えないかぎり、EVが普及すればするほど火力発電の電力を大量に使うことになる。これを解決するためには国家レベルの対応が必要だと豊田社長は指摘している。
経済産業省・藤木俊光製造産業局長は「今の電源構成がそのまま続くという前提であれば、確かにEVは必ずしも環境にやさしくない。再エネをはじめとするゼロエミッション電源の割合をどんどん広げていかないといけない」と述べた。EVの普及を進める方針を示している日本政府は充電スタンドを今の5倍に増やすとともに火力発電を中心としたエネルギーの問題にも対応するとしている。
極端なEVシフトに警鐘を鳴らすトヨタ自動車は独自の戦略を描いており、水素エンジン車、EV、ハイブリッド車、FCVなどを同時並行で開発していく構えで、地域に応じた戦略を取ろうとしている。EVシフトが進むヨーロッパや中国ではEVなどの販売に力を入れる。北米や日本、アジアなどの新興国ではハイブリッド車も販売するなど地域に応じた戦略を取ろうとしている。あえて選択肢を絞り込まず脱炭素時代を勝ち抜く道を見極めようとしている。
戦後、発展した日本の自動車産業。今や全体の従事者はおよそ550万人に上る。EVシフトが進めば最悪の場合、このうち100万人の雇用に影響が出るという試算もある。
トヨタが急ピッチで開発を進めているのが水素エンジン車で、エンジンを使いながらもガソリンの代わりに水素を燃やすため、CO2をほぼ排出しない。EVとは異なり、エンジンの技術を継承できるため、実用化できれば下請け企業も含めた日本の雇用を守ることにつながると期待している。
世界で急速に進むEVシフト。海外勢は官民一体となって主導権を握ろうとしている。EVをめぐる世界との熾烈な闘いで日本勢はどこまで巻き返すことができるのか。
閉じる
「NHKスペシャルを追う」内の検索