ヒューマンエイジ第2集・戦争・なぜ殺し合うのか~(6/18放送)
NHKは歴史上繰り返されてきた戦争・紛争の記録を可視化した。すると過去3500年間で戦争・紛争は少なくとも1万回起き、総死者数は1億5000万人にも上ることが分かった。
大英博物館(英国)には最古の戦争の証拠がある。アフリカスーダンにあるジェベルサハバ遺跡から発掘されたのは1万3000年以上前の人骨だが、そのうちの6割に同じように傷がついていることにフランス国立科学研究センター(生物人類学)・イザベルクレヴクール博士は着目した。...
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NHKは歴史上繰り返されてきた戦争・紛争の記録を可視化した。すると過去3500年間で戦争・紛争は少なくとも1万回起き、総死者数は1億5000万人にも上ることが分かった。
大英博物館(英国)には最古の戦争の証拠がある。アフリカスーダンにあるジェベルサハバ遺跡から発掘されたのは1万3000年以上前の人骨だが、そのうちの6割に同じように傷がついていることにフランス国立科学研究センター(生物人類学)・イザベルクレヴクール博士は着目した。
この傷を詳しく解析したところ、鋭い武器が高速で骨をかすめた時にできる傷であることがわかった。
つまり人間は1万3000年以上も前から飛び道具を使い、集団殺戮を行っていたことになる。人間の遠い祖先のアウストラロピテクスアファレンシスは、数十人程度の集団で虫や植物を食べて生活していたとてもかよわい生き物だったことを踏まえれば、画期的なとび道具を発明したことによって人間の立場が一変することになったといえる。遠い場所から安全に獲物をしとめられる飛び道具の発明が人間を狩られる立場から狩る立場へと大躍進させたということだ。
この最強の道具を使うきっかけは異なる集団の間で起きた食べ物などを巡る争いだったと考えられている。飛び道具の威力を知った人間はもはや狩りのためではなく、人間を殺めるために飛び道具をどんどん進化させていくことになり、今も人間は相手より強い飛び道具を生み出さずにはいられない衝動に駆られ続けている。飛び道具の飛距離が延びれば延びるほど、相手に対する共感は弱まり攻撃への抵抗感が失われていくと考えられる。
NHKは人間と戦争紛争に関連する4万本に上る論文の中から、なぜ人間は自らの命を危険にさらしてまで戦争へと突き進んでしまうのかを全論文解読システムを活用して調べた。すると最新の研究から人間を戦争へと突き動かすオキシトシンの恐るべき一面が浮かび上がってきた。突き止めたのはオランダ・ライデン大学教授(心理学)・カーステンデドリューで、ユニークな実験によって「オキシトシンによって仲間を守りたいと思う一方で仲間以外には線引きをして攻撃になってしまう」ことを突き止めた。
一方、戦争を拡大させる人間の特性に歴史学の視点から迫る研究プロジェクトが始まっている。ジョージブラウン大学博士(歴史学)・ダニエルホイヤーたちは15世紀以降、3000回を超える戦争や紛争、その死者数のデータを分析した。そこでわかったことは最も死亡率が高かったのは20世紀で、大量殺戮兵器が使われた第二次世界大戦だった。
次いで死亡率が高かったのが17世紀のヨーロッパで起きた三十年戦争だった。三十年戦争の発端は宗教改革だったが20世紀のような大量殺戮兵器がない時代になぜこれほど死者を生む激しい戦争になってしまったのか。
ホイヤーたちはこの戦争で使われた活版印刷技術注目した。敵への恐怖心をあおり、仲間の結束心をかきたてるビラを両陣営が印刷によって大量にばらまいたのである。もともと教えの種をまくという意味だったラテン語のプロパガンダこそが政治的な宣伝戦を表す言葉となり、800万もの死者を生むほど、戦争を深刻化させた大きな要因だったとホイヤーらは結論付けた。
プロパガンダはその後、現代に到るまで戦争を拡大する原動力となっていく。第二次世界大戦では映画やラジオが利用された。現代は、インターネットの登場によってプロパガンダは拡散力を爆発的に高めている。時に偽情報も駆使して人間の敵愾心を強め、仲間を守るために人々を日々戦争に駆り立てている。
総合地球環境学研究所所長・山極壽一(人類学)は「言葉や活版印刷は、本来は敵ではない相手に線引きすることで集団の内部で守り合う結束力を高めたといえる。見たこともない仲間に対して自分たちの命をかけて守ろうとする気持ちが湧くことが戦争が持っている矛盾だ」とした上で、「地球全体が国を超えて結束しなければならない問題には環境問題や気候問題があるが、歴史的な対立を超えてみんなで解決していく方向に進ませることが戦争を起こさせない貴重な一歩になるかもしれない」とまとめた。
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ヒューマンエイジ第1集・人新世・地球を飲み込む欲望~(6/11放送)
46億年にわたる地球の歴史の中で、人類が地球に大きな影響を与えている地質学上の時代を、「人新世」と位置づけようという議論が始まっている。
今、人新世を巡る地質調査はカナダの湖、ポーランドの泥炭地、豪州のサンゴ礁、氷に覆われた南極大陸など、世界各地12か所で進められており、日本では愛媛大学をはじめ、23の研究機関が協力し、大分県別府湾の水深およそ70メートルの海底で調査が行われている。
日本の研究チームは堆積物を詳しく化学分析し、1年ごとにどんな物質が含まれているか調べ上げた。...
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46億年にわたる地球の歴史の中で、人類が地球に大きな影響を与えている地質学上の時代を、「人新世」と位置づけようという議論が始まっている。
今、人新世を巡る地質調査はカナダの湖、ポーランドの泥炭地、豪州のサンゴ礁、氷に覆われた南極大陸など、世界各地12か所で進められており、日本では愛媛大学をはじめ、23の研究機関が協力し、大分県別府湾の水深およそ70メートルの海底で調査が行われている。
日本の研究チームは堆積物を詳しく化学分析し、1年ごとにどんな物質が含まれているか調べ上げた。その結果、1950年前後の地層からは火力発電などで化石燃料を1000℃以上の高温で燃やした時に排出される煤に似た物質が急激に増加していることが分かった。
全く同様の化石燃料を燃やした痕跡がカナダの湖の底、ポーランドの泥炭地、中国の湖の底などの地層からも同じく1950年辺りから急増していることが確認された。
地層に異変が検知された1950年代といえば、第2次世界大戦が終わり、各国が急速に復興へと舵を切った時期である。人々が豊かな生活を求め、エネルギーを大量消費し始めた人間の営みが地層にまで記録されているのは驚きといえる。
一方、バルト海からは1950年代を境に土壌が白から黒へくっきりと変色していることが確認された。実は白から黒への地層変化というのは化学肥料という人間の発明がもたらした痕跡でもある。
まだ化学肥料がなかった1900年代初頭、医療技術の進歩や衛生環境の改善によって地球の人口は増え続け、食糧生産が追いつかなくなっていた。こうした深刻な食糧危機に立ち向かったのがドイツの科学者・フリッツハーバーと技術者・カールボッシュであった。2人は研究を積み重ね、空気を材料に肥料を作るという魔法のような技術を生み出すことに成功した。
より具体的に言うと特殊な化学反応によって空気中の窒素を肥料として使える形で取り出すことに2人は成功したのである。このハーバーボッシュ法と呼ばれる大発明で2人はノーベル化学賞を受賞した。ところが、この技術が世界で広く使われたことによって藻類やプランクトンが異常繁殖し、今世界各地で、生態系の破壊を招く結果を生んでいる。
1950年代以降の地層からは、他にもこれまでとは異なる痕跡がいくつも確認されている。例えばあらゆる用途に使われているプラスチックや、高性能な工業製品に欠かせない重金属など、人間が豊かな暮らしを求めて生み出したはずの物質が環境破壊を招く原因物質として次々と検出されている。人間だけが持つ課題を解決する力だが、ひとたび課題を解決すると欲望に歯止めがかからなくなっていく。
そして今、まさにこうした人間活動の痕跡が地球に大きな影響を与えており、この時代を人新世と名付けようという議論が進められている。
番組ゲスト・歴史学者・藤原辰史は「国家や世界機関にお任せする形で今までどおりのお任せ史観でいくとまた同じ失敗を繰り返す。アイデアを1人の天才が生み出して解決するという時代はもう終わった」。恐竜学者・小林快次は「いま地球に何が起きているか、その事実に目を向けることがすごく大事だ」と語った。
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アフターコロナ・人に会うのがツラい…~科学で解明!心の異変~(6/4放送)
この3年間のコロナ禍で、我々は人波の途絶えた街、マスクで覆い隠された表情、人と話せるのは画面越しという状況に置かれ、コミュニケーションはかつてないほど大変化した。
そのコロナも去り、いよいよアフターコロナ社会が到来した。街はにぎわいを取り戻したように見える。
そうした中で、気がかりなのはコロナ禍以降、人と会うのが不安と訴える大学生が増えていることである。
筑波大学・斎藤環教授は「コロナ禍で一番影響を受けたのはわりと頑張って社交的にふるまっていた人だ」と指摘した。...
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この3年間のコロナ禍で、我々は人波の途絶えた街、マスクで覆い隠された表情、人と話せるのは画面越しという状況に置かれ、コミュニケーションはかつてないほど大変化した。
そのコロナも去り、いよいよアフターコロナ社会が到来した。街はにぎわいを取り戻したように見える。
そうした中で、気がかりなのはコロナ禍以降、人と会うのが不安と訴える大学生が増えていることである。
筑波大学・斎藤環教授は「コロナ禍で一番影響を受けたのはわりと頑張って社交的にふるまっていた人だ」と指摘した。
人と関係を築くことへの不安は大学生だけでなく、高校生にも広がっている。日本赤十字社の調査で将来の不安を尋ねたところ、「高校生の3割が対人コミュニケーションスキルが身につかないのではないか、2割が心を許せる友人知人が作れないのではないか」と答えたという。
コロナ禍で人となかなか会えない状況が続いた今、誰もが脳の中で無性に人に会いたい気持ちが高まっているはずなのに、人とつながるのが不安という若者が増えている。
全論文解読システムで抽出した孤立に関する6000本の論文のうち、特に若者への影響に注目した多くの研究の中で最も数多く引用されている重要論文の中では、過去にSARSなどの感染症でしばらく社会封鎖が続いた地域でも若者の心の健康が悪化していたことがわかっている。
特に影響が大きいのは長い期間孤立を感じている状況だとみられる。実際に長期間孤立状況が続くと何が起きるのか、米国・マウントサイナイ医科大学・森下博文教授はラットの実験を通じて「長期の隔離では社会行動が減ることから脳の報酬系の異常が起きてしまったことが考えられる」との答えを導き出した
筑波大学・斎藤環教授は「長期に孤立した状況であるひきこもりはストレス反応を避け、自分を守るためにこもることが多くなる。ひきこもり期間が長くなると対人不安から外に出たくても出られなくなってしまう」と話した。
コロナ禍の影響をみていくと、マスクの問題にもつきあたる。未だに外せない人が少なくないマスク。マスクを着けて人に接するのはコミュニケーションにどんな影響を与えるのかを研究している学者がオランダにいる。
ラドバウド大学・マイクリンク准教授は「マスクをしている人の目元は額のあたりだけで表情を正しく認識することはとても難しく、読み違いも起こりやすい。確かな感情を認識するためには顔の下半分も必要となる」と分析している。
コロナ禍で急速に増えたのはマスク以外にもまだある。リモートでの会話である。対面とリモートではどんな違いがあるのかに着目して研究を行っている東北大学加齢医学研究所・榊浩平助教は「初対面のオンラインでのコミュニケーションでは脳活動の同期が起きない。つまり言葉だけのやり取りとなってしまい情報だけが交換されており感情の共有は難しい」と分析した。
東京大学教授・明和政子は「感情コミュニケーションを豊かに経験できる時空間をアフターコロナ社会では積極的に導入していかなければならない」と提言。
この先、コミュニケーションのあり方は人それぞれで、さらに多様になっていくことが予想されるが、気持ちや感情を伝え合うことに喜びを感じる脳の仕組みは変わらないはずである。そこに幸せのコミュニケーションのヒントがあるのかもしれない。
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国家主席・習近平(5/21放送)
国家主席・習近平の言葉を収めた300点以上の資料を分析すると、習は以前から領土と海洋権益への強いこだわりを繰り返し示していることがわかってきた。台湾については20年以上前に言及しており、当時から既に武力統一も辞さない姿勢を示していた。
米国・オバマ政権で東アジア政策を担当し胡錦涛体制の国家副主席だった頃から習をよく知る元国務次官補・ダニエルラッセルは習について、人間味のある人物で将来、米国と協調できる指導者になると期待を寄せていたという。...
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国家主席・習近平の言葉を収めた300点以上の資料を分析すると、習は以前から領土と海洋権益への強いこだわりを繰り返し示していることがわかってきた。台湾については20年以上前に言及しており、当時から既に武力統一も辞さない姿勢を示していた。
米国・オバマ政権で東アジア政策を担当し胡錦涛体制の国家副主席だった頃から習をよく知る元国務次官補・ダニエルラッセルは習について、人間味のある人物で将来、米国と協調できる指導者になると期待を寄せていたという。ところがその2年後、国家主席に就任した習はこれまでとは異なる一面を見せるようになった。2013年の米中首脳会談では「太平洋は広く米国と中国の両方を受け入れることができる」と、現在の台湾や東シナ海での強硬姿勢につながる一方的な見解を示した。
中国共産党が新国家を樹立した4年後の1949年に習近平は生まれた。父は副首相も務めた習仲勲。習は建国に貢献した高級幹部であり、習はなに不自由のない暮らしを送っていたが、1966年、毛沢東が若者たちを動員して政敵を排除する文化大革命(文革)が始まると、多くの党幹部や知識人らが排斥された。習仲勲も反動分子とされ、中学生だった習もその息子として迫害を受けた。
習は貧しい農村に送られ、中国内陸部・陝西省の梁家河村で7年間、労働や農作業に従事し、ヤオトンと呼ばれる洞穴にある住居で暮らしていた。そこはノミやシラミが湧く環境で日々の食事にも事欠いたという。習が二十歳の時、この村で中国共産党に入党し、地方幹部として25年にわたって勤務。農民の暮らしを間近で見た経験が貧困の撲滅を目指す習の統治哲学につながっていく。
都市と農村の貧富の格差が広がるとそれが社会の不安定要因となり、貧困を放置すれば党による支配の正統性を揺るがしかねないという思いが国家主席になった習にはあった。彼は脱貧困を掲げ、義務教育の無償化や住宅補助、雇用創出などのために1兆6000億人民元を投じた。3年前には1億人近くの農村部の貧困人口をゼロにしたことを誇示している。
習の統治哲学を確固たるものにしたのは天安門事件とソ連崩壊という2つの歴史的な事件である。
1989年5月中国社会を揺るがす民主化運動が起きていた頃、貧しい地方で書記を務めていた習は地元のメディアを集めた会議で文革時代の経験を引き合いに出しつつ民主化運動に対し強い懸念を表明していた。翌月、人民解放軍が市民や学生に発砲し、武力で鎮圧、国際社会から厳しく非難された。中国国内では30年以上がたった今でも天安門事件はタブー視されており、習が公に発言することはほとんどない。
習の演説を見ると軍による鎮圧を正当化している。軍が党に従い、人民を統制したことこそが共産党による支配を守る上では欠かせなかったと明言している。天安門事件の2年後、隣国ソビエトで習の統治哲学を更に強固にする出来事が起きる。1991年、共産党や軍などの保守派がクーデター起こし、改革を主導してきたゴルバチョフ大統領に反旗を翻したが、数万人の市民が抵抗し僅か3日で失敗。その後のソビエト崩壊へとつながった。習はソビエト崩壊は党が軍を統制できなかったことが招いた結果だと解釈している。
大東文化大学東洋研究所・鈴木隆教授は「習はトップになってからもくどいほどソ連の教訓とか失敗という言葉を使い、西側のイデオロギーに侵食されて平和的な体制転換を起こさせない。同じことを中国で再現させてはならない」と繰り返し言っている。つまり共産党の支配体制が揺らぐことへの極度の警戒の根底には西側諸国からの介入を恐れる心理があるというのだ。
習は反腐敗キャンペーンによって権力集中を進めた。反腐敗キャンペーンが進み、2期目、3期目になるにつれ習に近い幹部が増えていった。2018年、習はこれまでの指導体制の在り方を公然と転換した。憲法を改正し、国家主席の任期を撤廃し、事実上の終身制を可能にした。集団指導体制の形骸化は当時の党の重鎮にとっても予想だにしないことだった。
かつてない権力を手にした習は新型コロナウイルスの感染拡大を封じ込めるためゼロコロナ政策を推し進め、全土で厳格な管理を徹底した。これに対して人々の不満が噴出し各地で起こったのが白紙運動だった。一部の国民は公然と習近平体制を批判するなど、これまでのタブーが破られた。習は直ちに国民の不満を解消しようと今度はゼロコロナ政策を緩和。経済活動の再開も認めたことから、大規模な抗議活動は収まっていった。水面下では当局が活動参加者を次々に拘束するなど強権的な手法も用いて事態を収束させていった。
習の対外政策を読み解く上で、欠かせないのが就任以来掲げ続けてきた国家目標である「中華民族の偉大な復興」である。これは中国が100年以上にわたって西側諸国によって苦しめられたという歴史観をベースにしたもので、アヘン戦争によって英国への香港割譲を強いられて以降を屈辱の歴史として認識し、清算し偉大な復興を成し遂げようというものである。英国からの返還以降一国二制度の下で言論の自由など民主的な権利が守られるとされてきた香港。中国式の統治に反発する声は今や徹底して封じられている。去年、香港を訪問した習は中国共産党によって安定と繁栄が約束されるとしている。習は今西側諸国が掲げる人権や民主主義とは異なる価値観を前面に打ち出し、大国としての自信を深めている。去年開かれたG20サミットで捉えられたカナダのトルドー首相との立ち話。直前に行われた非公式会談について習近平はカメラの前でトルドー首相を非難したが、カナダの元中国大使・ガイサンジャックは「彼は顔を紅潮させ手を動かしていた。これはパフォーマンスであり、私に盾突くなら罰を与えるという西側諸国へのメッセージだった」と指摘している。
習が、民族復興の最優先事項の一つとして掲げているのが台湾統一。台湾との経済的な結び付きや人的交流などを通じた平和統一を掲げながらも武力による統一も辞さない構えを明確に打ち出している。米国元国務次官補・ダニエルラッセルは「習が台湾への軍事侵攻に踏み切るかどうかはロシアによるウクライナへの侵攻からどんな教訓を得るかにかかっている」という。強大すぎる権力が誤った判断につながる危うさについて皮肉にも20年前、地方の書記だった習自身が同じような懸念を語っている。
「多様な意見こそ科学的な意思決定を形成する基礎である。誰も声を上げない状態はこの上ない威信の表れに見えるが、実はよいことではない。自分で全てをやってはならず権力を一手に握る独断することはあってはならない」。
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お祭り復活元年~にっぽん再生への道~(5月14日放送)
新潟・長岡市山古志は今年で終わってしまう火祭りを、デジタル空間メタバースの中に残すという突拍子もないことをやろうとしている。TOKIOのリーダー・城島茂がそのお祭り復活の現場に足を運んだ。
長岡市山古志はかつて山古志村と呼ばれ、美しい棚田や、泳ぐ宝石の錦鯉や牛の角突きが有名だったが19年前、新潟県中越地震が村を襲い、全村避難となった。
その後、残念ながら人口は回復せず合併で山古志村はなくなってしまった。...
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新潟・長岡市山古志は今年で終わってしまう火祭りを、デジタル空間メタバースの中に残すという突拍子もないことをやろうとしている。TOKIOのリーダー・城島茂がそのお祭り復活の現場に足を運んだ。
長岡市山古志はかつて山古志村と呼ばれ、美しい棚田や、泳ぐ宝石の錦鯉や牛の角突きが有名だったが19年前、新潟県中越地震が村を襲い、全村避難となった。
その後、残念ながら人口は回復せず合併で山古志村はなくなってしまった。現在800人まで減った人口の半分以上が高齢者という限界集落となり、地域の誇りだった古志の火まつりは最後を迎えるという。
火祭りは、竹や木の骨組みにワラを積みあげて作った巨大なさいの神(直径10m、高さ25m)に火をつけるのがクライマックス。さいの神の高さは日本一ともいわれ住民が全てくみ上げて作る。中には熊手やお札が入っている。
この火祭りをメタバースに残すプロジェクトの中心人物が中越地震のあと被災者の生活支援相談員としてやって来た山古志住民会議代表・竹内春華である。
メタバースとはインターネット上の仮想空間である。メタバース上のさいの神は実物をスキャンして作った正確なもの。アバターと言われる自分の分身を使って中に入る。アバターとなるのは山古志名産の大根である。
竹内は2021年から仮想山古志村プロジェクトを始めていた。まず取り入れたのがNFT。高度な技術で価値が保証された偽造できないデジタルデータで作られたアートのことをいう。
山古志の名物泳ぐ宝石の錦鯉をNFTでいろいろなアートに変えて売り出した。購入者はデジタル上の村民に登録され、売上の3割はデジタル村民と住民が話し合って地域の活性化に使われる。
こうして棚田や、牛の角突きなどの大事な風景が次々とメタバース上に残されていくことになった。
デジタル山古志は日本だけではなく海外からも支持され、その結果デジタル村民が増え1080人となった。こうした活動の延長戦上に火祭りをデジタル空間メタバースの中に残すということがあるのだが、竹内には更に夢があり、いつかリアルで火祭りを復活させたいと考えている。
最後の古志の火まつりは過去最多、全国から3000人もの人が足を運んだ。
城島茂が最後に「デジタル空間の住人や若者、よそから来た知恵者など地域には味方がたくさんいて、そうした人たちと繋がれば祭だけでなく地域そのものが変わっていく。そんな胎動が日本各地に生まれ始めている」と結んだ。
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