水元公園、大場川、そして中川へ(その55)
7月10日、その日も晴れだった。雲一つないとは言い難かったが、風もなく朝から気温が高い夏の日という趣だった。
私は、7時半ごろ自宅を出て、市川橋を渡り、都側の土手を北上し、水元公園を目指して走った。
柴又の寅さん公園辺りまでは、走る人、クロスバイカー、歩く人、野球をやる人々といった具合で、江戸川の土手や河原は、多くの人が出て賑わっていた。...
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7月10日、その日も晴れだった。雲一つないとは言い難かったが、風もなく朝から気温が高い夏の日という趣だった。
私は、7時半ごろ自宅を出て、市川橋を渡り、都側の土手を北上し、水元公園を目指して走った。
柴又の寅さん公園辺りまでは、走る人、クロスバイカー、歩く人、野球をやる人々といった具合で、江戸川の土手や河原は、多くの人が出て賑わっていた。
一週間前の荒川でも、そうだったように、江戸川も土手や河原には、本当に多くの人が、様々なスポーツや健康志向の遊びに興じて、実に巨大なプレイグランドと化していた。
まさに日本人は、健康志向が好きなようだ。
その日は、いつものように水元公園に入る道を通り越して、少し先の瀟洒な橋を渡って、その公園に入ろうと企てた。
橋を渡り、公園らしき中を通り、まもなくすると一般道に出てしまった。
それでも少し走ると、いつの間にか「水元公園」に入っていた。
公園に入ると、蓮の花が季節なのか、ところどころに豪華に咲いていた。
カメラを三脚に据えて、しっかり撮影している人々もいた。8時少し過ぎた、その辺りは公園内の一部にはまだ施錠され入れないところがあった。
「オニバス」と呼ばれる、希少な蓮の一種も施錠された区域にあった。
その日は、野鳥の鳴き声を聞きながら、どんどん奥に入っていった。細長いその公園の反対側にある、「西側エントランス」から出て、一般道を2分ぐらい走ると、大場川の側道に出た。その川には、予想に反して、クルーザーのハーバーが、2、3か所に分散されて見えた。
少し、走ると、水門が見えてきた。その先は「中川」であった。
「水元公園」は、江戸川と中川を繋いだ、いわば大場川の一部が、堰き止められて出来たのだろうと、その辺りの地勢から勝手に推測した。
江戸川から、中川までこんなに近いのかと驚きもした。サイクリングをすると自分の頭の中に具体的な地図が描け、自然と疑問が氷解してゆくことに楽しみを感じる。
中川では、水上ジェットの集団が、思い切りスピードを出して、水の上を楽しんでいる様子が窺えた。
そのまま行けば、新中川を通って帰れると思ったが、その日は中川を途中で引き返し、三郷公園を抜けて、水元公園の「オニバス」の様子をスマホに収めて、帰途に就いた。自宅には11時頃に着いた。頭の中には江戸川から水元公園、大場川、そして中川、更には荒川までの地図や地勢の様子がはっきり描けた。途中三郷公園で、綺麗な花畑を作っていた農夫のおじさんと良い会話ができた。何か少し世界が広くなったような気がした。
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荒川と隅田川を分流する「岩淵水門」(その54)
7月3日、その日私は、市川橋を渡り、そのまま蔵前通りを荒川へと走った。
8時45分ごろに出発し、平井大橋を渡ったのが、9時5分ごろだった。
荒川の幅広のサイクリングロードには、もうすでに多くのロードバイカーが所狭しと走っていた。...
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7月3日、その日私は、市川橋を渡り、そのまま蔵前通りを荒川へと走った。
8時45分ごろに出発し、平井大橋を渡ったのが、9時5分ごろだった。
荒川の幅広のサイクリングロードには、もうすでに多くのロードバイカーが所狭しと走っていた。
河原では、野球やサッカーに多くの人たちが、熱中していた。
堀切を通過し、いくつもの橋を潜ると何とはなしに景色が変わってきた。
市川に住んでいると、東京の足立区や荒川区、北区といった場所は、あまり縁がなく遠い存在である。
職場からも、日比谷線や京浜東北線に乗っていかなくてはならず、ましてや川口や戸田といった地名は、日常的なところではないように思っていた。
ところが、サイクリングをすると、そういった遠くに感じていた地名が、すぐそこで目に入り、頭の中の地図が書き直されてゆく。
何か、魔法の力が手に入ってような奇妙な感覚が襲った。
いくつかの橋を通過すると、視界がぐっと広がり、赤い色の水門が見えてきた。岩淵水門だった。
少し手前には、荒川と隅田川を分けている地点が、雄大なパロラマの中に見えた。
その1週間前に、行った利根川と江戸川の分流点は、茫漠な森が広大に広がりはっきりしなかったが、この分流点は至って明瞭であった。
「ここが分流点か」と感慨深かった。
更に荒川を遡ってみた。
赤羽辺りを通過した。下町ぽい街並みが見えた。
戸田橋まで来て、その日は引き返した。途中花を探したがやっと平井大橋の手前で、紫の花に東京スカイツリーが背景が重なったショットが撮れた。
自宅へ着くと12時10分頃だった。3時間余りの旅だった。汗が上下の服をびっしょり濡らせていた。その日も頭の中まで満足感が染み込んだ。
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利根川と関宿城(その53)
6月26日、その日も朝から曇り空であった。
8時30分ごろ自宅を出て、いつものように市川橋を渡り都側の土手を「利根川」を目指して、ひたすら北上した。
1時間ほどで、三郷辺りを抜け、吉川、松伏、そして春日部を通り抜けた。...
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6月26日、その日も朝から曇り空であった。
8時30分ごろ自宅を出て、いつものように市川橋を渡り都側の土手を「利根川」を目指して、ひたすら北上した。
1時間ほどで、三郷辺りを抜け、吉川、松伏、そして春日部を通り抜けた。庄和町辺りで河原に数十人のブラスバンドのチームが練習をしている光景が見えた。迫力あるリズムが聞こえてきた。
1か月ほど前に、宝珠花橋まで行ったので、そこから杉戸、更には利根川と江戸川の分岐点まで行ってみたいと思っていた。
杉戸辺りの広い河原では、数機のグライダーの離着陸に多くの人が携っていた。
スマホで動画を撮ろうとしたら、あっという間に飛び立ってしまって機会を逃した。「残念!」。
言葉を交わしたこの辺に住むという女性も、何度もここにきているのだけれど、飛び立つところを見たのは初めてだと嬉しそうに言った。
目的の分流点は、直だと思っていたが、そこから30分は、走った。
入り組んだ道路を出ると、急に城が見えてきた。関宿城だ。
その辺りが、公園となっていたので一周し、天守閣に登って、目的の分流点を確認した。
筑波山が、遠景に見え川向うは茨木県の境町であった。遥か向こうにうっすらと赤城山や男体山と思しき山景も見えた。
利根川と江戸川の分流点は、だだっ広い森の様相であった。
水不足も影響しているのか、あの大利根を想像していた身としては、思惑が外れた。
帰りは急いだ。ひたすら走った。帰宅してみると午後3時半であった。午前中をサイクリングに充てている習慣から言えば、番狂わせとといったことになってしまった。それにしても利根川との合流点は、意外に奥まって遠かった。
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