2月上旬、フランスの一部地域がサハラ砂漠からの砂嵐に見舞われた。その後、フランス東部にあるジュラ県の土壌を調べたところ、セシウム137の痕跡が発見された。この放射性同位体は、1960年代にフランスで行われた核実験の時に放出したものの残りだと見られている。
仏メディア
『フランス 3』によると、2月6日、アルジェリア南部のサハラ砂漠の砂が風で持ち上げられ、フランス南部や東部まで飛ばされた。フランス南部のピレネー山脈だけでなく、東部のジュラ山脈も雪と空が黄土色に染まった。この珍しい現象はSNS上で多く共有されフランス国内で話題を集めた。
しかし、その後ジュラ県の土壌を調べたところ、60年以上前にフランスがサハラ砂漠で行った核実験の残留粒子、セシウム137が混ざっていることが確認された。...
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『フランス 3』によると、2月6日、アルジェリア南部のサハラ砂漠の砂が風で持ち上げられ、フランス南部や東部まで飛ばされた。フランス南部のピレネー山脈だけでなく、東部のジュラ山脈も雪と空が黄土色に染まった。この珍しい現象はSNS上で多く共有されフランス国内で話題を集めた。
しかし、その後ジュラ県の土壌を調べたところ、60年以上前にフランスがサハラ砂漠で行った核実験の残留粒子、セシウム137が混ざっていることが確認された。フランス放射能測定NGO「ACRO」は、サハラの砂には「自然界には存在しない、核爆発に伴う核分裂に由来する人工放射性元素」が、サハラから遠く離れたフランスまで降ってきたと説明している。
しかし、砂嵐が吹いた地域では、1km2あたり8万ベクレルのセシウム137が降ったことが確認されており、ACROは人間の健康に対して危険な数値ではないとしている。
仏ラジオ放送局『フランス アンフォ』によると、アルジェリア南部のレガネの町の近くで行われたフランスの核実験と、サハラからの砂嵐に含まれるセシウム137の存在は、明確な相関関係が確認されているという。
フランスは1960年2月13日に、サハラ砂漠で「ジェルボアーズ・ブルー」と呼ばれる最初の核実験を行っており、その威力は70キロトンと推定されている。広島原爆の3~4倍の威力である。
フランスは1960年から1966年にかけて、当時まだフランス領であったアルジェリアで、計57回の地上及び地下核実験を行った。1962年にエビアン協定が調印されると、フランスは1967年7月にサハラでの実験を最後に、アルジェリアでの実験を終了させることを約束した。しかしフランスは、南太平洋のフランス領ポリネシアで核実験を継続し、それは1995年まで続いた。
フランスのケアン大学の放射線防護の専門家であり、ACRO科学顧問も務めているピエール・バルベ氏は、アルジェリア南部のサハラ砂漠では、「住民は日常的にセシウム137の痕跡とともに生活しており、一部の土地は今もひどく汚染されている。当時どれほど放射能汚染がひどかったのか想像できるはずである。」と語っている。
仏地方紙『ウエストフランス』によると、アルジェリア軍の高官も2月に、フランスは「歴史的責任を負い」、核実験場を「除染」しなければならないと訴え、フランス政府が「核の遺構の位置を明らかにした地図の交付を拒否し続けている」と批判した。
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