既報どおり、8月15日に終戦75周年を迎えるが、折からの新型コロナウィルス(COVID-19)感染流行問題の最中であることから、式典の縮小のみならず、安倍晋三首相の談話の内容も希薄化されるように見受けられる。そして、もうひとつ注目されるのが、海外の戦地で戦死した240万人余りの日本兵のうち、依然100万柱余りの遺骨が未回収となっていることである。日本政府が、戦没者の遺骨収集を集中して実施するとして期間を定めて実施しているが、回収できるのは半分程度とみている等、米メディアが詳報している。
8月12日付
『AP通信』:「戦後75年経っても、未だ100万柱の戦没日本兵の遺骨が未帰還」
戦後75年が経過しようとしているが、海外で戦死した日本兵の遺骨100万柱以上が依然未帰還となっている。
その多くが、かつての日本が侵攻したアジア諸国に散らばっていることもあって、回収を困難にさせている。
20世紀初めに旧日本軍がアジア諸国に攻め入って戦闘を繰り返し、結果として240万人余りが戦死したが、その半分以上の遺骨が回収できないままである。
それらは南太平洋の島嶼であったり、中国北部やモンゴルであったり、また、ロシア極東であったりする。
しかし、遺骨収集を管掌する厚生労働省によると、海の藻屑となったり、紛争の継続する土地や安全保障、あるいは政治的問題で回収に赴けない場所に埋葬されたこと等より、50万柱余りの回収は見込めないという。
更に、関係者の記憶が定かでなくなったり、関係書類の逸失、また、遺族の高齢化等もあって、遺骨が回収できても故人の特定が困難となっている。
日本政府は2016年、「戦没者遺骨収集法(注1後記)」を制定し、8年間を集中実施期間として、精力的に遺骨回収に当たることになった。
遺骨が、米軍との激戦地であった南太平洋の島嶼である場合、米国防総省の協力も得て収集に当たっている。
ただ、かつて日本政府は遺骨収集に積極的ではなかった。
1943年に太平洋海域や島嶼での日本軍敗戦が続くことになってから、当時の軍部は、戦死者の詳細状況を伝えずに、ただ空箱に石などを入れて遺族に送っていた。
そして、全ての戦没者の御霊は靖国神社に祀られていると主張した。
戦後史研究者によれば、その後の政権も同様の対応を取り、身元を特定して遺骨を遺族に戻すということは行ってこなかったという。
米軍統治が終わった1952年に、日本は初めて戦没者遺骨収集団を派遣したが、日本軍の侵略に遭った多くのアジア諸国では歓迎されなかった。
1950年代にいくつかの遺骨収集団が激戦地に送られ、“象徴的”な遺骨を手あたり次第に収集したものの、身元の特定は行われず、遺族に送られることはなかった。
約1万柱の遺骨を収集して、当時の行政府は1962年に打ち切ろうとしたが、退役軍人や遺族からの強い要望もあって継続されることになった。
そして約34万柱を収集したものの、ほとんどが千鳥ヶ淵戦没者墓苑(注2後記)に無名戦士として埋葬されている。
帝京大学(1966年設立の私立大学)日本近代史の浜井和史専任講師(45歳)は、国がこれらの遺骨のDNA鑑定を行っていないため、詳細は分からないが、“少なからぬ”数の日本人以外の遺骨が含まれていると指摘する。
すなわち、日本が当時統治した朝鮮半島や台湾から、召集令状で集められた朝鮮人・台湾人が日本軍所属兵として戦地に送られており、彼らの遺骨もその中に含まれているとする。
同講師によれば、1910~1945年の統治下の朝鮮半島から24万人以上が召集され、日本本土以外の戦地で2万人が戦死しているとみられ、回収された遺骨は身分が特定されずに上記戦没者墓苑に祀られているという。
同講師は、“これまでの行政府は、国のために殉死した故人の尊厳を十分敬っておらず、そのために遺骨収集が後手後手かつ十分でなかった”とした上で、“更に、朝鮮人や台湾人の遺骨収集は全く無視してきた”と非難している。
なお、朝鮮人約700柱(約半数が北朝鮮人)の遺骨が祐天寺(1718年創建の浄土宗の寺院)に納められ、また、これまで数百柱の遺骨が韓国に送還されている。
しかし、戦時中の徴用工及び従軍慰安婦に関わる問題で、直近の二国間関係が気まずくなっていることから、その後の遺骨収集・送還等の協議が全く行われていない。
一方、日本政府は1991年、漸くロシア及びモンゴルと遺骨収集について協議が開始できることとなり、旧ソ連のシベリヤ抑留者約60万人、うち現地で死亡して埋葬された5万5千人(数千人の朝鮮人も含まれる)について、調査を進めているところである。
(注1)戦没者遺骨収集法:2016年4月施行の法律で、戦没者の遺骨収集を国の責務と位置付け、2016~2024年度を集中実施期間と規定して、厚生労働省が管掌の上、遺骨の収集・送還などの実務を一般社団法人日本戦没者遺骨収集推進協会に担わせるもの。身元特定と遺族への返還を迅速に進めるため、遺骨のDNA鑑定の体制整備も同省の責務とされる。
(注2)千鳥ヶ淵戦没者墓苑:1959年開園の日本の戦没者慰霊施設。日中戦争及び太平洋戦争の戦没者の遺骨のうち、遺族に引き渡すことができなかった遺骨を安置。公園としての性格を有する墓地公園とされており、環境省が所管する国民公園等のひとつ。
閉じる