オードブル、コンソメスープ、ローストチキンや春子羊、デザートなどを含む昼食が、1912年の4月2日の海上試運転中に乗組員らに提供された。
タイタニック号生存者の中では最高位の二等航海士チャールズ・ライトラー氏が、1912年4月10日、ニューヨークに向けて英国サザンプトンを出発する際に、妻にお土産としてメニューを渡していた。
タイタニック号は4日後氷山に接触し、1500人以上の乗客と乗組員が死亡した。...
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オードブル、コンソメスープ、ローストチキンや春子羊、デザートなどを含む昼食が、1912年の4月2日の海上試運転中に乗組員らに提供された。
タイタニック号生存者の中では最高位の二等航海士チャールズ・ライトラー氏が、1912年4月10日、ニューヨークに向けて英国サザンプトンを出発する際に、妻にお土産としてメニューを渡していた。
タイタニック号は4日後氷山に接触し、1500人以上の乗客と乗組員が死亡した。
他に、タイタニック号の海図室の鍵が78,000ポンド(約1,176万円)で、トーマス・マリンが着用していた三級客室係のバッジが57,000ポンド(約859万円)で落札された。バッジは遺体とともに見つかった。
「このメニューは、現存するこれらの類の品の中では最も重要な例の一つであり、真に値打ちがある品だ。世界で最も有名な船の、そこで最初に提供された食事で、最高位の生存者が所有していたものである。」競売人のアンドリュー・オルドリッジ氏は述べた。
落札したのは21日オークションに参加していた英国人収集家であった。
タイタニック号は試運転のため1912年4月1日に英国ベルファストに向けてサザンプトンを発つ予定であったが、悪天候のため翌日に延期となった。4月2日午前10時に港を離れ終日航海を続けた後、荷物積込みのために港に戻った。
4月2日付のメニューは、2004年に28,000ポンドで落札されたものが他に一つだけ現存すると考えられている。
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