イラクのアバディ首相は10日、IS(イスラム国)の最大の拠点となっていた北部の都市モスルで完全に勝利したと宣言した。アバディ首相は9日にもモスルを訪問して、実質の奪還を確認していたが、旧市街で最後の戦闘が行われていたことから、この終結を待って完全な制圧を見届け、正式な勝利宣言を行ったものである。AP通信など各国メディアが伝えた。
モスルはイラクで2番目に大きい都市であり、200万人の人口を抱えていた。ISが2014年6月に占拠し、その指導者のバグダディ容疑者が国家の樹立を一方的に宣言した場所であり、ISにとってはイラクにおける最大拠点、かつ指導者の領地として象徴的な場所でもあった。これに対して、2016年10月からイラク軍などの連合軍は、モスル奪回作戦を始め、今年の1月にはモスル東部の制圧を宣言し、西部へと奪還作戦を展開していた。ISの占領から3年の時を経て完全に奪回したわけだが、その戦いは米国が主導する連合軍の空爆等による支援を受けたものの、何千人もの死者を出し、近隣の街も含めて全てが廃墟となって、90万人近い人々が家を追われる激しいものだった。
モスルの戦いの終盤には、非常に長い時間を要した。ISの戦闘員が、女性や子供も含めてイラク人を人間の盾として使ったためである。戦場は限定されていたので、連合軍は、ISの標的に大型の爆弾を落とし始め、最後は非常に激しい戦闘となり、民間人の犠牲者が多く出た。2月にモスル西部にイラク軍が侵攻してから、民間人の死亡者数が跳ね上がっている。戦闘から逃げる住民は、家の地下に避難していたが、少人数のISの戦闘員を狙った空爆で家族全員が殺されたとする例も多かった。
国連は10日、戦闘の終結にも係わらず、モスルから追われた90万人近くの人々の内、戦闘中に発生した甚大な損害により、何千人もの人々がおそらく街に戻れないだろうと声明を発表している。特に戦いが最も激しかった西部のインフラは、完全に破壊された。旧市街の約65%の建物がかなりの損害を被ったか、完全に破壊されている。西部の近隣都市では、さらに損害が甚大で、全ての家、ビル、インフラの約70%が被害を受けたという。ISはモスルの戦いを引き延ばし、敗退した際に、街には殆ど何も残らない戦術を取ったと言う人もいる。
勝利が目前に迫るにつれ、モスルの東部、西部でこれを祝う人が増えていった。9日、イラクの特別軍は、チグリス河岸で国旗を掲揚して式典を行い、軍の兵士たちが踊り、歌った。イラク軍の犠牲者数も著しく、米国国防省の5月の報告書によると、死亡率が40%に達したという。それだけ激しい戦闘だった。
アバディ首相は10日、軍幹部に守られて演説し、「この偉大な祝宴の日が、過去3年間の兵士やイラク人民の勝利を栄誉で飾った。」と述べた。軍事行動は9カ月に及び、その長く過酷な戦いを振り返って、勝利は「犠牲者の血によって」成し遂げられたと語っている。首相の演説のすぐ後で、連合軍は勝利を祝ったが、旧市街の一部にはまだ爆発物などが残り、避難民のふりをして隠れたISの戦闘員が、奇襲攻撃を起こしたり、テロを起こしたりする可能性もあって、治安の不安定な状況が続きそうであることを認識していた。
ISが一度、いわゆる国家の樹立を宣言した都市であるモスルでの勝利は、イラクやシリアで彼らが生き延びる日は、「もう残り少ないことを示している。」とトランプ米大統領はコメントした。ティラーソン米国務長官は、アバディ首相に祝意を伝え、モスルでの勝利はIS掃討作戦の「重要なマイルストーン」であると述べた。掃討作戦の次の焦点は、ISが首都と称するシリア北部のラッカである。クルド人武装勢力などが包囲しているが、激しい戦闘が続いており、シリアのアサド政権も奪還を狙っている。
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