イラク軍が1990年2月初めにクウェート侵攻(注1後記)した際、丁度同じ日にクウェート国際空港に到着した英国航空149便の乗員乗客385人が、イラク軍によって拉致され、その後5ヵ月近くも“人間の盾”に仕立て上げられてしまった。そしてこの程、英国政府の機密文書公開規定に基づいて公開された文書によって、イラク軍の情報収集に当たる英国陸軍特殊部隊兵をクウェートに送り込む必要があったばかりか、在クウェート英国大使がイラク軍のクウェート侵攻を事前に警告発信していたにも拘らず、当時の政府が英国航空に通知していなかったという驚くべき事実が判明している。
11月23日付
『AP通信』:「英国航空、1990年のイラク軍クウェート侵攻の事前連絡を受けていなかったことが判明」
1990年に中東クウェートで発生した英国航空便乗員乗客がイラク軍によって拉致された事件に関し、この程公開された政府文書によって、英外務省が英国航空(BA、1916年設立)に対して、イラク軍によるクウェート侵攻について事前連絡しておれば、当該事件発生は防げた可能性があることが判明した。
英国政府の機密文書公開規定に基づいて11月23日に公開された文書によると、当時の在クウェート英国大使マイケル・ウェストン(1990~1992年在任)が英外務省宛に、ロンドン発クアラルンプール行きBA-149便がクウェート国際空港に給油のために着陸する1時間も前に、イラク軍がクウェートに侵攻を開始したと緊急事態連絡を入れたにも拘らず、同省は肝心のBAへの連絡を怠ったため、他国際便と違って、同便がクウェート着陸を回避することができなかったという。
同便が1990年8月2日午前3時に同空港に着陸して間もなく、同便の乗員乗客385人がイラク軍によって拉致されてしまった。
その後彼らはバグダッドに搬送され、以降解放されるまでの5ヵ月間近く、当時のイラク独裁者サッダーム・フセイン大統領(1937~2006年、1979~2003年在任)によって、西側諸国からの攻撃を防ぐための“人間の盾”とされてしまった。
更に、拘束中に彼らは、模擬処刑をされたり残虐行為を見せつけられるという虐待を受けることになり、ほとんどの人が心的外傷性ストレス障害を長く患うことになってしまっている。
当該文書の公開について、現外相リズ・トラス(46歳、2021年就任)は、当時のウェストン大使の警告が発せられた経緯に関わる真実が、今頃になって明らかにされることは“受け入れ難い”事態だと糾弾した。
同外相はまた、当時人質になった人々に対して“深い同情の念”を抱いているとも発言した。
これまで、実しやかな噂として、当該便に10人近くの英国陸軍特殊空挺部隊工作員(SAS)が搭乗していて、彼らはイラク情勢に関わる情報収集の任務を帯びていたと言われていた。
今回の当該文書公開に伴い、英国政府は、SASをクウェートに忍び込ませるために、当該便を同空港に着陸させることを優先したと解釈されるとして、責任追及されることになった。
そこでトラス外相は、当時のマーガレット・サッチャー首相(1925~2013年、1979~1990年在任)率いる保守党政権が適切な対応を全く取らなかったと糾弾した。
(編注;サッチャー首相は当時、当該便着陸後1時間経ってからイラク軍がクウェート侵攻した、と発言していたが、後に著した「サッチャー回顧録」の中で虚偽証言であったことを認めている。)
当該文書が公開されたことによって、当時人質になっていたバリー・マナーズ氏(当時24歳のビジネスマン)にとっても、長い間疑問となっていた事態が判明したことになる。
彼によると、当該便に英国軍関係者が搭乗していることなどないと言われてきたので、今回真実が判明して“非常に驚き愕然とした”という。
なお、彼を含め、イラク国内の方々でバラバラに拘束されていた人質が少しずつ解放され始めて、最終的に全員が自由の身になったのは1990年12月半ばとなった。
そして、1991年1月に、国連安全保障理事会での決議に従って、米軍主導の多国籍軍によるイラク攻撃(湾岸戦争、注2後記)が始まり、同年2月24日からの4日間の最終攻撃でイラク軍を追放してクウェートを解放している。
ただ、多国籍軍は当時のフセイン政権を壊滅させるまでは行わなかったため、当該政権はその後も勢力を維持することとなり、2001年9月11日の同時多発テロを契機としたイラク戦争(2003年3月~2011年12月)へと繋がっていってしまった。
なお、同戦争開始の翌月、フセイン大統領は失脚して逃亡、同年12月に逮捕されたが、同国での戦争はその後8年余りも続くことになってしまっている。
(注1)クウェート侵攻:1990年8月2日未明、イラク軍が隣国クウェートに侵攻し、2日間で抵抗勢力を圧倒し、クウェート政府をサウジアラビアに亡命させ、抵抗した数百人のクウェート人を処刑。クウェートは、イラク・イラン戦争(1980年9月~1988年8月)ではイラク政府を経済的に支援してきたものの、この事態が発生する数ヵ月前までには両国関係が急速に悪化していた。
(注2)湾岸戦争:1990年8月2日のイラクによるクウェート侵攻をきっかけに、国連が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆して始まった戦争。同年2月24日からの最終攻撃によってイラク軍は陥落し、クウェートは解放。
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