BRICSサミット、新興6ヵ国の追加メンバー受け入れ合意も、その他は同床異夢で何ら未決定【米メディア】(2023/08/29)
BRICS新興5ヵ国(2011年発足)はこの程、南アフリカにおいて首脳会議(サミット)を開催し、新たに新興6ヵ国の追加メンバー国の受け入れで合意した。しかし、その他、西側支配への挑戦や国際通貨基金(IMF、1945年創設)・世界銀行(1945年創設)等の欧米主導の国際機関への対抗を謳っていたものの、共通通貨の採用はもとより、基軸通貨の脱米ドル政策でも合意に至らず、むしろ加盟国間の思惑の不一致を露呈してしまっている。
8月28日付
『ビジネス・インサイダー』オンラインニュース(2009年開設のビジネス・技術専門メディア)は、直近開催のBRICSサミットにおいて、新興6ヵ国の追加参加が決まって規模は大きくなるものの、本来の主眼である西側対抗軸構築の構想では全く纏まりを欠いたと報じている。
BRICSサミットが、8月24日までの3日間、南アフリカで開催され、新たに新興6ヵ国(イラン、サウジアラビア、エジプト、アルゼンチン、アラブ首長国連邦(UAE)、エチオピア)の加盟が決定された。...
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8月28日付
『ビジネス・インサイダー』オンラインニュース(2009年開設のビジネス・技術専門メディア)は、直近開催のBRICSサミットにおいて、新興6ヵ国の追加参加が決まって規模は大きくなるものの、本来の主眼である西側対抗軸構築の構想では全く纏まりを欠いたと報じている。
BRICSサミットが、8月24日までの3日間、南アフリカで開催され、新たに新興6ヵ国(イラン、サウジアラビア、エジプト、アルゼンチン、アラブ首長国連邦(UAE)、エチオピア)の加盟が決定された。
しかし、当初から標榜していた、西側支配への挑戦や欧米主導の国際機関への対抗を推進するための構想では何ら結論を見出せなかった。
すなわち、昨年来、ウラジーミル・プーチン大統領(70歳、2000年就任)等が打ち出していた、BRICS共通通貨の創設や、国際基軸通貨での脱米ドル政策について、具体的進捗をみせることはできなかった。
まず、オンライン形式で参加したプーチン大統領が、“グループ内での金融・商取引をより強固なものにするため、決済通貨を脱米ドルとし、各々の通貨で決済することが重要だ”と訴えた。
西側諸国の対ロシア制裁で、米ドル決済を禁じられて以来、ロシアとしては脱米ドルに向かわざるを得ない状況になっている。
次に、ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ大統領(77歳、2023年就任)が、“グループ国間の商取引決済上の脆弱性を克服するためには、新たな共通通貨の創設が必要だ”と訴えた。
英国『フィナンシャル・タイムズ』紙報道によれば、同大統領が4月に訪中した際、“金本位制でなくなった後、誰が米ドルを基軸通貨と決めたのか”とした上で、“今こそBRICS共通通貨の採用について真剣に討議すべきだ”と発言したという。
一方、インドのハーディープ・シン・プーリ石油・天然ガス担当大臣(71歳、2021年就任)は8月25日、インドで開催された主要20ヵ国経済相会議後に米『CNBCニュース』のインタビューに答えて、“脱米ドルを進める一環で、インド通貨のルピーを国際通貨に押し上げたいと考えているが、現実的には容易な話ではないと思っている”と表明している。
また、習近平国家主席(シー・チンピン、70歳、2012年就任)は、“国際金融システムの見直しが必要だ”とし、BRICS共通通貨については何らコメントしなかったが、“人民元が国際基軸通貨になることを望んでいる”と言及した。
ただ、同国家主席は、人民元が米ドルに取って代わることまでは明言しなかった。
更に、今回のBRICSサミット議長国の南アフリカのエノック・ゴドンワナ財務大臣(66歳、2021年就任)は8月24日、米『ブルームバーグ』オンラインニュースのインタビューに答えて、“(BRICSサミットでは)どの国からもBRICS共通通貨の話は出なかった”とし、“何故なら、共通通貨採用を準備するということは、これまでの国際基軸通貨の使用を止めることを意味し、それは余りにもリスクが大きく、どの国もそのような態勢が取れる状況にないからだ”とコメントした。
なお、南アフリカのポール・マシャティル副大統領(61歳、2022年就任)が今年4月、BRICSは米ドル依存度を減少させようと試みていると語っていた。
一方、金融大手ゴールドマンサックス(1869年設立)の元エコノミストだったジム・オニール氏(66歳、2001年にBRICsと命名)は今年8月、『フィナンシャル・タイムズ』紙のインタビューに答えて、“BRICS共通通貨の構想があるそうだが、愚かな話だ”と一刀両断した。
更に同氏は、“中国とインドが何ら合意できないということは、西側諸国にとっては好ましい”とし、“何故なら、もし両国が国際通貨で何らかの合意をすれば、それは国際基軸通貨の米ドルにとって大きな障害となるからだ”と付言している。
なお、国際銀行間通信協会(SWIFT、注後記)の今年7月のデータによると、SWIFT利用の国際金融取引の約46%が米ドルで行われていて、これはこれまでの最高値となっている。
(注)SWIFT:銀行間の国際金融取引を仲介するベルギーの協同組合。1973年発足。約4千の国際金融機関で採用されていて、支払いの40%近くが30分以内に、90%余りが24時間以内に完了している。
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中国はロシアが“強すぎず弱すぎない国”として存続するよう策謀、と政治評論家は分析【米メディア】(2023/08/16)
ロシアのウクライナ軍事侵攻以来、中国との関係は表面的には特に深まってきているとみられる。しかし、中国としては、ロシアが敗戦によって衰退し、中国のみが西側民主主義諸国連合と対峙することになるのは避けたいと願うものの、だからと言ってロシアが強大になって中国を脅かすことになることも全く望んでいないとし、言わば「ゴルディロックスの原理(注1後記)」の如く、“強すぎず弱すぎない国”として存続するよう策謀している、と政治評論家は分析している。
8月14日付
『CNBCニュース』は、中国としては、ロシアが“強すぎず弱すぎない国”として存続するよう策謀している、との政治評論家分析について報道している。
中国の対ロシア政策について、『CNBCニュース』が複数の政治評論家に取材したところ、ロシアが“強すぎず弱すぎない国”として今後も存続できるよう裏で画策しているとの分析であった。
彼らの分析は以下のとおりである。
●ロシアがウクライナ戦争に敗れることによって、国際社会に民主主義連合の勝利と喧伝されるのは最も厭忌することである。...
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8月14日付
『CNBCニュース』は、中国としては、ロシアが“強すぎず弱すぎない国”として存続するよう策謀している、との政治評論家分析について報道している。
中国の対ロシア政策について、『CNBCニュース』が複数の政治評論家に取材したところ、ロシアが“強すぎず弱すぎない国”として今後も存続できるよう裏で画策しているとの分析であった。
彼らの分析は以下のとおりである。
●ロシアがウクライナ戦争に敗れることによって、国際社会に民主主義連合の勝利と喧伝されるのは最も厭忌することである。
●しかも、敗戦によってロシアが衰退することによって、西側民主主義諸国連合と中国一国で対峙することになる事態は避けたい。
●そして、ロシアの衰退に伴って、政治・経済が混乱することによって、例えば隣接する中国に大量避難民の流入や政情不安等をもたらすことを懸念する。
●更に、欧州諸国と同様、中国が恐れることは、ロシア敗北によって保有核兵器が流出し、新たな核の脅威が起こることである。
●そのため、西側諸国による制裁によって苦難に陥っているロシアを援助すべく、表向きには、エネルギー政策だとして堂々とロシア産原油・天然ガスを買い増しし、裏では、半導体製品やその他軍事転用可能な部品等を提供している。
●また、国際社会における中国の名声を高めるために、中ロ首脳会談後にも拘らず、ウクライナに政府代表を派遣して“停戦提案”をすることで、“平和の仲介者”を演じようとしている。
●一方、ロシアがウクライナ戦争を契機に、強大になることは全く望んでいない。
●何故なら、過去に三十有余年もの間続いた、“中ソ対立(注2後記)”という苦い歴史があることから、4,200キロメートル余りも国境を接する中国としては、1969年に勃発した中ソ国境紛争のような、新たな軍事対立という事態となることは避けたいからである。
なお、『CNBCニュース』が取材した政治評論家は以下である。
・公共政策専門シンクタンク「米ジャーマン・マーシャル財団(1972年設立、本部ワシントンDC)」民主主義擁護部門のエティエンヌ・ソーラ研究員
・「新地政学研究ネットワーク(本部ウクライナ・キーフ)」アジア部門のユーリ・ポイタ主任
・米シンクタンク「戦略国際問題研究所(1962年設立、本部ワシントンDC)」中国研究部門のジュード・ブランチェット議長
(注1)ゴルディロックスの原理:「ゴルディロックスと3匹のくま」の童話の喩えを借りて名付けられた経済学用語。物語の中にゴルディロックスという名前の少女が登場し、三種のお粥を味見したところ、熱すぎるのも冷たすぎるのも嫌で、ちょうどよい温度のものを選ぶ。この童話が世界中でよく知られていることから、この名前を使うことで「丁度良い程度」という概念の理解が容易になり、発達心理学や生物学、経済学、工学等、他の幅広い領域にも適応されるようになった。
(注2)中ソ対立:1950年代後半から表面化した中国とソ連の対立状態。始めは政党間の理論、路線対立だったが、次第にイデオロギー、軍事、政治に至るまで広がった。中国はソ連指導部を「修正主義」、ソ連は中国指導部を「極左冒険主義」と非難し、両国の対立は世界の社会主義運動やベトナムなど第三世界での民族紛争に多大な衝撃を与えた。中国は、1968年夏のソ連のチェコスロバキアへの軍事介入、1969年3月の珍宝島事件により対ソ脅威感が募ったことより、1971年からは対米接近でソ連の軍事的脅威に対抗する戦略的配置を敷き、「社会帝国主義」ソ連を米国に代わる主要敵に設定。ソ連もアジア集団安全保障体制など対中包囲の軍事網を構築したことから、1970年代末まで中ソの緊張と敵対が続いた。
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