イランとアメリカの間で交渉されてきた「囚人の交換」が実現することとなった。ところが、米国からイランへ引き渡されるはずの囚人が誰一人としてイランに戻ろうとはしなかったことが明らかになった。各メディアは以下のように報じている。
1月19日付
『ABC11』(米)は、水面下で交渉されてきた囚人交換がようやく合意に至り、中立国スイスで交換が行われることになったと報じている。イランからは3人のアメリカ人を載せた飛行機が、同じ日にアメリカからは、イランに帰国希望の(少なくとも周囲はそう思っていた)イラン系アメリカ人が飛行機にのるはずだった。しかし、7人のうち誰一人としてイラン行きの飛行機に乗ろうとしなかったのだという。
彼らは通商規約に反して精密機器をイランに輸出したとして逮捕、起訴されていたという。...
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1月19日付
『ABC11』(米)は、水面下で交渉されてきた囚人交換がようやく合意に至り、中立国スイスで交換が行われることになったと報じている。イランからは3人のアメリカ人を載せた飛行機が、同じ日にアメリカからは、イランに帰国希望の(少なくとも周囲はそう思っていた)イラン系アメリカ人が飛行機にのるはずだった。しかし、7人のうち誰一人としてイラン行きの飛行機に乗ろうとしなかったのだという。
彼らは通商規約に反して精密機器をイランに輸出したとして逮捕、起訴されていたという。釈放された後、彼らは「自由意志により」アメリカに残ることを決めたとする。
他方、解放されたアメリカ人らも帰国する予定であるが、5人のうち1人だけイランに残ることを決めている。その理由は不明とされる。
1月20日付
『ロサンゼルス・タイムズ』(米)はアメリカで逮捕されていたイラン人の容疑と、それに対するコメントを載せている。
彼らの容疑は2010年からの5年間、地対空ミサイルなどに転用できる精密機器を台湾・トルコ経由でイランに輸出したことであり、その額は2400万ドル(約28億円)に上るという。ただ、この容疑も、裁判が進むにつれ彼らがイラン軍部と深い関わりが無いことが判明し、その根拠を失っていた。
彼らは「通商規定は非常に複雑でコロコロ変わる。弁護士に相談してもついていくのが難しい。大統領による恩赦を受けたといっても、何の容疑だったのか釈然としない」と語ったという。
彼らはそれぞれに病気の子どもの通院や、がんの治療など、様々な問題を抱えながらアメリカに生活の拠点を置いている。アメリカに残る決断も当然のことといえる。
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