ナチスドイツ軍が設けていた、悪名高いアウシュビッツ強制収容所は1945年1月27日、赤軍(当時のソ連地上軍、注1後記)によって解放された。しかし、今年の解放78周年記念式典にはロシア代表が招待されないことになっている。
1月26日付米
『Foxニュース』は、「今年のアウシュビッツ強制収容所解放記念式典にロシアは招待されず」と題して、78年前に当時のソ連地上軍が解放に尽力したにも拘らず、今年の記念式典にはロシア代表は一切招待されていないと報じている。
1月27日は、赤軍によってナチスドイツが営む悪名高いアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(注2後記)が解放された記念日である。
同収容所では、主にユダヤ人ら100万人以上が虐殺されており、毎年犠牲者を悼み記念式典が開催されてきた。
しかし、78周年となる今年の式典には、ロシア代表は一切招待されていない。
何故なら、欧州諸国にとって、ロシアが仕掛けたウクライナ戦争の惨状を鑑みるに、ロシアを招待しない程度では済まされないからである。
アウシュビッツ=ビルケナウ記念博物館のパウェル・サビッキ広報担当は『Yahooニュース』のインタビューに答えて、“ロシアが一方的に独立国のウクライナを攻撃している現状より、今年の式典には(解放に尽くしたソ連軍の後継とは言え)ロシア連邦代表を招待することはできない”と明言した。
ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領(50歳、2015年就任)が同記念式典を仕切っているが、ポーランドは特に隣国のウクライナを強く支援していて、これまで数十万人のウクライナ難民を受け入れているばかりか、西側諸国が提供する武器等の搬送に手を貸している。
同記念博物館には、ナチスドイツ軍が設けたガス室や粗末な木造収容施設が残されており、毎年約230万人が訪れている。
同館のピオトル・シウィンスキー館長(50歳、2006年就任)は、“人類にとって忘れてはならない遺物を示すために同館が存在していることを考えた場合、目下ロシアがウクライナで犯している戦争犯罪を決して許すことはできない”と記念式典冒頭に表明した。
これに対してロシア側が直ぐに反発し、外務省のマリア・ザハロア報道官(47歳、2015年就任)はSNS上に、“欧州の「パートナーでも何でもない」国々が歴史を塗り替えようとしても、ソ連軍のはたらきによってナチスドイツ軍の収容所が解放されたという事実は消えない”と投稿している。
赤軍による絶え間ない攻撃によって、ポーランドを含む東欧からナチスヒットラー軍を後退させ、その結果アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所が解放されるに至っている。
赤軍は更に、その余勢を駆って2ヵ月後にベルリンに進軍し、最終的にナチスドイツ軍を打ち破った。
第二次大戦を通じて、ソ連では戦闘員・民間人併せて2,600万人余りが犠牲になっている。
そこでザハロア報道官は、“ファシズムから世界を救ったのはソ連軍兵士”だということを忘れてはならないと強調している。
当時のソ連側の主張は、米国や英国の統治者は、アウシュビッツで何が行われていたか承知していたにも拘らず、収容所から駆り出されたユダヤ人が鉄道工事に従事している場所に空爆を繰り返し、毎日数千人ものユダヤ人を殺害したとしている。
一方、ウラジーミル・プーチン大統領(70歳、2000年就任)はウクライナ軍事侵攻の理由について、ウクライナ政権の“ナチ化を防ぐ”ためだと主張しているものの、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領(45歳、2019年就任)がユダヤ人であることを見落としている。
1月27日付英国『ジ・インディペンデント』オンラインニュースは、「欧州の平和が脅かされる中、アウシュビッツ解放記念式典開催」と詳報している。
1945年1月27日にソ連軍によって解放されるまで、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に収容されていたユダヤ人ら約110万人が犠牲になっていた。
大半がユダヤ人であったが、その他ポーランド人、ロマ族、更にはソ連軍捕虜も含まれている。
そしてこの程、解放から78周年を記念すべく、同収容所の生存者が再び同式典に参席した。
同収容所跡に設立された記念博物館には、ガス室や粗末な木造収容所のみならず、犠牲者の服・靴等の遺物も展示されていて、“(ナチスドイツ軍がもたらした悲惨な事態は)二度と繰り返さない”と訴えている。
しかし、アウシュビッツから僅か300キロメートル(185マイル)東方のウクライナでは、ロシアによる一方的な軍事侵攻に端を発した戦争が繰り広げられていて、約80年前と同様多くの戦争犠牲者が出ている。
2005年に開催された60周年記念式典には、プーチン大統領が招待されて演説していたが、今年の式典には招待されていない。
同記念博物館の公式発表では、ロシア側代表は誰も招待していないという。
(注1)赤軍:1918年1月から1946年2月までロシア帝国及びソ連に存在した軍隊。十月革命後に勃発したロシア内戦の最中である1918年1月に、労働者・農民赤軍(略称:労農赤軍)として設立。1937年12月にソ連海軍が赤軍から独立した後は、ソ連地上軍(陸軍)を指す呼称となった。
(注2)アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所:1940~1945年の間に、ナチスドイツ軍占領下にあったポーランド南部クラクフ近郊に造られた強制収容所。収容されていた110万人余り(9割がユダヤ人、他にポーランド人、ロマ族(ジプシー)、ソ連軍捕虜)の9割以上が虐殺(ホロコースト)されている。
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12月17日付
『ニューヨーク・ポスト』紙は、「スティーブン・スピルバーグ監督、“ジョーズ”公開後のサメ乱獲という“狂騒劇”を引き起こしたことを陳謝」と題して、同監督が1975年に同映画を制作・公開して以降、人々が挙ってサメを毛嫌いして乱獲騒ぎに繋がるような事態を引き起こす原因を作ったことを陳謝していると報じた。
スティーブン・スピルバーグ監督(75歳)はこの程、自身が手掛けた1975年の大ヒット映画“ジョーズ”を契機に、サメの乱獲による個体種激減に繋がった事態を陳謝した。
同監督が、英国『BBCラジオ』の番組“無人島のディスク(円盤状の記憶媒体)”(1942年放送開始)に出演し、ラジオパーソナリティのローレン・ラバーン氏(44歳、2019年就任)のインタビューに答えたものである。
同監督は、“自身が作った映画とその原作の小説の影響で、サメ個体種の減少が起こったことを今は申し訳なく思っている”と吐露した。
ラバーン氏が更に、サメに囲まれた小島に取り残されたとしたらどう感じるか、と質問したことに対して、同監督は、“自身が依然恐ろしいと感じる事態のひとつだ”と答えている。
その上で同監督は、“サメに喰われるとは思っていないが、やはり1975年以降サメ乱獲の狂騒劇が起こったことから、サメには随分と恨まれていると思う”とも語った。
米映画の祭典の「アカデミー賞(初回1929年)」を受賞した同映画は、米小説家ピーター・ベンチリー(1940~2006年)執筆の“ジョーズ”を題材にして、ニューイングランド(米北東部6州の総称)の架空のアミティ島で人を喰い殺す巨大なホオジロザメと格闘する人々を描いた海洋アクション・スリラー映画である。
サメ研究者のジョージ・バージェス氏(68歳)は2016年、フロリダ自然史博物館(1891年設立)のインタビューに答えて、当該映画が上映された途端、サメの捕獲が俄かに注目された、とコメントしていた。
同氏は、“当該映画が世に出るや否や、米東海岸の広範囲でテストステロン(ほとんどの脊椎動物が有するステロイドホルモン・男性ホルモンで攻撃性を誘発)を発揮した荒くれ漁師によるサメの乱獲が始まった”とし、“100年余り前に騒がれた「サメに関わる懸賞金(注後記)」に由来したサメ捕獲競争が始まり、多くの漁師が勇敢さを誇るためにより大きく、かつ大量のサメを捕まえるようになった”と言及している。
一方、『ジ・インディペンデント』紙によると、2千万部も売れた当該小説を書いたベンチリーも執筆したことを後悔していたという。
同紙によると、同作家は2000年、米『アニマル・アタックファイルズ(動物に襲われた被害に関わる公文書館)』のインタビューに答えて、“執筆したときは思いもしなかったが、今はサメが如何に種の保護が難しい生き物かということを思い知っている”と述懐していたという。
(注)サメに関わる懸賞金:ニューヨークの大富豪ハーマン・オルリッチ(1850~1906年)が1891年、“サメが人を襲うかどうか”証明した者に500ドル(現在価値1万3千ドル、約180万円)の賞金を出すと発表したもの。
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