フィリピン大統領;南シナ海での中国漁船団の示威活動にも目をつぶり、逆に閣僚による中国批判言動を禁止【米・フィリピンメディア】(2021/05/20)
フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領(76歳)は、2016年に就任以来、長い間築き上げられた米比同盟関係を差し置いて、中国・ロシアとの関係強化政策をとってきた。同大統領としては、力で全く敵わない中国等と敵対するのではなく、むしろ経済支援をうまく引き出して自国の繁栄に繋げようと腐心してきている。それは南シナ海における中国の一方的海洋進出活動に対しても同様で、中国大漁船団がフィリピンの排他的経済水域(EEZ)に長期に留まっているにも拘らず、この程、中国批判を繰り返す閣僚らに対して、これ以上の批判的言動を禁止する措置を講じるとの命令を出した。
5月19日付米
『ザ・ディプロマット』オンラインニュース(2001年設立):「フィリピン大統領、閣僚に対して南シナ海問題での発言禁止措置」
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は5月17日、閣僚に対して南シナ海問題での発言を禁止する措置を講じた。
これは、中国の数百隻の大漁船団が、フィリピンのスプラトリー諸島(南沙諸島)のEEZ内にあるホイットサン礁に3月から長期間留まっていることに業を煮やした複数の閣僚が、中国批判を公に表明する事態が繰り返され、反って中国を刺激する結果になっていることを同大統領が考慮したためとみられる。...
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5月19日付米
『ザ・ディプロマット』オンラインニュース(2001年設立):「フィリピン大統領、閣僚に対して南シナ海問題での発言禁止措置」
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は5月17日、閣僚に対して南シナ海問題での発言を禁止する措置を講じた。
これは、中国の数百隻の大漁船団が、フィリピンのスプラトリー諸島(南沙諸島)のEEZ内にあるホイットサン礁に3月から長期間留まっていることに業を煮やした複数の閣僚が、中国批判を公に表明する事態が繰り返され、反って中国を刺激する結果になっていることを同大統領が考慮したためとみられる。
同大統領はテレビ会議を通じて、“今後、全ての閣僚に対して、フィリピン西方で起こっている問題に関して、如何なる相手にも媒体にも発言することを禁ずる”とした上で、“本件討議する必要がある場合は、まず政権内で話すことを求める”と釘を刺した。
3月の第1週に、フィリピンの哨戒機が同礁近海に係留されている中国大漁船団を発見して以来、多くの政治家らから、同大統領の対中融和政策に反して、中国側を非難する声が次々に上がった。
3月22日には、デルフィン・ロレンザーナ国防相(72歳)が中国に宛てた文書の中で、“フィリピン主権を脅かす行動は即刻止めて、大漁船団を可及的速やかに退去させるよう求める”と申し入れた。
更に5月3日には、言いたいことをツイッターですぐつぶやいてしまうことで知られるテオドロ・ロクシン外相(72歳)が、何と“早く出て失せろ”と極端な言い回しで中国を非難した。
これには早速中国外交部(省に相当)から、二国間外交上問題だと非難されるに至り、同相は陳謝に追い込まれている。
同大統領は、2016年に就任以来、親中政策を標榜し、同年に常設仲裁裁判所(PCA、1899年オランダ・ハーグに設立)が下した、中国側に南シナ海における主権を認めないとの裁定についても、中国側にその履行を求めない対応をしてきた。
同大統領としては、富も力も壮大な中国からの支援を得ることで、インフラ整備含めてフィリピン経済の発展に繋げたいと欲したものと考えられる。
ただ、これまでのパターンでは、数々の中国側の傍若無人な行動に対して、閣僚らに強硬意見を述べさせた後、同大統領が対中懐柔に乗り出すということが繰り返されてきている。
しかし、今回発令した中国批判封じ込め措置に関しては、同大統領としても、中国側の傍若無人さに思うところがあってか、翌日の5月18日には、当該発言禁止措置が弱腰とみられないよう、“主権擁護のため、EEZ内の監視活動は今後も継続する”とし、“自国の立場や権利を放棄するつもりはない”との声明を発表している。
同日付フィリピン『ザ・デイリィ・トリビューン』紙(2000年刊行):「ドゥテルテ大統領、フィリピンの海洋主権を再度強調」
ドゥテルテ大統領は5月18日、南シナ海の領有権問題に関わる批判を無視しようとしていると前日に表明したことに関して、誤解して取られないようにするためか、フィリピン西沖のスプラトリー諸島内の領有権について擁護する立場に何ら変わりない、とする声明を発表した。
ハリー・ローク大統領報道官(54歳)が読み上げたもので、同大統領は、“フィリピン西海域において保有する領有権は全く変更なく、今後もその主権を擁護していくために、行政機関による監視活動を継続していく”と表明している。
更に同大統領は、2016年にPCAにおいて勝ち取ったフィリピンの権利は、如何なる国によっても侵されることはないと強調した。
同大統領は以前、PCA裁定など“ただの紙切れ”と呼んで、それを活用しようとしなかったが、今回は改めて、“その権利を放棄する意向はない”とし、“フィリピンはその原則に従って強靭な対応をしていく”と言及している。
一方、ローク報道官は、同大統領が前日に全閣僚に対して、フィリピン西沖の領有権問題に関わる公の場での発言を禁止するとした措置に関して、自身はもとより、ロクシン外相もその立場上、発言することを抑制されてはいない旨付言した。
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ドゥテルテ比大統領;ミンダナオ和平協定合意の元反政府ゲリラ幹部らを暫定自治政府役人に登用【米・フィリピンメディア】(2019/02/24)
ロドリゴ・ドゥテルテ比大統領にとって、麻薬犯罪撲滅政策と同じくらい、ミンダナオ島などで続いてきた反政府組織との紛争解決が重要事項である。そして同大統領はこの程、2014年調印のミンダナオ包括和平協定に基づいて、武装解除して政府側と協調して自治に当ることを実践してきた元反政府組織、「モロ・イスラム解放戦線(MILF、注1後記)」の幹部らを、地元暫定自治政府の首長及び役人に登用した。
2月23日付米
『ザ・ディプロマット』オンラインニュース:「フィリピン和平協定の下、元ゲリラ部隊幹部らを役人に登用」
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は2月22日、2014年調印のミンダナオ包括和平協定に基づいて、武装解除の上でフィリピン政府側と協調してきた元反政府組織MILFの幹部らを、地元5州を束ねるバンサモロ暫定自治政府の役人に任命した。
任命式で同大統領は、これを以てゲリラとの戦いは遂に終焉を迎えた、と語った。...
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2月23日付米
『ザ・ディプロマット』オンラインニュース:「フィリピン和平協定の下、元ゲリラ部隊幹部らを役人に登用」
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は2月22日、2014年調印のミンダナオ包括和平協定に基づいて、武装解除の上でフィリピン政府側と協調してきた元反政府組織MILFの幹部らを、地元5州を束ねるバンサモロ暫定自治政府の役人に任命した。
任命式で同大統領は、これを以てゲリラとの戦いは遂に終焉を迎えた、と語った。
同包括和平協定に基づき、今年中にMILF傘下の約1万2千人のゲリラ兵士が武装解除に応じることになるが、今後も段階を踏んで、最終的に4万人のゲリラ兵士が武装解除することになる。
イスラム国家樹立を求める、反政府組織「モロ民族解放戦線(MNLF、注2後記)」等と始まった内戦は半世紀近くに及び、約15万人が犠牲になっている。
MILF広報担当のボン・アル=ハック氏は『AP通信』のインタビューに答えて、本組織が闘争目的とした夢が実現した以上、これからは武器は無用で戦闘を続ける理由もなくなったと述べた。
同大統領は、MILF指導者のムラード・イブラヒム氏をバンサモロ暫定自治政府の首長に据え、また、2022年の選挙で議員が選出されるまでの間、フィリピン政府役人を何人か同自治政府のために働くよう派遣するとした。
更に同大統領は、同地域には天然資源が豊富ではあるものの、国内で最も貧困地域であることから、新たな産業を起こす等支援していくとも語った。
目下、年間助成金として10億ドル(約1,100億円)余りが予算化されている。
なお、MNLFのメンバーにも同自治政府内の議席が与えられる。
しかし、MNLFの中で過激派思想を捨てられないメンバーは、イスラム過激派組織アブ・サヤフ等を立ち上げて、闘争を続けるという。
アブ・サヤフは、フィリピン政府及び米政府からテロ組織と指定されている。
同日付フィリピン『ザ・デイリィ・トリビューン』紙:「反政府組織指導者が首長に」
ドゥテルテ大統領は、MILF指導者のイブラヒム氏をバンサモロ暫定自治政府の首長に任命した。
同氏は、2022年に行われる議会選挙までの間、今回同時に任命された80人の暫定議員を率いて同暫定自治政府を運営していく。
ただ、同大統領は、2022年に正式な自治政府が形成された後も、イブラヒム氏には自治政府内の重要なポジションに留まってもらう意向だとも語った。
なお、任命式を終えて後、イブラヒム新首長は、これまで長い間、イスラム教徒の信仰や統治を求めて戦い、また犠牲も払ってきたが、それらが十分活かされるような自治政府運営をしていくと宣言した。
(注1)MILF:1977年にMNLFから分派・独立した反政府組織。2012年にフィリピン政府との間でミンダナオ和平に関する枠組み協定(バンサモロ自治政府の創設案含む)に合意し、2014年にミンダナオ包括和平協定に調印。
(注2)MNLF:1970年代に結成されたイスラム教徒の政治組織。最盛期には3万人のゲリラ兵士を抱えていた。その後、MILF他に分かれて弱体化。あくまでイスラム国家樹立を目指す過激派一派は、1991年にアブ・サヤフを設立し、現在に至る。
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