香港動乱(9月28日)
(国慶節迎える中国・どうなる香港デモ)
10月1日に建国70周年の国慶節を迎える中国。大規模な軍事パレードも予定されている。一方で未だに香港デモが鎮静化する兆しは見えない。香港の人たちは自由と民主主義のために戦っているとして長期戦も覚悟しているようにみえる。2020年に総統選挙を迎える台湾の人たちも本気で香港の行方を見まもっている。中国側も当然のことながらこうした動きが台湾にどう影響するかを相当気にしている。...
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(国慶節迎える中国・どうなる香港デモ)
10月1日に建国70周年の国慶節を迎える中国。大規模な軍事パレードも予定されている。一方で未だに香港デモが鎮静化する兆しは見えない。香港の人たちは自由と民主主義のために戦っているとして長期戦も覚悟しているようにみえる。2020年に総統選挙を迎える台湾の人たちも本気で香港の行方を見まもっている。中国側も当然のことながらこうした動きが台湾にどう影響するかを相当気にしている。中国にとっては香港で妥協しすぎると台湾に悪影響が及ぶ。かと言って第二の天安門事件のような事態を引き起こすことにでもなれば、世界の視線が香港の味方となり、台湾での状況が中国にとって不利になるばかりでなく、米中貿易交渉も頓挫しかねない状況になるためにそうなることだけは避けたい。弱腰すぎても強硬に出すぎてもマイナスになるというまさにジレンマの中に今の中国は陥っている。中国としては香港のデモに関しては持久戦にもちこみ、自然消滅を待つという戦略をとる可能性がある。膠着状態が長引けば香港にとって何ひとついいことはないということを中国国内における香港のポジションを下げにかかることで思い知らせるという方法をとるかもしれない。中国本土の人民が民主化を望んでおらず、香港の民主化を求める動きを冷めた目で見ているということは中国にとっては有利な材料であり、民主化の波がドミノ倒しのように中国本土にまで押し寄せるということはないと中国は踏んでいるのかもしれない。
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香港で今夜・大規模集会・雨傘運動から5年(9月28日)
香港では高度な自治を認める一国二制度が形骸化しつつあるという不安が市民の間で広がっている。こうした中、今夜、民主的選挙実現を求めた雨傘運動が始まって5年になるのを記念する大規模集会が行われる。
また中国建国70年に合わせた大規模なデモ行進を警察が認めない決定を下したことから、一部許可なしで強行される可能性があり、再び大きな混乱が予想される。
香港・政府と市民・初の対話集会(9月27日)
抗議活動が続く香港で、昨夜政府と市民による初めての対話集会が行われた。林鄭月娥行政長官と抽選で選ばれた100人を超える市民が参加した。
この中で林長官は今年6月以降起きた一連の困難の非を認めた。
しかし警察によるデモ隊への暴力などを調べる独立調査委員会の設置には応じない姿勢を改めて示した。
香港では週末や中国建国70年の来月1日にかけ大規模な抗議活動が計画されていて、再び大きな混乱が予想されている。
香港・大規模デモ行進・警察と衝突する事態に(9月16日)
抗議活動が続く香港できのう、警察の許可がないまま行われた大規模なデモ行進では警察と衝突となり、混乱が長期化している。
香港では容疑者の身柄を中国本土に引き渡せる条例改正案の撤回発表後も抗議活動が続いている。
香港政府によると昨夜9時現在では計8人がけがをしており、49歳の男性が一時重体も意識が回復した。
他国の干渉を執拗に嫌う中国・米英に助けを求める香港市民(9月14日)
(香港デモ・他国の干渉を執拗に嫌う中国)
10月1日中国が建国70周年の国慶節を迎える。トランプ大統領はツイッターで「中国が10月1日に建国70周年を祝うことを踏まえ、友好のしるしとして、輸入品2500億ドル分の関税引き上げを10月1日から15日に遅らせることにした」と投稿した。一方、米議会では超党派の議員が6月に提出したもので香港に約束された「高度な自治」を毎年検証する様に米政府に義務付ける法案が議論されており、その「香港人権・民主主義法案」を早期に実現させるような動きがある。...
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(香港デモ・他国の干渉を執拗に嫌う中国)
10月1日中国が建国70周年の国慶節を迎える。トランプ大統領はツイッターで「中国が10月1日に建国70周年を祝うことを踏まえ、友好のしるしとして、輸入品2500億ドル分の関税引き上げを10月1日から15日に遅らせることにした」と投稿した。一方、米議会では超党派の議員が6月に提出したもので香港に約束された「高度な自治」を毎年検証する様に米政府に義務付ける法案が議論されており、その「香港人権・民主主義法案」を早期に実現させるような動きがある。また香港では「逃亡犯条例を全面撤回すること」、「平和的に行われたデモを暴動と定義しないこと」、「逮捕されたデモ隊の罪を撤回すること」、「職権を乱用した警察の暴行を追及すること」、「林鄭月娥行政長官は辞任し、民主的な選挙を実施すること」という5つの要求を掲げつつ、10月1日にも香港市民が大規模デモ行進を行う予定である。自由主義・民主主義のために立ち上がった香港のデモに呼応する形で9月29日には台湾で1万人規模のデモが、日本でも9月16日に「香港の自由を求める」という名目のデモが行われる。一方の中国(香港)当局は武装警察を投入するなどし「第二の天安門」と言われる武力鎮圧の可能性や、これを機に一気に一国一制度にもっていく可能性が指摘されている。
(一国二制度を反故にしようとしている中国)
香港は1941年から45年までの日本統治下を除き1842年から英国の植民地となっていた。1997年に英国から返還され、その際に50年間は「一国二制度」を守るという約束(中英共同宣言)があったが、その約束も今、反故にされようとしている。習近平国家主席は一国二制度の一国を強調する動きを強めており、「一国は根であり、根が深ければこそ葉は茂る」と香港返還20周年の演説(2017)で述べたことは記憶に新しい。2014年には駐英中国大使館が「中英共同宣言は返還時に失効した」との見解を表明し、「英国は香港に対し何も言う権限はない」と英国に対する非難の度合いを強めている。英国の干渉を執拗に嫌う中国の心の奥底を辿ってみると英国との間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争にたどり着く。
(アヘン戦争で香港を手に入れた英国)
中国がまだ清という豊かな国だった時代、英国はインドで製造したアヘンを、清に輸出し代わりに清の茶葉や絹、陶器などと交換して巨額の利益を得ていた。英国側には売り物として銀や需要がない綿織物しかなかったため、依存性のある麻薬アヘンを中国に売りつけることは方法として手荒ではあるが、金儲けには手っ取り早い方法だった。当然のことながら清の国内にはアへン中毒患者が激増することとなり、アヘンの蔓延に危機感をつのらせた清王朝は1839年、アヘンの全面禁輸を決断した。英国商人の保有するアヘンをかたっぱしから没収し、焼却したため、これに反発した英国との間で遂にアヘン戦争が勃発した。結局、この戦争で英国が勝ち、南京条約によって辺境にあるのどかな1漁村に過ぎなかった香港は1842年、英国に割譲されることとなった。
(なぜ清は英国に負けたのか)
なぜ経済大国であった清が英国に負けたのかは議論が分かれるところだが、産業革命による蒸気機関の発明という要素がかなり大きな要素として挙げられる。「ネメシス」号をはじめとした東インド会社の汽走砲艦が、水深の浅い内陸水路に容易に侵入し、清軍のジャンク船を次々と沈めていったことはよく知られている。また産業革命によって蓄えた財力で大砲など強力な武器を調達できたことも大きい。もうひとつ清に関して言わせてもらうと清側に大国であるが故の心の隙があったことが挙げられる。豊かであるが故に民衆の関心が享楽的なものに向かい、たちまちアヘンに取り込まれてしまった。そこも敗因のひとつと数えることができる。
(英国に助けを求める動きが起きている)
現在、中国は飛ぶ鳥を落とす勢いで覇権国家への階段を再びかけのぼろうとしており、英国からの呪縛からも解き放れつつある。そんな時、皮肉なことに、香港の人々の間からは、「われわれは中国人ではなく香港に住む英国人だ」との声が上がり始めている。これはなぜなのだろうか。香港では1997年の中国への返還前から香港に住んでいた人には英国の海外市民パスポートが発行されており、今でも約300万人の人々が英国のパスポートを持っている。手荒な方法で中国から香港を取り込んだ英国に助けを求める動きが起きているというのはなんとも皮肉な話である。よく考えれば香港は英国が統治したことによって人口は10倍以上に膨れ上がり、国際貿易金融都市としても飛躍的に発展したことからも、香港市民には英国による統治がむしろ良い記憶として心の中に残っていると考えられる。民衆との心の溝を埋めようともしない共産党政権によるガバナンスよりも英国植民地統治の方が香港市民にとってはよほどましだったのかもしれない。
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