浅草橋界隈から神田川から隅田川を臨む(その300)
2月19日、その日の午後5時半頃、私は浅草橋界隈を、神田川に沿って、緑色の照明が光る柳橋を臨みながら歩いていた。
その時間には、日本橋の方から多くの勤め人とみられる人々が帰りの道すがらにいた。
浅草橋の駅に向かうと、人の流れは激しくなり、JRと都営地下鉄線の駅にと流れていた。
夕陽の中に浮かぶ「富士山」と「東京スカイツリー」その中に飛行機が(その299)
2月11日、その日の午後4時過ぎ頃、私はJR市川駅から自宅へと急いでいた。
2月1日に撮り逃した「夕焼けの富士山」を撮りたいと懸命であった。
何とか間に合い、用意していた三脚にビデオカメラを装着して撮り始めた。
その時間には、まだ夕焼けの中に、富士山が浮かんでいなかった。
やがて太陽が急に沈むと、富士山の黒い姿が浮かび上がってきた。
「きたきた」とやっと安堵感が湧いてきた。
1時間ばかり、じっと夕闇に落ちる富士山を見ていると、頻繁に飛行機がその中に浮かんでは消えていった。
「そうか、東京の上空が航路になったんだ」と思い、東京の街並みを目を凝らして見ると赤い誘導灯が10日前よりも増えたように感じた。
令和初の建国記念の日・その日の皇居前(その298)
2月11日、その日の午後1時頃、私は東京駅丸の内中央口を出た。
駅前の広場は、流行り病の所為か、がらんとしていた。
いつもは大勢いる中国人を、ほとんど見かけなかった。
和田倉門から二重橋方向に歩いても、同じ状態が続いていた。
そこで、念願の二重橋の前で、三脚を立ててみた。
がらんとした状況で、周囲の映像を自由に撮ることができた。
東の空に昇る太陽と雲(その297)
2月6日、その日の通勤前に東の空を見ると、散らばる雲の間に太陽が昇って行く姿が目に入ってきた。
美しいというか、不気味というか、表現が難しい情景であった。
東京の夜景を時間かけて撮影した(その296)
2月1日、その日私は、午後4時40分頃市川駅から自宅に急いだ。
夕陽に輝く「富士山」を撮ろうと考えたからだった。
自宅に着き、西の空を見ると、富士山の辺りだけが、雲に覆われて、その姿が隠れてしまっていた。
正直、がっかりした。
この時間帯に自宅にいることがほとんどないからだった。
思い直して、きらきら光り始めた「東京スカイツリー」と宵闇迫り、灯りが点き始める東京の街並みを撮ることにした。
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