第158回芥川賞・直木賞に思う(その126)
昨日、第158回芥川賞と直木賞の選考会が今夜東京で開かれ、芥川賞には石井遊佳氏と若竹千佐子氏、直木賞には門井慶喜氏の作品が選ばれた。
門井慶喜氏は大学の事務職員を経て作家デビューし、直木賞は3回目の候補での受賞した。
受賞作「銀河鉄道の父」は国民的童話作家・宮沢賢治の生涯を、質屋を営んでいた父親・政次郎の視点で描いた長編小説である。
芥川賞を受賞した若竹千佐子氏は岩手県遠野市出身の63歳。...
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昨日、第158回芥川賞と直木賞の選考会が今夜東京で開かれ、芥川賞には石井遊佳氏と若竹千佐子氏、直木賞には門井慶喜氏の作品が選ばれた。
門井慶喜氏は大学の事務職員を経て作家デビューし、直木賞は3回目の候補での受賞した。
受賞作「銀河鉄道の父」は国民的童話作家・宮沢賢治の生涯を、質屋を営んでいた父親・政次郎の視点で描いた長編小説である。
芥川賞を受賞した若竹千佐子氏は岩手県遠野市出身の63歳。子ども2人を育てた専業主婦で、55歳の時に夫が亡くなったことをきっかけに執筆活動を始めた。
受賞作「おらおらでひとりいぐも」は文芸誌の新人賞を受賞したデビュー作である。
芥川賞もう1人の受賞者・石井遊佳氏はインド在住の54歳で、国際電話で喜びを語った。受賞作「百年泥」は石井氏と同じインド・チェンナイで日本語教師として働く女性が主人公だ。
受賞者が、従来よりも多彩な経歴であることが特徴である。
特に、人生一区切りついた後に執筆し、受賞の栄光に輝いた作者が多いことに注目が集まる。
更に、国際性である。 インド・チェンナイで日本語教師として働く女性が主人公で、作者も同じ境遇である等、それだけでも興味をそそられる受賞である。
「芥川賞、直木賞作家も変わってきたな」と思わず呟いた。
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10年ぶり大改訂!“過去最強”の広辞苑(その125)
10年ぶりに改訂された「広辞苑」第7版(岩波書店)が14日発売された。...
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10年ぶりに改訂された「広辞苑」第7版(岩波書店)が14日発売された。10年で“技術進化”があり、140ページ増えたが厚さは変わらず8cmのまま。
ゆるキャラやTPP、イクメン、アラサー、爆買いは見送り。自撮りや小悪魔、ちゃらい、ごち、萌えは採用となった。約25万項目の最後の言葉は「ん坊」っとなった。
早速購入してみたら、「舟を編む」の著者「三浦しをん」の「広辞苑を作る人」が付録でついてきた。
読んでみると、言葉の差異に関することが興味深く記述されていた。
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上野の宵闇に光の芸術が蘇る(あかりパーク2017)(その124)
11月4日、その日の午後5時ごろ、「光の芸術」を鑑賞しようと上野公園に足を伸ばした。...
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11月4日、その日の午後5時ごろ、「光の芸術」を鑑賞しようと上野公園に足を伸ばした。
JR上野駅に着く直前に、車内のアナウンスは、「あす5日、米国合衆国大統領の訪日の為、終日ロッカーは使用できません」と伝えていた。
駅を降りると、既に真っ暗な闇夜の中であった。
がしかし、「北斎とジャポニズム」という大きな光の看板が目に入ってきた。
近代美術館の建物を照らす、「光」も青や赤に時折、色を変え、うすら寒い暗闇に色を添えていた。
噴水のある辺りまで歩くと、青や赤、等々と光が吹き上げる水に綺麗な色を付けていた。
その光が、時間と伴に色を変えていった。勿論水の高さや勢いも変化した。
その前方に大きな舞台が造られ、「フラメンコの踊り」が始まった。
豪華な赤い衣装を着た、ダンサーが6、7人音を合わせて踊っていた。
観衆の中には、頭にフードを被る人もいるような、寒気がある中で、その踊りは続いた。
野外ステージで、これだけの踊りを見られる機会は、そうないのではないかと、出会ったチャンスに内心感謝した。
春には、あれだけの人が集まる、桜の並木でも光の競演は行われ、桜に見立てた桜色の「光による豪華な夜桜並木」が浮き上がった。
スカイツリーの光の振り付けを担当した、あの「石井幹子」のプロデュースと看板にあったが、全く綺麗な素晴らしい、晩秋の夜の贈り物であった。
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赤坂の新風景(その123)
6月1日、その日私は、地下鉄千代田線の赤坂駅を出た。
そして久ぶりに一ツ木通りを歩いた。
すると、傘が上の方で少し曲がった形の、街路灯が道の両方に並んで見えた。...
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6月1日、その日私は、地下鉄千代田線の赤坂駅を出た。
そして久ぶりに一ツ木通りを歩いた。
すると、傘が上の方で少し曲がった形の、街路灯が道の両方に並んで見えた。
その辺りの風景は、ここ数年で様変わりをしていた。
ふと気が付くと、横っちょに公園が、見えた。
「ほう、こんなところに公園などあったっけ」と呟いた。その公園には2頭の黄色い巨鳥が頭を揃えてシンボルとして設置されていた。
10メートルほど歩き、また覗き込むと今度は小寺の存在に気がついた。
この道は、よく歩いたが、今まで公園や小寺の存在に気がついたことがなかった。
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殺人的混雑(その122)
4月13日、その日の朝の出勤時間に、私はJR市川駅の総武線ホームに辿り着いた。
見ると、そのホームは人で溢れかえっていた。
「何が起こったんだろう」近年見たことがない人の山であった。
「これでは、当分乗れないな」と思い、一度ホームを降りて、快速線に向かった。...
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4月13日、その日の朝の出勤時間に、私はJR市川駅の総武線ホームに辿り着いた。
見ると、そのホームは人で溢れかえっていた。
「何が起こったんだろう」近年見たことがない人の山であった。
「これでは、当分乗れないな」と思い、一度ホームを降りて、快速線に向かった。
このホームは、緩行線よりは少しましな混雑であった。
ホームに入って来た電車のドアのいくつかには、コートなどが挟まっているのが奇妙に見えた。
「超満員だな!、乗れるかな?」と思ったが、不思議にも何とか乗れた。
最初は片足が浮いていたが、何とか着地できた。
錦糸町で、緩行電車のホームを見ると、人は一杯であったが、何とか動き出したようだったので、そちらのホームに移った。
そのホームも階段の下から人が並んでいた。
何とか先頭電車の止まる位置まで、辿り着いた。
拡声器で、2分ごとに電車が入ってくると告げていたが、5本ほど待つと、やっと乗れることができる位置にきていた。
出て行く電車を見ると、上手くホームに立っている人をすり抜けて、出て行った。また入ってくる電車の方を見ると、駅員と電車の間隔はぎりぎりで、神業的身の熟しであった。
しばらくぶりに殺人的な混雑ぶりを経験した。それにしても「何とかなるものなんだな」と変に感心した。
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