次の段階に進む「コロナ」との共生(その315)
6月19日、その日昼頃、私は山手線に乗って、東京駅丸の内中央出口から駅前広場に出た。...
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6月19日、その日昼頃、私は山手線に乗って、東京駅丸の内中央出口から駅前広場に出た。
朝からシトシト降る雨の中、その広場には人が戻ってきていた。
その日から、都道府県をまたいだ旅行も大手を振ってできるようになった。
人々は、これまでの予定を取り戻そうとし、一気に人混みができるかと予想していたが、それほどでもなかった。
今後も、我々は「コロナ禍」にありながら、気をつけながら日常のペースを取り戻してゆくのだが、その塩梅が難しい。
街行く人々の誰もが、そんな判断を強いらながら、黙々と歩き続けてゆかなければならない。
「あ~あ」、早くからっとした日々が来ないかと、待ち遠しい限りである。
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非常事態解除後・初日(その314)
5月26日、前日の午後6時に、非常事態宣言が解除された翌日となるこの日に、私はJR総武線に乗って、会社へと向かっていた。
車内は、1か月半前ほどではなかったが、座席は埋まり、立って吊り革につかまっている乗客も結構目に入ってきた。
いよいよ、経済が始動してゆく瞬間であるが、まだコロナ禍の影響が色濃く残っているようにも感じた。
青く輝く東京スカイツリー・・・戦う医療従事者に感謝する(その313)
4月18日、その日の午後6時頃、私はテラスから東京の空を眺めていた。...
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4月18日、その日の午後6時頃、私はテラスから東京の空を眺めていた。
南側から、東京湾、富士山、丹沢山系、多摩山系と連なり、丁度秩父山系辺りに、赤く輝く夕陽が沈もうとしていた。
暫くすると、薄暮がやって来て、スカイツリーの天辺に一点白い光が燈った。
更に、天空に帳が落ち始めると、ツリーは光の衣に包まれていった。
この時期、スカイツリーは、コロナ禍の「医療従事者に感謝の意を伝える為」、そして励ますために、地球の色である、青の色に身を包んでいる。
その思いを、じわっと感じながら、東京の夜の闇に光る灯を見つめていた。
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秋葉原のヨドバシ閉まる(その312)
4月14日、その日の午後2時半頃、私は秋葉原駅の「ヨドバシカメラ」の入り口にいた。
一人の店員が、入り口で懸命に閉店した旨のことを大声で伝えていた。
数人の客は、訝し気にその声を聴いていた。
私は「うーん」と唸り、仕方なくその場を去った。
来る前に、グーグルで確認し、19時まで開いていることを確認してから来店したのに、「どうしたのかな?」という不審感は心に残った。
荒涼とした土曜日の東京丸の内・仲通・和田倉門・日比谷ミッドタウン・数寄屋橋・銀座4丁目・有楽町(その311)
4月11日、その日の午後3時頃、私は東京駅丸の内口を出た。
いつもは大勢の人々が記念写真を撮ったりしている、その場所ががらんとしていた。
行幸通りを歩き、和田倉門、そして日比谷方向に歩いても、いつもの活気は感じられなかった。
ポツンポツンと人が歩き、道路の車も疎らであった。
日比谷ミッドタウン辺りは、人っ子がほとんど感じられなかった。
数寄屋橋、銀座4丁目辺りには少し人が歩いていたが、荒涼とした雰囲気であった。
地下道は、がらんとして人を見つけるのが難しい程であった。
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