葛西臨海公園に水仙を鑑賞しに行ったら背景に富士山の姿が(その245)
2月9日、その日の朝9時頃、JR市川駅から総武緩行線に乗って、西船橋駅で武蔵野線に乗り換えて、葛西臨海公園に行くつもりであった。...
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2月9日、その日の朝9時頃、JR市川駅から総武緩行線に乗って、西船橋駅で武蔵野線に乗り換えて、葛西臨海公園に行くつもりであった。
ところが、どう間違えたのか、地下鉄東西線に乗ってしまい、やもう得ず、葛西駅で下車し、都バスに乗って、葛西臨海公園までたどり着いた。
朝から寒い日であったが、バス停で待つ間に冷たい風にあおられ、体は更に冷えた。
バスを降りると、その公園のシンボルである、大きな観覧車を正面に見て、水仙の花畑へと急いだ。
空は、真っ青に晴れ、可憐な水仙の花が一面に咲き誇っていた。
三脚を伸ばして、ビデオ撮影の準備をしていると、中年の男がやって来て、「背景に富士山を入れられる好位置がある」と指をさして教えてくれた。
「ほう、それは良い」と思い、そこに三脚を立てて、富士山を背景にした水仙の花群にレンズを合わせた。
好位置を見つけ、じっくり撮り始めると、周りにカメラ愛好家が群れてきた。
あるカメラマンは、大きな声で、夫とみられる男に、子供とポーズを採るようにうるさく指示していた。
周りの声を聴いていると、「絞りがどうとか」とか結構こった、撮影を楽しんでいるように見えた。
スマホのカメラマンも多いが、一眼レフの高そうなカメラを手にした姿も目立った。
手前の水仙畑から、背景に見える富士山にズームアップしてゆくと、なかなかの好シーンであった。
ただ残念だったのは、富士山の姿に、一本の電線の黒い横線がどうしても入ってしまうことであった。
「うーん、残念」と思いながら、それでも20万株と言われるその水仙畑から、富士山の姿まで何回か撮影した。
その絶好の撮影位置から離れると、わっとばかりに多くのカメラマンがその後の位置を占領した。
カメラマンたちの熱気の凄さに、現代を感じた。
水仙畑を過ぎて、富士山が見える場所にもっと近づくと、新設のオリンピックカヌー競技場が見えてきた。
完成近くで、瀟洒な競技場に見えた。
その辺りで、引き返し、その日は帰路に就いた。
葛西臨海公園駅に着くと、タイミング良く武蔵野線直通の京葉線が来て、西船橋駅経由で、市川駅まで帰ることができた。
市川駅で、時計を見ると、12時少し前であった。
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「白鳥の郷」から飛び立つ美しき姿(その244)
2月2日、その日の朝7時14分頃、市川駅から総武快速線に飛び乗り、隣の船橋駅で、東武アーバンラインに乗り換え、更に新鎌ヶ谷駅で、北総鉄道に乗り換え、印旛日医大駅で下車した。...
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2月2日、その日の朝7時14分頃、市川駅から総武快速線に飛び乗り、隣の船橋駅で、東武アーバンラインに乗り換え、更に新鎌ヶ谷駅で、北総鉄道に乗り換え、印旛日医大駅で下車した。
昨年は、西船橋駅から武蔵野線に乗り換え、東松戸駅で北総鉄道に乗り換えたが、ほぼ同じ位の乗車時間であった。
8時14分に、印旛日医大駅に到着すると、予め予約をしておいたタクシーに飛び乗り、「白鳥の郷」に向かった。
鉄道やバスが通わない、自然に溢れた場所であった。
20分ほどすると、車がずらりと駐車している様子が目に入ってきた。
同時に、お目当ての「白鳥」もあれっと思うほど沢山の数が見えてきた。
車から降りて、白鳥の湖に近づくと、「クック」という独特の大きな声が聞こえてきた。
真っ青な空に、真っ白な白鳥が悠々と飛ぶ姿は、なかなか壮大な気分を感じさせた。
だが、素手の手は、冷たく硬直していた。
その姿を撮影しようと、カメラを構える人々が沢山陣取っていた。
三脚を立てている人々も結構いた。
後ろから聞こえてくる声の中には「アメリカからの白鳥が3羽いて、それは嘴が黄色で・・・」といった濃い話もあった。
なるほど、凄い観察力だなと、内心舌を巻いた。それに掲示板のようなところには「今年の飛来白鳥は843羽」と記していた。
白鳥は、時折、仲間に飛び立つことを促すように、大きな羽をバタバタと広げる。
すると、仲間の白鳥は、それに呼応するかのように、大きな羽を広げ、空を目指して飛び立ってゆく。
意外に、1羽だけで飛び立つことは無いように思えた。
そうした白鳥の習性に関心を持ちながら、ビデオカメラで追跡すると、結構飛び立つタイミングが分かって、良いシーンを撮影できるものだと感じた。
その日は、動的ビデオと三脚に固定したビデオで、白鳥の生態を追跡した。
いや、生態というよりも、綺麗な映像を撮りたいと思った。
何しろ、白鳥の飛び立つ時間を考えて、日曜の朝なのに、6時半に起床したほどだった。
その甲斐あって、そこにいた僅か30分ほどの時間に、その湖(実は田圃?)にいた半数以上の白鳥の飛び立つシーンに出会うことができた。
大方の白鳥が、飛んで行ったので、その日は帰途に就くことにした。
帰りは、印旛日医大駅から、昨年の様に、東松戸駅経由で、武蔵野線に乗ることにした。
市川駅に着き、時計を見ると、まだ10時を少し回った頃であった。
体は、まだ冷え切っていた。
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上野公園を散策した(その243)
1月26日、その日は朝から気温が低く、どんよりとした空の様子だった。...
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1月26日、その日は朝から気温が低く、どんよりとした空の様子だった。
小雨がぱらつき、JR緩行線に乗って市川駅を出たのは、9時近かった。
20分少しで上野駅に着き、上野公園出口側から出た。
すると西洋美術館前に長蛇の列が出来ていた。
「ハプスブルク展」を鑑賞しようという人々の列であった。
その列を横目に見て、上野東照宮「ぼたん苑」を目指した。
正面には金ぴかの東照宮があり、横には五重の塔が聳えていた。
ぼたん苑の入り口で、少し待つと、係員が「雨の為、花が痛んでいるものもあります」という断り書きを書き、入り口を開けた。
9時半だった。一番先頭に並び、中に入ると、雨水を吸い込んだ藁の衣の中に赤、白、黄色などの「牡丹の花」が見事に咲いていた。
ここ上野東照宮でも、藁の衣が列をなしていた。その中に大玉の牡丹の花が鎮座していた。
牡丹の花は、日差しなどに弱いのか、どこに行っても、乳母日傘状態である。
その光景を、40分ほど、ビデオカメラに収め、出口へと向かった。
雨は止んでいたが、昨日からの雨の所為か、石畳は水を含んでいた。
来る時に、気になっていた「伊賀直送専門食堂」というタテカンがあった中央広場に向かった。
中に入ると、ちょっと当てがはずれ、一回りして、上野駅に戻ろうとした。
すると、その時間には、西洋美術館の前の長蛇の列は、もう解消していた。
上野公園には、次々と人の波がやって来て、大変な人気スポットであると思った。
公園口から、帰路に就き、市川へと戻った。
市川駅に着き、時計を見ると、まだ11時を少し過ぎた頃であった。
雨はすっかり止んでいた。
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