1月2日の夕空(その434)
1月2日、その日の午後4時半頃、西の空を臨むと、真ん丸い夕陽が丹沢連峰に沈んでいった。
その有様を、じっくりと追いかけてみた。
なんといっても、富士山が影絵になってゆく姿は、いつ見ても美しい。
陰ってゆくのと同時に、17時頃になると、東京スカイツリーに灯が点り、どんどんと煌びやかになってゆく。
富士山から延びる山系、丹沢山系や秩父山系もそれに従うように、影絵が濃くなっていった。
驚くことに、遠くから見ると、東京上空には、かなりの数の飛行機が飛んでいる姿が確認できた。
東の空に「ご来光」を仰ぎ、「鎌倉」を目指して西に行く、そして日本橋にも(その433)
1月1日、元旦の朝6時45分頃、東の空を見ると、太陽は雲に狭間れて、まだご来光を放っていなかった。...
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1月1日、元旦の朝6時45分頃、東の空を見ると、太陽は雲に狭間れて、まだご来光を放っていなかった。
それでも、5分ほど待つと、雲の間から、眩しい光を放ち始め、元旦の日の出が始まった。ご来光を確認し、カメラを西の方向に向けてゆくと、朝日に映える「富士の山」がくっきりと見え始めた。
更に回すと、東京スカイツリーの姿も見えてきた。
東京の街は、朝日に輝いていた。
7時18分、市川駅発の総武快速線「逗子行き」に乗り、先週行った横浜駅を通り越して、「鎌倉」駅まで行った。鎌倉駅には9時38分に着いた。
早速、「鶴岡八幡宮」に足を向けた。
その参道は人であふれていた。社まで20分はかかった。
長い待ち行列をして、やっと本殿の参拝ができた。
大勢の若者が、仲間と一緒に参拝をしていた。
この季節の寒さが襲い、手には手袋をしない訳にはいかなかった。
参拝をすまし、北鎌倉駅方面に歩き始めると、「建長寺」に行き着き、その境内に入った。中はがらんとして、「鶴岡八幡宮」とは対照的であった。
北鎌倉駅に向かって、歩いてゆくと、バス以外の車はほぼすれ違わなかった。
交通規制が敷かれているものと感じた。
暫く歩くと、「北鎌倉」駅に着き、そこから湘南総武快速線「千葉行き」に乗って、新日本橋駅で下車した。時計を見ると丁度、11時半であった。
下車し、地上に出ると、日本橋界隈は、人の行き来や車の往来が乏しく、がらんとした状態であった。勿論デパートも休業中だった。
「日本橋」に出て、界隈をカメラに収めようとすると、人がちらほら歩き、車も時折、走り抜けていった。
その日は、そのまま市川駅まで戻った。駅で時間を確かめると12時半頃であった。
駆け足で、元旦の「日の出」から「鎌倉」、そして「日本橋」まで、思い出してみると、鎌倉の人出の多さ、日本橋の閑散状況が対照的に感じた。
今年こそは、「良い年」になるように祈らざるを得ない思いであった。
その日の午後5時頃、西の空を臨むと、紅い夕陽の残光が「富士山」、「大東京の街並」、そして東京スカイツリーを包み込んでいた。
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2年ぶりの「横浜」、新たにロープウェーが・・・(その432)
12月26日、朝8時3分、市川駅発の総武快速線に乗って「横浜」駅まで行った。...
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12月26日、朝8時3分、市川駅発の総武快速線に乗って「横浜」駅まで行った。そこから地下鉄で「みなとみらい」まで行き、その公園で暫し撮影をした。ダウンジャケットを着込んでいたので、それほどの寒さは感じなかった。
行きずりに市民達のダンス会場があり、横浜に因んだ曲、「赤い靴」「ブルーライト横浜」「横浜たそがれ」など馴染みがある曲がジャズ風にアレンジされて聞こえてきたので、思わず足を止め、カメラを向けた。
港が見える公園から、大さん橋まで行き、横浜ゲートブリッジの下を、ゆっくり入ってくる大型客船や赤レンガ倉庫等を眺めて、横浜を味わった。空には雲がたなびいていたが、どちらかというと青空が勝っていた。
一度乗ってみたかったロープウエー「横浜エアーキャビン」にワールドポーターズ前駅から乗車した。僅か5分ほどの短い時間だったが、港が一望でき爽快であった。心配していた待ち時間もゼロだった。
帰途に着こうと、桜木町駅から一つ隣の横浜駅で、10時54分発の横須賀線に飛び乗って、そのまま市川駅まで帰ってきた。驚いたことに、市川駅で時計を見ると、11時46分だった。「えっこんなに短い時間で帰ってきたのか」と驚いてしまった。
2年ぶりの視点を変えた「横浜」への小旅行、新たな発見があった。
その日の夕方、4時頃いつものように西の空を見ると、早くも雲の間に陽が落ちてゆく、夕焼け空になっていた。
その日の富士山は、影絵の様に黒く、その存在感を示していた。
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