朝早く出発・「水郷佐原」に水の季節を求めて(その157)
6月17日、その日はJR市川から午前6時半の成田空港行の快速線に乗って、成田駅で銚子行きに乗り換えて、佐原駅を目指した。...
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6月17日、その日はJR市川から午前6時半の成田空港行の快速線に乗って、成田駅で銚子行きに乗り換えて、佐原駅を目指した。
佐原駅には、8時少し過ぎた頃着いたが、構内にはバスの姿が無く、タクシーに乗った。
ほんの15分ほど乗ると利根川を渡り「水郷佐原あやめパーク」に着いた。
園内に入ると、早速「菖蒲の花」の鮮やかさが目に入ってきた。
ふと右手を見ると、川のような大きな池があり、そこに舟が浮かび、女船頭さんが竹ざおで漕いでいた。
その時間には、舟の客はほとんどおらず、閑散としていた。私はその舟に乗り、菖蒲の花と蓮の葉が広がるその川を遊覧した。
船頭さんは、「蓮と睡蓮」の花の違いなど、盛んに説明してくれた。
その睡蓮の美しいピンクの花を横目で見ながら、どんよりとした空の下、華麗に咲き乱れる紫の菖蒲の花の優雅さを暫し堪能した。
舟から降りると、その菖蒲の花の園をスマホで撮りまくり、ふと見えた「十二橋めぐり」と書いてある看板に目を止めた。
昨年は、「潮来」で船に乗り、その一帯を楽しんだ思い出がふと蘇り、早速その船に乗り込んだ。
初老の船頭は、利根川から細い川に入り、辺りのことについて次のように説明をした。
昔は、各家に小さな細い橋が掛けられ、そこが生活道となっていたと張りのある声で、話してくれた。いつしか船のモーターは止まり、竹竿一本で船頭さんが漕ぎ始めた。
その細い川の向うから、同じような大きさの船がすれ違った。
川の両側には、団子などを売り子が、声をかけて盛んに売り込んでいた。今ではその一か所だけとなっていたが、過去には鈴なりに商店が並んでいたと懐かしそうに船頭が説明した。
コンクリートで作られている、川の壁に船がぶつかる様にして、船はすれ違い、暫らく船は走ったが、水門まで来ると、船頭が船の横の細い足場を器用に後ろから前にと「つっつ」と渡り、進路が逆に変わった。
川に架かった橋は、「面影橋」だとか「子育て橋」などと一本一本名前が付けられ、住民の思いが感じられた。
川の両サイドには、紫陽花が綺麗に咲き誇り、情緒を盛り上げてくれた。
あやめパークに帰ってくると、先ほどの川には4隻の舟が浮かび、女船頭さんが佐原音頭を吟じていた。
その頃、他の舟の上では、男衆が大きな太鼓に撥をあてていた。
そのお囃子を聞きながら、私は佐原の駅へと向かい、11時11分の千葉行きの電車で帰路に就いた。まだ肌寒く雲の厚い日であった。
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北松戸の本土寺に季節の花、「紫陽花」と「花菖蒲」をもとめて(その156)
6月10日、その日の朝、8時半頃JR市川の駅から西船橋を経由し、武蔵野線の新松戸行き、常磐線(実際には千代田線)に乗り換え、北小金駅で下車し、今年も本土寺に「紫陽花」を鑑賞しに行った。...
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6月10日、その日の朝、8時半頃JR市川の駅から西船橋を経由し、武蔵野線の新松戸行き、常磐線(実際には千代田線)に乗り換え、北小金駅で下車し、今年も本土寺に「紫陽花」を鑑賞しに行った。
その日は朝から、今にも雨の雫が降りてきそうな空模様であったので、携帯用の薄いコートを所持した。
北小金駅から、10分ほど木立の参道を歩くと、その山門が見えてきた。参道の両脇には、紫陽花の花がずっと続いていた。
広い境内に入ると、紫、白、ピンクの紫陽花がいたるところに咲き乱れていた。
昨年の経験を基にして、今回は出口からその花園の中に入っていった。
今にも、大粒な雨が降りてきそうな鉛色の空の下に咲く、紫陽花は、もう一つの華やかさを持っているように感じた。
しかも、周辺の木立もその華やかさを上手く引き立てているようにも見えた。
朝の9時ごろと言うのに、もう既に多くの鑑賞客が集まり、思い思いにカメラやスマホを向けていた。
人々は、その色の見事さや、美しさなど、それぞれのうんちくを語り合いながら、楽しんでいた。
定番の紫陽花の他に、額アジサイや色とりどりの花が広がり、梅雨空の中で、華やかさを独り占めしているようであった。
少し奥に入ると、この季節のもう一つの主役である、花菖蒲が見えた。
この季節の花の色には、共通点がある。「紫」と「白」それに「赤紫」である。
季節と色素の関係には、何か強いものがあるのだと、再認識させられた。
それにしても、雨の香りの強い、この季節に、紫陽花そして菖蒲の花は、なんと日本的な色彩を演出してくれているのだろうかと、うれしくなってしまった。
そんなことを感じながら、その美しさをスマホの中に、どんどんと撮りだめていった。
最近は、一枚の写真もそうだが、全体の美しさを表現するのに、動画の機能を使うことが多くなった。全体のボリュウム感を表現するには、正に打ってつけであると感じている。
そんなことを思いながら、歩いていると、小粒な雫が頬にあたり始めた。早速携帯用の雨具をとりだし、頭からかぶった。
山門の出口から、参道を歩いていると、雨足は少し強くなり、雨具の効果を感じ始めた。
時計を見ると、10時10分を指していた。その日はそのまま来た道中を引きっ返し、家路へと向かった。
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再び堀切菖蒲園へ、紫と白の優雅さに心が解けてしまう(その155)
6月3日、その日は浅草橋に小用があり、都営浅草線から京成青戸に出て、堀切菖蒲園駅で下車した。...
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6月3日、その日は浅草橋に小用があり、都営浅草線から京成青戸に出て、堀切菖蒲園駅で下車した。
菖蒲園に着いたのは、11時少し前であった。
もう既に、大勢の来場者で入り口から、大混雑していた。その日は菖蒲園祭りのイベントがあるそうで、消防車も待機していた。
中に入ると、紫を基調に白や薄紫など色とりどりの菖蒲の花が一面に咲き誇っていた。
空は、真っ青に晴れ渡り、白い千切れ雲が浮かんでいた。
6月とは思えない、日差しの強い気候であった。
最近は、言葉から推測するに、外国人である人々が大勢集まっている。
外国人でも、日本人が愛する、紫を基調とする「花の世界」の良さがわかるとみえて、盛んに歓声を上げ、スマホを向けていた。
ここの菖蒲は、花輪の大きさや色の鮮やかさでは、比類がない程艶やかで、華やかであった。
湿気の多い、季節に咲き、心を和ませてくれる救いの花でもある。
一つの花に注目すると、花芯が真紫で、外側に黄色の花弁があり、外に向かって薄紫の大きな花びらが開き、その中に外に向かって濃い紫の襞が広がっていた。
先へゆくと大きな花びらの先が、微妙にカールしていた。下の方を見ると、青々とした茎がそうした、艶やかな花を支えていた。
この白と紫の世界は、和様に良く似合い、灯篭や水の流れに調和していた。煌びやかな派手さはないが、慎み深い中にそこはかとなく優雅さを秘めたその佇まいは、まさに日本人の美意識にぴったり符合するものなのかも知れない。
今年はまだ、梅雨入りの宣言が出ておらず、この晴天の中に咲き誇る菖蒲の花々であるが、青い空に浮かぶ白い千切れ雲にも、良く似合っていた。
それほどの広さもない、その菖蒲園を後にし、その日は、堀切菖蒲園の駅から日暮里駅に出た。手元のウォッチを見ると27℃であった。
時計は、12時を回ったところであった。
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